「俺、これでもけっこう強いつもりなんすけど……自信なくしました」
はしっこの方で小さくなった健介は、ぶちぶちと雑草を抜いている。気持ちはわからなくもない、ここ最近、女の子に二連敗となると、厚顔無恥な者でも、男である以上いじけるのも当たり前だろう。
「あー、まあ、葵ちゃんも坂下も規格外だからなあ」
あまり仲の良くない浩之も、さすがに同情の念を禁じえなかった。浩之は、最初に入ったのがそういう女の子が自分よりも強い世界だったので、そんなに違和感はなかったが、それでも最初は多少は落ち込んだし、男としてのプライドがぐらついたからだ。
ましてや、健介は、負けているとは言っても、マスカで十五位、けっこうな強者のはずだ。おそらくは、マスカに入るまでは、ケンカで負けたことなどなかったろう。
坂下に連れて来られたランよりは、確実に強いと一応どちらの動きも見たことのある浩之などは思うのだが、それが慰めになるとは思えない。
「で、こんなちんぴらはどうでもいいんだけど」
その一言に、顔をあげて、何か言い返そうとした健介だが、坂下に睨まれて、すごすごと引き下がった。情けないにもほどがある。
少し疑問に思うところがあり、浩之はこそこそと健介に近寄って小声で話しかけた。
「なあ、何で葵ちゃんのときみたいに舎弟にならないんだ?」
葵のときは、倒された後に、何故か非常になついている。しかし、坂下には、恐れてはいても、なついているという感じはない。むしろ、隙あらば反撃しようとしているようにしか見えない。
どちらにもKOを喰らったとは言え、葵の方が苦戦しているぐらいなのだ。坂下は、話を聞く限り、圧倒的な強さを見せたらしいのだし、なつくならより強い方だと思うのだが。
「ああん?」
相変わらず、浩之相手には非常に柄の悪い男だが、今はその姿が少しかわいそうに思えた。同じ怖さを経験した人間だからこそ、多少なりとも親近感が沸いたとも言おうか。
「坂下、本気で強えんだから、さっさと下についた方が身のためだと思うんだが」
「俺は男みたいな背の高い女と、柄の悪い女は嫌えなんだよ」
ゴッ!
痛そうな音に、浩之は慌てて距離を取る。
プルプルと震えながら、健介は頭をかかえたまま、その場にうずくまっている。さっきまでのようにいじけている訳ではない。物凄く痛かったのだろう。
「誰が男だって?」
坂下の情け容赦のない拳は、浩之の目から見て、傷害罪よりは殺人未遂に見えた。
というか、柄が悪いのは自覚しているのか?
もちろん、そう思っても口には出さない。坂下は、普通は礼儀正しいのだが、どうもこういう相手を前にすると、相手に合わせる所為か柄が悪くなるし、簡単に手が出る。
しかし、体育会系の葵としては、気にするほどの行為ではなかったようだ。それよりも、坂下に聞いた口の方を注意される。
「健介、坂下さんに失礼な言葉聞かないで下さい」
「う、うっす、申し訳ないっす……」
男健介十五歳、男女からは殴られて、姉さんからは怒られる、悲しい立場だ。というより、その柄の悪さで十五歳という方が驚きだ。
浩之は、哀れな男に、そっと心の中でエールを送った。がんばれ、ちんぴら。
「なんなら、こいつうちで根性鍛え直してもいいけど?」
「あ、それがいいかもしれませんね」
ますます窮地に立たされている健介に、浩之は合掌して冥福を祈ることにした。
「で、話を戻すんだけど、葵にもちゃんとこの子紹介しようと思ってね」
坂下に促されて、一人黙っていたランが、葵に頭を下げる。
「初めまして、ランです」
「初めまして、松原葵です」
葵も、丁寧にお辞儀で返す。この光景を見るだけでは、二人とも男を倒す強い格闘家には見えない。
にこにことしている葵に比べて、ランは紹介されたとは言っても、何故葵を坂下が紹介したのか、いまいち分かっていないようだった。
「ま、葵は見ただけだと、そんなに強そうには見えないけど」
ランの疑問に気付いたのだろう、坂下は、そこまで言って、口調を正した。
「葵は、私に一度勝ってるんだよ」
「!!」
思わず、ランは坂下の方を振り返って、驚きに目をみはった。
そして、改めて葵をまじまじと、穴が空くのではと思うように凝視する。顔からは、表情が消えていた。人間はあまりに驚きすぎると、表情すら出ないらしい。
「か、勝ったと言っても、まだ一回じゃないですか」
葵は、さすがにそこまで凝視されると居心地が悪くなって、謙遜する。
もっとも、葵が言っていることも嘘ではない。葵が坂下に勝ったのは、あの野試合一回だけだ。練習でスパーリングをやっても、坂下の方が押していることが多い。
「でも、私に勝てる実力があるのは本当なんだから、胸張ってなって」
「は、はい」
「そりゃ姉さんにかかれば男女なんて……」
バキッ!
その一撃で、今度こそ健介は沈黙した。悪口も最後まで言わせてもらうこともできず、健介はリタイアだ。
「こいつ、本気でうちで鍛え直してやるわ」
「ま、まあ、お手柔らかに頼むぜ。何か俺も人事には思えなくて……」
女の子に容赦なく殴られる経験の多い浩之は、どれだけ効果があるかはわからないが、一応、同族のよしみで健介をかばっておいた。
「で、今度から、たまにはランを連れて来ようと思うんだけど、いい?」
「それはかまいませんけど……ねえ、先輩?」
「あ、ああ……」
実は浩之を最初に襲って来たのはランだったりするのだが、それは詳しく説明すると色々とまずそうなので、浩之は黙っておくことにした。
怒る葵という、非常に珍しく、そして非常に危険な状態を、そう何度も経験したくない。
普通は平気だろうが、浩之のこととなると我を忘れるところが、葵には少なからずあった。浩之は、浩之なりに、何となくそこらは感じているのだ。
「葵から見たら、ランはまだまだだけど、色んなタイプと戦うのは経験になるしね。ランも、強い相手と戦っていれば、自然とレベルアップできるよ」
「押忍。あの、ヨシエさん」
「ん?」
ランは、さっきまでのどこかおどおどとした雰囲気がなくなり、思い詰めたような顔で、坂下に向き直った。
「一度、戦わせて、くれませんか?」
誰と、とは聞かなかった。相手は、一人しかいない。
坂下は予測していたし、誰に聞いても、ランがそうしようとするのは目に見えていた。
だから、坂下は止めもしなかった。
「葵、ちょっと相手してやってよ」
「あ、はい」
その提案を、葵も、何の抵抗もなく受けた。一緒に練習するのだから、当たり前だと思って。
続く