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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(73)

 

「目と首はなし。後、頭突きも駄目」

 ヨシエさんのルール説明に、私は素直に頷いた。

 手にはめたウレタンナックルは多少違和感があるものの、後は別段変わった格好ではない。ただ、靴がいつものブーツではなく、運動靴なのが多少不安ではあった。

 松原さんは、私の前で笑顔で柔軟をしている。緊張している風もないし、私のように気負っている様子もない。

 それは、松原さんには気負う必要などないのだろう。

 私は、気負っている。自分でも自覚はできる。

 当然、勝てるなどとは思っていない。ヨシエさんに勝った、となれば、私などまったく相手にならないのは間違いないだろう。

 でも、だからと言って戦わない訳にはいかないのだ。

 松原さんは、私と同じ年らしい。年齢で強さが決まる訳ではないが、同じ年で、ヨシエさんの後輩として、無様な姿は見せることはできない。

 嫉妬に近い感情とでも言えばいいのだろうか。面倒見のいいヨシエさんのことだし、贔屓にしている後輩がいても別におかしくはないと思う。

 でも、私は気にくわなかった。ヨシエさんに、そこまで誇らしげな顔をさせる松原さんに、何とか一矢報いたかった。

 もっとも、形式的にも、実力的にも、胸を借りるというのはよくわかっている。

「じゃ、葵も準備いい?」

「はい、それじゃ、よろしくお願いしますね」

 松原さんが、笑顔で私に手を差し出してくる。スポーツマンらしい好青年ならぬ好少女だ。

 私は、自分が無愛想な表情を浮かべているのをどうしようもなかったが、それでも、とりあえず素直に握手はすることにした。

「じゃ、いくよ。レディー……」

 私は、大きく後ろに飛んで構えを取った。

 と同時に、松原さんも半身の構えを取る。腕を引き気味にして、部活で見る構えとほとんど同じ構えだ。

 それでも、私は背筋に悪寒が走るのを感じていた。

「ファイトッ!!」

 試合開始の合図があっても、私は前に出ることができなかった。本当は、試合開始早々に仕掛けるつもりだったのだが、それができなかった。

 構え一つで分かる。松原さんの強さが。

 私よりも、松原さんは小柄だ。というより、重量別でない格闘大会に出ることは、おそらくないだろうと思えるほど小柄だ。

 その点だけで言えば、私の方が絶対に恵まれていた。筋肉はけっこう付き易いし、手足のリーチもある。

 それに比べ、松原さんは背も低い、リーチもコンパスもない、筋肉もあるのかと思うほどに腕も脚も細い。

 ブルマ姿の彼女は、見た目で言えば戦いの場所にいていい姿ではない。細い手足が戦いに向いているとは、絶対に思えない。

 なのに、私は脚がすくんでいた。

 何が違うのか、とっさには理解できなかったけれど、一秒、二秒と時間が経つにつれて、私が脚を止めた理由にやっと気付くことができた。

 顔が、違い過ぎた。

 さっきまで、人好きのする、かわいい後輩、という表情だった。それが、試合開始の合図と当時に、鋭く変化した。

 そこには、ケンカをやってきた私が慣れ親しんだ、殺気や怒気はない。しかし、それにも増す真剣さが、私の脚を止めたのだ。

 怖さには、慣れている。身の危険の大きなケンカの世界に身を置いてきたのだ。武器相手でも戦ったことはあるし、多人数というのも経験している。

 しかし、松原さんの顔は、それでは経験しきれない、何かを持っていた。

 私たちケンカ屋は、表の格闘家を下に見ている。試合ならともかく、実戦になれば、負けるとは誰も思っていないはずだ。

 そして、それに矛盾するように、表の世界で戦う彼らに、強い憧れを抱いている。今まで、それを単なる名声欲と私は思っていた。

 でも、違うのかもしれない。怒気ではない、ただ純粋な、真剣さを前にして、私は思う。皆、この真剣さに憧れたのではないか、と。

 どこか酷く納得すると同時に、私は自分を取り戻した。

 そう、私はケンカ屋なのだ。ヨシエさんに空手を教えてもらっても、その強さを、マスカというケンカの延長で使うつもりなのだから。

 純粋に真剣、ということは、彼女はケンカの戦い方に慣れていないはずだ。というより、ヨシエさんのようにケンカに慣れている一般人を初めて私は見たし、普通はケンカなどしたことがないはずなのだ。

 だったら、やれることはあるのではないだろうか?

 実戦の機微、そういうものに、松原さんが慣れているとは思えない。それこそが、ケンカ屋達が表の人間に負けることなどないと思う根源なのだから。

 松原さんの戦い方は、多分、空手。

 ヨシエさんには通じなくとも、空手家相手に戦うための技は、私はいくつか持っている。そうでなくとも、予測外の攻撃を得意とするからこそ、マスカではトリッキー系と呼ばれるのだ。

 試合ではない、これは、試合ではないのだ。ケンカ、守られるもののない、危険な場所なのだ。

 私の精神集中を、手にあるウレタンナックルという「守る」ものが多少邪魔するが、私はかまわず、その考えに身体をゆだねる。

 同時に、私から構えが消える。

 松原さんの表情に、怪訝なものが混ざるのを見た。私の動きに、理解ができないのだろう。そう、それこそが、私達の戦い方だ。

 構えは、近距離で打ち合うからこそ、打たれないためにガードの位置に腕を置いておくため、だと私は理解している。

 私には、必要のないものだ。

 私は、両腕を広げる。

 私の腕は、武器ではない。それはバランスを取る尾であり、空を飛ぶための翼なのだ。

 そして私は、一匹の獣。鎖などではつながれていない、野生の生物。

 邪道に、真っ正面から避けるように戦うのだ。卑怯などと知ったことではない。勝つために、できることをやる、それが私の戦い方。

 身体の隅々に、久しぶりの開放感が広がる。前のマスカでは、柄にもなく緊張してしまったが、今は心地よくリラックスできている。

 胸を借りようなどと、スポーツマンでもあるまいし。

 食らいつけ、それが、私の戦い方で、私の戦ってきた道なのだから。

 私は、松原さんに向かって、走り込みながら、大きく飛んでいた。

 

続く

 

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