作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(75)

 

 地面を蹴り、葵との距離をつめるランは、しかし、飛びはしなかった。

 飛び技では効果がないと判断した?

 葵は、ランの動きをいぶかしくは思いながらも、通常通り反応するために、ランの動きに集中した。

 マスカレイドで一度は見ているが、さすがの葵も、それで対応できるほど凄くはない。ランの飛び技に反応し、さらに対処できているのは、綾香の所為だ。

 綾香は、例えそれが空手であろうとエクストリームであろうと、気にすることなく、平気で跳び蹴りを放ってくる。その動きに比べれば、ランの動きは子供だましのようなものだ。

 そもそも、地力が違う。ランは坂下にまったく歯がたたないのに、一度とは言え、坂下に勝ったことのある葵相手に、何のひねりもない飛び技が通用する訳がない。

 しかし、真正面から来れば、葵にもかなりの自信がある。わざわざ、普通に地面を来る相手は、葵にとってはカモだ。

 それで油断してしまうような葵ではないが、相手が怖くないのは確かだった。

 ランの前進は、これまた芸のない前進だった。スピードはそれなりだが、今まで対戦した選手のタックルや飛び込みに比べると、かなり見劣りする。

 何を狙っているのかまでは、葵には判断できない。そもそも、葵は考えて対処するタイプではない。反射的に身体が動くまで鍛えるタイプだ。だからこそ、どんな相手にも対処できる。

 リーチは、明らかに向こうの方が長いが、しかし、その程度のこと、葵にとっては障害ではなかった。

 相手の打撃に合わせて、カウンターを放つつもりで、葵はランの出方を見る。

 葵の判断したランのキックの間合いに、葵の身体が入った。

 しかし、ランは動かず、さらに距離をつめる。脚どころか、拳がでる様子もない。まるで、組み技を狙っているような距離の詰め方だった。

 組み技は禁止されていない。であれば、掴んでも何も問題はない。体格差を見て、距離をつめて組み付くのは、葵の攻略法としては間違ったものではない。

 組み技を狙っている?

 葵の頭に、一瞬そんな考えが浮かぶが、それはすぐにかき消された。

 そのわりには、重心が高い。組み技を狙う重心ではない。私でも、簡単に重心の下に入り込める。

 葵が思考で導き出したのは、それまでだった。次の一手は、考えるまでもなく、葵の身体は自動的に動く。

 葵のパンチの間合いにランが入ったと同時に、葵は左ジャブを打ち込んでいた。

 十分な距離にまで入っていたランのほほを、ジャブがかすめる。なかなか素早い動きで、葵のジャブは避けられたが、葵の動きは、まだ一連の動作を終えていなかった。

 ジャブが手元に戻ってくる動きと同時に、葵の右ストレートが、ランに真っ直ぐ繰り出される。

 シパァンッ!

 ランのガードが、派手にはじける。

 避ける暇がなかったのだろう、ランは両腕で葵のストレートを受けて、その一発で両腕を大きくはじかれた。

 反対に、葵の左拳は、胸元に戻っている。一方的に、葵の有利な体勢だ。

 しかし、その瞬間、ランが動いていた。はじき飛ばされた腕ではなく、その身体ごと、上に。

 下から振り上げられた左脚を、葵は一歩後ろに下がって避けた。

 反撃を試みようとした瞬間、一瞬だが、葵の身体の動きが止まった。

 葵が攻撃すべき場所に、ランがいなかったのだ。脚のあるべき場所には何もなく、頭があるべき場所には硬い胴体がある。

 その一瞬の躊躇が、ランに与えられた、たった一つのチャンスだった。

 避けられた左脚のつま先が、一度天を向いた体勢で、止まる。

「!?」

 とっさに一歩下がっていた葵には、脚が残っていない。葵は、反射的に両腕を頭の上で十字にしてガードを作った。

「ぃあぁっ!!」

 ズカシィッ!

 気合いを乗せた、ランの空中からの踵落としが、葵のガードの上に落とされ。

 そのまま、勢いを殺しきれなかった葵の身体を、地面に叩き付ける。

 ランの身体も、葵と一緒に、地面に落ちる。そこから華麗に着地するほど、ランにも余裕がなかったのだ。

 これが、ランの対打撃格闘家用の裏技だ。

 わざわざ至近距離まで近づいてからの、飛び技。

 普通は前進の力を利用するための飛び技であり、その利点は、威力を上げることと、移動しながら攻撃ができるという点にある。

 どんなに飛び技が得意でも、わざわざ危険のある至近距離まで近づいて飛ぼうなどという人間はいないはずだ。

 近づいて組み付かれたら、飛ぶにも飛べない。だからこその、打撃格闘家用の技なのだ。

 まさかやってこないだろう、とさえ思わせないのが、トリッキー系の真骨頂。

 そして、相手の意表を突く以外にも、この動きには、ちゃんとした意味もある。

 飛べば、確かに自分は身動きが取れなくなるが、危険は非常に少なくなるのだ。

 それが葵が一瞬止まった理由。攻撃しようにも、打撃格闘家がまず狙う頭と脚が狙えないのだ。脚は宙にあるし、頭はとどかない位置にある。

 もちろん、それは一瞬のことだが、下からのキックを避けさせて、そのまま踵を狙う、その隙を作るのには、それだけで十分なのだ。

 それに、わずかな坂下の指導で、確実に自分の打撃の威力が上がっているのを、ランは自覚できた。

 と、そのランの目の前で起こる光景に、ランは驚きを隠せなかった。体勢もそこそこ、慌てて立ち上がる。

 葵の上半身がするりと地面を這ったかと思うと、何事もなかったかのように、葵が立ち上がったのだ。

 何で、立ち上がれる? いや、それはまだいい、何でダメージがない?!

「あー、おしい」

 坂下の気の抜けた声が聞こえて、やっと、ランは自分の技が葵に効かなかったのを自覚させられた。

 葵は、ガードしながら、一瞬でランの踵落としを見切っていた。全体重を乗せて、地面に叩き付けるように繰り出されるそれは、なるほど威力は高い。

 しかし、宙にあるランが放っている以上、その軌道は真下に落ちるというよりは、ランを中心に円を描く。

 だから、葵は動かない脚から力を抜いて、下と同時に、後ろに身体を逃がしたのだ。

 ガードがはじけて、ランにはそれなりの手応えがあったろうが、葵は綺麗にランの踵落としのダメージを流したのだ。

 ごくり、とランはつばを飲み込んだ。

 これが、実力の差、か。

 一矢報いた、と思っても、それすらかいくぐられる、実力の差。悔しさで、どうにかなってしまいそうだったが、それ以上に絶望とも、希望とも取れる何かが、ランの頭の中を混乱させていた。

 そんなランは、続く葵の正拳突きに、反応さえできなかった。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む