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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(77)

 

 個室で出番を待っている坂下は、自虐の笑みを浮かべた。

 後悔などこれっぽっちもしてはいないが、一人でいると、自分でも何てバカなことをしたのだろうと考えてしまう。

 ま、あのバカなマスクをしないでいいだけ、ましかな。

 色々とマスクをつける理由を説明されたが、そんな理由は全て捨ておいて、あのマスクだけは坂下の美的センスが真っ向から否定していた。

 ランはちょっと嬉しそうにつけてたけど、私はそんな気にはなれないね。

 突拍子もない格好の方が、一度慣れてしまうと格好いいと思うようになるのかもしれない。今までのマスカの他の選手を見ているから、あこがれがあるのかもしれない。そういう理由で、ランの美的センスを疑うのは止めておいた。

 坂下は、ケンカランキングとも言えるマスカレイドに、ケンカを売って、十一位を難なく倒して試合までこぎつけた。

 坂下にも、自分が平和主義などとは考えていないが、ここまで無理を通すケンカ好きでない自覚はあった。

 目的は、あのカリュウとかいう選手だ。

 強さは、まあ、坂下よりも下ではないか、と思うが、しかし、非常にどこか坂下の神経に引っかかるものがあった。そして坂下は、戦ってみたい、と思ってしまった。でなければ、こんな茶番劇に付き合うつもりなどなかった。

 まずは、九位を倒して、その結果次第では、カリュウへの挑戦も受け付ける。

 赤目と名乗ったプロディーサーだか何だか知らないが、あやしげな男の言葉を、とりあえず坂下は信じた。

 十一位があれだから、九位ね……そんなには怖くないか。

 ランキングが全てではないだろうが、強さの指標にはなるはずだ。そもそも、ランキングというのは、上に行けば行くほど、普通は実力は均衡したものになるのだ。

 綾香のいたころの空手は、綾香だけが飛び抜けていたが、後は誰か飛び抜けていたものがいた訳ではない。綾香を除けば、誰が優勝してもおかしくなかった。

 今は、どうだろう?

 正直、坂下は自分の強さを、そこから一歩抜けたと思っている。試合が最近ないので、それを試す機会はないし、そもそも、空手の試合では、坂下の全てを出すと言う訳にもいかないので、はっきりと判断できるものではないのだが。

 葵達との練習や、やむにやまれぬ事情でのケンカなどが、坂下を確実にレベルアップさせてきている。

 ……今日は、それを少しは試せるかもね。

 そういう意味では、目的のカリュウとの試合ではないが、今日は楽しめる部分もある。そもそも、戦う相手も、強い可能性だって否定できないのだし。

「我がマスカレイドは、来栖川綾香に勝利を許してしまいました!!」

 突然、狭い個室の外から、観客の声を割って赤目の声が響いた。

 やれやれ、やっと出番か。

 坂下は、立ち上がって、こきこきと身体をほぐす。

「クログモが地の利を持ってしても負け、バリスタが正面から撃墜され! 負けたこの二人を弱いと言う方はこの中にはおられないでしょう!!」

 坂下は、結局バリスタと綾香の試合は見ていないが、しかし、どんなことになったのかは予想がつく。

「不承不承認めましょう! 来栖川綾香は、強い!! マスカの上位を持ってしても、押さえきれないぐらいに強い!!」

 綾香が聞けば、笑顔で殴り倒しそうなセリフである。不承不承などという言葉を、たまに機嫌の良いときならまだしも、普通の状態で聞かせれば、じゃあ証明してみましょうとばかりに殴り飛ばすのは目に見えている。

 あの赤目って男、綾香がいないからって調子乗ってるんじゃないの?

 綾香の弁護をするつもりなど毛頭ないが、そういう態度は坂下の鼻につく。

「しかし! だからと言って、それを見てマスカで勝てるなどと思われては心外にもほどがある! 今日の挑戦者は、そんな無謀な少女です!!」

 ……まあ、聞き流しておいてやるわ。

 無理を言っているのは自分だという自覚はあるので、坂下はその物言いを聞き流すことにした。それに、坂下としては、戦えればどう言われようがそれでいいのだ。

「女だてらに学校の不良達をばったばったとなぎ倒す、無頼の空手家!!」

 不良を倒した記憶はあるが、あれはあっちが手を出す方が早かったのだから、無頼と言われるのは一番の心外だった。空手は、礼に始まり礼に終わるのだから。

 不良を倒したときは、礼はしなかったのは確かなのだが。

「坂下、好恵ぇ〜〜〜っ!!」

 坂下は、静かにプレハブから出た。

 と同時に、坂下に向けられる観客達のぶしつけな視線と、大きなブーイング。

 金網に囲まれているので、観客達が押し寄せてくることはないが、明らかに歓迎されていないのは確かだった。

 ……しかし、邪魔。

 金網からにょきにょきと生えている観客達の腕を見て、坂下は多少なりともうんざりした。さらに、「ラッキー、けっこうかわいいじゃん」などという的はずれな観客の声も聞こえて、ますますげんなりする。

 茶番には、付き合うつもりはないんだよ。

 坂下は、気を取り直すと、試合場に向かって歩を進めながら、大きく息を吸った。

 両腕を顔の前で組み、身体の中心、丹田に力を流し込みながら、腕を開き、息をはき出す。

「ハァァァァァァッ!!」

 息吹と気合いが、まるで物理的な力を持ったようにはき出され、観客達は思わず腕を引っ込めた。危険を感じた動物の、本能的な動きだ。

 さらに目つきを鋭くして入場する坂下に、もう誰も手を伸ばそうとはしなかった。誰しも、怖いものを見るならともかく、手を出そうなどとは思わない。

 やっと落ち着いて歩けると思った坂下の視線の先にあったものに、坂下は眉をひそめた。

 金網に囲まれた試合場の中、そこには、坂下の想定外だった。

 ……水?

 試合場は、それなりの広さを持っていたが、そこは、足首がつかるぐらいの水で満たされていた。

 どう見ても、そこが試合場だ。金網に囲まれた道は、それ以外の場所には続いていない。

 水の張られたそこに、坂下は顔をしかめながらも、足を入れる。

 観客に手をあげることもなく、坂下は試合場を見渡した。

 わざと水を入れたのだろうことは、水が綺麗なのを見てもわかる。ざっと水の下に何か障害物となるものがないのか、坂下は確認する。

 これは、かなりやっかいだね。

 坂下は、完全な打撃系である。打撃とは、基本的には素早いスピードと力強い踏み込みが命だ。

 薄く張られた水は、人の足を取る。スピードは殺されるだろう。どうも主催者側には、非常に嫌われたらしい。

 しかし、反対にここでグラウンドを狙うのは、それはそれで難しそうであるので、有利不利の点で言えば、どちらとも言えないだろう。

 ……いや、そうではないか。今回の相手にとっては、有利、そいうことか。

「さあ、この身の程知らずの空手家に対して、マスカレイドははっきりと実力を見せつけるべく、彼を選びました!」

 坂下は事前に、誰と戦うか聞いていた。もちろん、坂下はマスカを知らないので、聞いても仕方のない話なのだが、そこは、ランの入っているレディースの情報係、ゼロが親切丁寧に対戦相手のことを教えてくれた。

「残虐無比な処刑人、食らいついたが最後、噛みちぎるまで、決して逃がすことのない獰猛なハンター!!」

 大げさな言い方だと思いながら、坂下は相手が呼ばれるのを待つ。

「マスカレイド第九位、アリゲーター!!」

 ワッ、と一気に沸く観客。と同時に、もう一つのプレハブの控え室から、それは出てきた。

 おそらくは、ワニの口を模しているのだろう、ギザギザの模様の入った、緑色のマスクを被った、均整の取れた身体をした男、それが、今日の坂下の相手。

 マスカレイド第九位、アリゲーターだ。

 

続く

 

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