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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(78)

 

 観客に両腕をあげ、アピールしながら試合場に向かってくる男、マスカレイド第九位、アリゲーターを、坂下は静かに観察する。

 背は百八十そこそこだろうが、十分に鍛えられた身体だ。そこそこと言ったが、その身長は、十分坂下を上回っている。

 ……嫌な顔だ。

 こちらに向けてくるアリゲーターの目は、自分をあざけっているようにしか見えなかった。または、おいしいカモぐらいに思っているのかも知れない。

 坂下は、マスカレイドを長い間見て来た訳ではなかったので理解できなかったが、マスカの選手にとってみれば、自分達の強さが絶対なのだ。

 もっとも、それを坂下が理解したとしても、「絶対と言って、綾香に負けた」と一蹴するだろうが。

 綾香を例に出すのはあまりにあまりの話だが、所詮強さの基準は、戦ってみないことにはわからない。マスカを坂下だって下に見る気はないが、しかし、だからと言って自分が下に見られるのを見逃してやる気にはなれない。

 坂下は、ゼロの説明を思い出していた。強さを知っている訳ではないが、誰であろうとも、坂下は油断するつもりはなかったし、相手の情報は、非常に役に立つのだ。

 ここ最近のマスカでの主流……ね。

 アリゲーターのことを、ゼロはそう表していた。

 その両の手に目を向けると、確かに情報通り、坂下がつけているのと同じようなウレタンナックルがはめられている。

 しかし、坂下のそれが、自分の身を守るのと同時に、相手にやりすぎないためのものであるのと、アリゲーターのそれはまったく正反対のものだ。

 ウレタンナックルの中には、鉄製のナックルが仕込まれているのだ。

 ここ最近のマスカの主流、それは武器持ちの選手のことを指す。アリゲーターは、総合格闘技の技を使う、ナックルをつけた武器持ちなのだ。

 ここ最近順位をあげて来た選手で、オーソドックスな戦い方は、相手を引き倒して、上に乗ってからの打撃。

 しかし、普通に立ったままで相手を殴り倒したり、グラウンドで腕ひしぎ十字固めに入るなど、総合的な格闘能力も優れる。

 最近色々と噂の立つチーマーグループ「アリゲート」のリーダーと、面は割れているそうだが、そこに坂下の興味はない。

 この特殊な試合場に、相手がナックルと言う、非常に汎用性の高い武器を使うことなどを見て取って、坂下は、マスカの態度が十分に理解できた。

 きれい事ではなく、自分を倒しに来ているのだ。

 そう考えれば、このおかしな試合場も予想のつく結果だ。

 パンチは腕の力だけでは、大した威力を出せない。もちろん、そこらの素人相手なら、腕だけでも坂下は倒す自信があるが、十分に格闘技を知っている人間を倒すのは、まず無理だろう。

 パンチの威力をあげるのは、肩や下半身という、離れた位置からのパワーの移動なのだ。水 の張られたこの足場では、最初に来る踏み込みが、どうしても弱くなる。

 かつ、相手は腕の力だけでも十分な威力の出せるナックルという硬いもので覆った拳。

 ケンカを先に売ったのは坂下の方なのだから、今回に関して言えば坂下もこのあからさまな不公平に文句も言えない。

 が、だからと言っておめおめと負ける訳にもいかないのだ。特に、武器を持って戦おうという選手には。

 私も、けっこうえらそうなことランに言ったしね。

 一応、坂下は自分の実力はわかっているつもりだ。だから、無意味にえらそうなことを言ったりするつもりはないが、ランに言った言葉は、結果を出さなければ、説得力がないのも確かな話で。しかも、身体を保護する意味もある武器さえ否定した手前、武器を持った相手には、どうしても負けられないのだ。

 もちろん、負けるつもりなど、毛頭ない。

「さあ、アリゲーターがこの命知らずを破ってマスカの強さを見せつけるときが来た!」

 オオオオォォォォォ!

 赤目のあおりに、観客達のほとんどが呼応する。

 坂下には理解できなかったのだ。自分のいる場所の正しさを、ここでは強さを、人は信じ、欲しがるものなのだと。

 いや、少しはわかっていた。だから、それにも慌てなかった。

 それは、自分と空手に似ていたからだ。しかし、それでも決定的に違うものが、坂下をこの異様な雰囲気の中でも物怖じさせない。

 坂下は、自分のいる世界の正しさを、自分で証明しようとしているのだ。ただ叫んだり、あざけりの目で見たりする者には、それこそ理解できない自信が、まわりが全て敵であろうとも、坂下を静かに立たせる。

「Here is a ballroom(ここが舞踏場)!!」

「「「「「「「「「「ballroom!!!!」」」」」」」」」」

 赤目の叫びに、ヒステリックな声で観客達が答える。その中、アリゲーターが構えるのを見てから、坂下は、悠然と構えを取った。

 相手は、正面に近い左半身。自分は、ほとんど真横に近い左半身。

「Masquerade……Dance(踊れ)!!」

 パッ、とアリゲーターの足下の水が飛び散り、水を張った場所を動いているとは思えないスピードで、アリゲーターが前に出た。

 シパパンッ!

 アリゲーターのキレの良いワンツーを、坂下は両腕ではじく。相手の拳ではなく、腕の方向をずらすことにより、正面から受けずに、相手のワンツーを無効化する。

 合わせるように前蹴りを放とうとして、しかし、坂下はそれを断念した。

 水が、坂下の出足を一瞬遅らせたのだ。実際に蹴るとすれば、ほんの少しの違和感なのだが、しかし、坂下の動きを一瞬でも止める効果はあった。

 その隙に、アリゲーターは、攻撃範囲から、少しだけ離れた位置にまで動く。

 それを坂下はすぐに追いはしなかった。

 離れているというには近く、しかし攻撃するには近い以上に遠い。リーチも、そしてさっきの動きを見る限り、こういう状況に慣れているのだろうアリゲーターにとって、一方的に有利な位置だ。

 飛び込もうにも、歩いているときは気付かず、さっきの前蹴りを放とうとしたときに気付いたが、紙一重の世界で戦うには、水の抵抗は大きい。

 鈍い動きで近寄るには、危険な相手だ。さきほどのキレのあるワンツーを見ても、実際の格闘技の能力も高いのが見て取れる。

 余裕のある顔で、アリゲーターは間合いを計っている。何度も言うが、気に喰わない顔だった。

 さて、どう料理してやろうか、そんな声が聞こえて来そうだ。

 しかし、坂下にとってみれば、それはそのままそっくり返してやりたい言葉だった。

 だから、坂下は口元をまげて、思うのだ。

 さて、どう料理してやろうか、と。

 

続く

 

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