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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(82)

 

 アリゲーターには、当然坂下の心の声は聞こえてはいない。

 しかし、ナックルガードを外した坂下に、何かしら危険なものを感じていた。

 だからこそ、アリゲーターは坂下に向かって飛び出したのだ。危険な相手を前に、守っていたのではじり貧なのを、今までの経験から知っていたからだ。

 それに、一応ナックルは二発入っている。ダメージが消え切る前に、倒れても何とかしてくる空手家など、さっさと決着をつけておきたかった。

 暴力と欲望を好むアリゲーターというこの男は、坂下なら見ただけで吐き気をもよおすような人間だが、しかし、格闘技においての才能は確かにあった。だからここで守りに入るなどということはないのだ。

 正面から打ち合えば、確かに危険ではあるが、アリゲーターの方がリーチが長く、ナックルをつけている以上、打撃の撃ち合いでも負けるはずがないからだ。

 それに、相手がナックルガードを外したのは、こちらから見れば、もうけものだ。どうせ素手になったところで、坂下のパンチに当たるつもりはない。さらに言えば、ナックルで狙う場所が増えたようなものだ。

 アリゲーターの、地味ではあるが、効果的な技の一つに、相手の拳や脚を狙ってのパンチがある。ナックルでガードしているアリゲーターにとって、自分の近くまで来る部位は、狙いやすく、もろい。

 その後のタックルからのパンチが目立って、おそらく多くには理解されていないが、末端を狙うことこそ、アリゲーターの必殺技なのだ。

 とは言え、素直に打たせてくれる相手ではないのはわかっていた。

 アリゲーターは、表情や言葉こそどうこうあれ、坂下の実力をちゃんと理解していた。だからさっさと終わらせたいのだ。長引けば、いつ逆転されるか分かったものではない。

 一回目はちと焦りすぎたか。

 ガードポジションから逃げられたのを、アリゲーターはそう自己評価した。坂下の実力を恐れて、早めに勝負をつけようとしたのが仇となったのだと思ったのだ。

 ゆっくり攻めれば、大丈夫だろう。もう一度倒せば、今度こそ勝ちだ。

 その気持ちがあるから、アリゲーターは打撃を打つ格好で前に進んでいたが、打撃を当てるつもりは毛頭なかった。

 この女、ガードはうまいしな。

 ナックルなら、ガードの上から叩いても十分ダメージがあるのだ。しかし、坂下はうまく流して、倒れたとき以外、クリーンヒットどころか、ダメージの当たるパンチを当てさせてない。防具もなしにそこまでしてくる相手というのは、アリゲーターは今まで経験したことがなかった。

 この女は危険だよな、やっぱり。

 余裕があればむいて遊ぼうとさえ最初は思っていたのだが、そんな余裕はどこにもないようだった。しかし、それならばそれで、アリゲーターはいつもの性格からはかけ離れた「真面目に」という言葉が似合う意識で戦おうとしていた。

 一歩前に出る。それでアリゲーターの距離だ。

 坂下の腕が、防御にまわるために前に軽く出されているのを見て、アリゲーターはしめしめと思っていた。相手が攻めて来ないのなら、アリゲーターに一方的に有利だからだ。

 ヒュパッ!

 アリゲーターの鋭い左ジャブが、坂下の腕にはじかれて、あらぬ方向に向かって突き出され、それでも風を切る強い音を発する。

 パワーはいらない。拳を握り固める必要さえほとんどない。ただ、スピードのみあれば、アリゲーターは相手を倒せるのだ。

 アリゲーターは、素直には攻撃しない。すでにワンツーは読まれている感があったので、右ジャブをフェイントに、ローキックを放つ。ナックルに気を取られている相手には、非常に効果的なコンビネーションだ。

 バシィッ!

 音は派手であったが、ローキックが綺麗にガードされたのを感じて、アリゲーターは内心で舌打ちした。

 前から気付いていたことなのだが、目の前の女は、ナックルを怖がっていない。どんなに前でちらつかせたところで、それがフェイントにならないというのは、アリゲーターにとって痛い。このフェイントで、アリゲーターはかなり戦いをいつも有利に進めているのだから。

 しかし、ローキックもかなりさまになっている、もっと言えば、かなりレベルの高いものであるのも、アリゲーターの怖いところだ。

 ローキックで動きの止まったところを狙われるのを嫌って、アリゲーターはフェイントに使った右をフックで繰り出す。それを避けるために、一歩、坂下が後ろに下がる。

 ここっ!

 その一歩分の間が、アリゲーターにとっては狙いだった。腰を落として、一気にタックルの体勢に入りながら、前に出る。

 と、その視界の端に、坂下が腕を振り上げたのを確認して、アリゲーターはとっさに足にブレーキをかけていた。

 ずっとタックル狙いだったものを、とっさの判断で、その場に応じて変更するその洞察力と身体能力は、素晴らしいものだと言えよう。

 ブワッ!

 坂下の上から振り下ろされる肘打ちが、アリゲーターの頭の脇ギリギリを通り過ぎる。坂下の起死回生の肘打ちを避けたにもかかわらず、アリゲーターは動きを止めなかった。

 右の腕を肩の後ろで回すようにして、上から拳を繰り出す。アリゲーターの身体が下にあるのに、上から拳が来る、非常に避けづらい、というより知覚しにくいパンチだ。

 タックル狙いから、それが読まれていると判断するや、素早く打撃に切り替える。アリゲーターという男は、確かに、戦いに関しては天才であった。

 アリゲーターの持つ、広い視界に、坂下が拳を振るうのが見えた。

 坂下は、振り下ろした腕を、すぐにパンチに使って来たのだ。ということは、さっきの肘はフェイントということになる。

 しかし、見えたからには、すでにアリゲーターは回避に動いており、身体を横にずらしながら、突き上げられた拳をあっさりと避ける。

 あごを狙っていたように見えた坂下の拳が、空を切る。そして、アリゲーターの広い視界は、さらにその後の動きを見ていた。

 アリゲーターにとっては、非常に美味しい位置に坂下の拳があった。そこにナックルをたたき込めば、相手の拳を砕ける、とアリゲーターは判断した。

 その認識を、ほぼ一瞬で終え、さらに、アリゲーターはそれを見た。

 くんっ、といきなり、坂下の拳が加速したのだ。

 ガキンッ!!

 金属が打ち合うような音が響いて、一瞬後、アリゲーターは感じることのない痛みを感じた。

 手首に、我慢できないほどの痛みが走っていた。

 慌てて視線を右拳に向けると、坂下の拳に打ち負けた自分の拳が、はじかれているのが目に入る。

 バカな、ナックルでガードされているんだぜ!?

 アリゲーターの焦りは、そのまま彼にとっての命取りとなった。

 坂下は、返す拳を、はじかれたアリゲーターの手の甲に叩き付けたのだ。

 グワシャッ!!

「ぁっ!!!!!」

 声にならない声で、アリゲーターは悲鳴をあげた。はっきりと、自分の拳がつぶれる音を聞き、それ以上にその痛みを感じたのだ。

 何故だ、ナックルに守られているのに、何で素手に……

 混乱する中、それでも広い視界が、動くものを捉えた。しかし、それまでだった。痛みをあますことなく感じる前に、坂下は動いていたのだから。

 パパズバンッ!!

 坂下の、左右のワンツーからの上段段回し蹴りが、あっさりとアリゲーターの意識を刈り取った。

 

続く

 

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