「クソッ!」
男は、いらだたしげに声をあげると、テーブルを蹴りつけた。幸い、上には蓋をしたペットボトルぐらいしか物が置かれていなかったので、そのペットボトルが床に落ちるぐらいしかこれと言った被害はなかった。
男は、まるで自分が蹴られたかのような顔をしながら、再度テーブルを蹴りつける。
まわりの仲間は、いつものこと、という顔でそれぞれどうでもいいような会話を続けているが、唯一、男の横に座っていた冴えない顔の男だけが、不機嫌なテーブルを蹴った男をいさめる。
「やめとけよ、リーダー。自分が痛えだろう?」
「違いない」と言って回りで笑う男達を人にらみで黙らせると、リーダーと呼ばれた男は、標的でも見つけたかのように、冴えない男を一人睨んだ。
「クソがっ! あの女、ただで済むと思うなよ!」
それじゃまるっきり負け犬のセリフだと思ったが、冴えない男は、何も言わないことにした。自分のリーダーが、ケンカは強いが、人間が出来ているとは到底思ってはいない。
ここは、最近勢力を伸ばしてきたチーマーグループ、「アリゲート」のたまり場だ。
目の前で今にも誰か殺さんばかりに怒りを振りまいているのは、アリゲートのリーダーであり、マスカ九位、いや、元九位のアリゲーター本人だ。
そして冴えない男は、一応副リーダー。まわりからはチーフと呼ばれている。社会生活にはほどほど外れたバカ達の中で、唯一と言ってもいい冷静な男だった。手も出さないし、頭もそれなりにまわるので、ある意味リーダーよりも人望がある。
もっとも、チーフ自身は自分を大して評価していない。本気で有能ならば、こんなバカ達のまとめ役などやっている訳がないのだ。
「怪我が治ってから、マスカでリベンジすればいいだろ。頼めば、因縁の対決だ、マスカでも組んでくれるさ」
無法者の集まりであるアリゲートだが、マスカでのアリゲーター本人の人気はそう低いものではない。実際に強ければ、性格がどうこうなど、マスカではあまり問題ではないのだ。
「マスカなんか関係あるか! あの女、○○○ガバガバになるまで犯してやる!」
はあっ、とチーフは大きくため息をついた。こうなると、何を言っても聞こえはしないのを、今までの経験上知っていたし、そもそも、そういう話にここのバカ達がほいほいと賛同するのは目に見えていたからだ。
だいたい……
「んなこと言って、リーダーが負けた女なんか、おっかなくて手ぇ出せねえよ」
チーフが思っていたことを半分代弁したバカな男は、アリゲーターに殴り飛ばされて、地面に転がった。その仲間を、わまりがせせら笑う。ここの人間は、こういう人種しかいないのだ。
だいたい、リーダーがサシで勝てねえような女、どうするつもりだってんだ。リーダーも拳を壊されて、ろくに戦えないだろうに。
あの坂下とかいう空手家に、アリゲーターの拳はあっさりと壊された。マスカが治療したので、手の甲を石膏で固めてあるが、それでも動くだけで痛いはずだ。テーブルを蹴ったり、バカを無事な方の手で殴ったって痛かったはずだ。
しかし、怒りはアリゲーターから痛みを消しているようであり、まったくアリゲーターから怒りが消えることはなかった。
「真正面から行く必要はねえだろうが、バカが。顔はわれてんだ、人質なり何なりとっちまえば簡単だ。見たところ、どっかの道場か部活動に出てるタイプだろ。見つけ出して、弱えの人質にとっちまえば、こっちのもんだ」
闇討ちよりも先にそっちを思いつくか、このアホは。
声に出さないが、チーフはあきれた。反対に言えば、それほどアリゲーターは坂下の強さを身にしみてわかっているということだ。片手では、闇討ちしても勝てない、と思っているのだとチーフは感じて、余計に不安になる。
そういうことになれば、リーダーのことだ、本気でやりかねねえ。
目的のために手段を選ばないと言うが、そこまでやられるとさすがにまずい。無法者の集まりとは言え、本格的な犯罪にはまだ身を染めた訳ではないのだ。
「いいねえ、どうせなら、もっとかわいい女捕まえたいね」
「バーカ、体育会系にいい女なんかいる訳ねえだろ」
無責任にも、まわりの男達も、アリゲーターの言葉に賛同し出す。
こいつは、本気でやばい。チーフはそう判断した。
無法者というものは、えてして想像力に乏しい。それをすればどうなるか、というのが想像つかないのだ。そして、一人なら怖いが、複数になると急に強気になる。
本気で止めた方がよさそうだった。確かにアリゲーターは性格は最悪だが、チーフにもこのグループにそれなりの愛着がある。誘拐脅迫婦女暴行で逮捕など、たまったものではない。
そして何より問題なのは……
「おい、止め……」
「おっと、悪巧みはそこまでにしてもらおうか」
チーフの声にかぶるように、薄暗い部屋の中に、その通る声が響いた。
「うわっ、タバコ臭え! てめえら、タバコは身体に悪いぞ、ただでさえ弱えってのに、これ以上弱くなってどうするつもりだ、えぇ?」
確かにさして高くもない天井が白い煙で隠れるほどにタバコの煙が充満しており、それを手でかきわけるようにして、その人影が近づいてくる。
横にはもう一人影があるが、こちらは気にした様子もなく、煙をはらおうともしない。
「換気しな」
さっきから文句を言っていた方の人影が動いたかと思った瞬間、バカンッ、と軽い音を立てて、打ち付けられていた窓の木の板が、軽く蹴り抜かれていた。
「てめえ、ケンカ売ってんのか!」
そこになって、ようやくこの二人が、まぬかれざる客であることを理解した一人が、二人に近寄ろうとして。
近づいてから、「ひっ」と悲鳴をあげた。
「おいおい、そんな青い顔してどうした? やっぱりタバコが良くねえんじゃねえか? それともクスリでもやってんのか? 駄目だぜ、そんなんじゃ強くなれねえ」
窓が蹴り飛ばされたおかげで、外の光が中に差し込み、二人の男の姿をやっと皆に見せる。
二人が二人とも、その顔をマスクで隠していた。
一人は、男。青い鱗のような模様の線を何本も束ねたような柄のマスクをしており、来ている服もまた青系統に統一されていた。
もう一人も男。派手な赤色をしたマスクをしており、それには左反面に大きく「華」という文字が書かれている。一見悪趣味にも見えるデザインだが、男にはそれが良く似合っていた。
アリゲートの面々が、これ以上ないぐらいに、目の前の光景に驚き、困惑を超えて、混乱して、どう動いて良いのか、それともしゃべっていいのか、わからないでいるようだった。
ただその中で唯一、アリゲーターだけが、「ちぃっ」と憎々しげに舌打ちした。
それで、チーフは何とか意識を現実に戻す。不遜なアリゲーターの態度が役にたったと思ったのは、これが最初で、最後であって欲しいと切に願った。
「俺らに、何か用かい?」
チーフは、それが自分の仕事なのだろうと、気力を振り絞って、声を出す。
「マスカ五位、カリュウ。マスカ四位、リヴァイアサン」
自分で言っておいて、チーフはそれを信じたくなかった。信じたくない登場だった。
我知らず、チーフはつばを飲み込んだ。アリゲーターよりもマスカで上位を占める選手が、それも二人この場にいることの意味を、正直理解したくなかった。
「用と次第によっちゃあ……」
この二人を前にして、何と幼稚なおどしだ、とチーフは思った。しかし、少しでも安心するためには、そうするしかなかったのだ。
案の定、さっきから一人しゃべっているリヴァイアサンには、通じていなかった。というよりも、逆効果だった気さえする。
「ああ、おかまいなく。ちっとばかり、野暮用であんたらつぶしに来ただけだ」
結局、チーフの質問は仲間達に、理解よりも恐怖を持ってくる以上の効力はなかった。
続く