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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(85)

 

 チーフの恐れていたのは、まさにこれだった。

 マスカは、ルール知らず、何でもありを売りにする、非合法な団体だ。

 それでも、非合法は非合法なりに、ストリートでは絶大な人気と影響力を持っている。マスカの二十位以内にでも入れば、一躍ストリートでは有名人だ。

 十位に入れば、芸能人と同じ、サインさえねだられかねない人気を誇る。

 しかし、非合法であるからこそ、反面厳しい部分を持っている。それが、マスカの選手のケンカへの制限だ。

 マスカの選手にケンカを売るのは、一体一のみ。マスカの選手から売ってもいけない。それを破れば、マスカは上位の人間を使って粛正を行う。

 そうやってつぶされたグループは、けっこうな数に上り、そして、やられた方が容赦なしにやられる。ケンカなどできない身体にされた者も多いというのは、おそらく謙遜した噂だろう。非合法であるのだから、下はどこまでも行くのだから。

 マスカの選手が、マスカの結果に不満を持って大人数で人質を取ってリンチ、などどう弁解してもここにいる全員両手足折られても不思議ではない。

 ただ、一つ救いなのは、まだそれを行っていないということだ。

「マ、マスカの選手がケンカしていいのかよ」

 だから、チーフは怖くとも、そこにすがるしかなかった。事実、まだ実行はしていない。注意にとどめられるのなら、それに越したことはないのだ。むしろこれでアリゲーターがバカなことを断念してくれれば、チーフとしても助かるぐらいだ。

「あー、悪いな。悪巧みってかそこの頭足りないやつのセリフとか、ちゃんと録音しておいたから。ま、別に裁判出る訳でもないから、そこまでやる必要があるのか俺は疑問だけどな」

 しらばっくれるのはなしだと言われ、チーフは素早く作戦を変更する。

「ま、まだやってないだろ。口で言っても駄目なのかよ」

 正論である。ケンカ屋に正論など、戦争に人道を持ってくるような無駄な行為だが、相手が理性的であるのなら、まだ多少は効果があるだろう。

「もちろん、そんな訳はねえよ。言論の自由ってのを俺も推奨してるんでね。だが……」

 どこか嬉しげな顔で、リヴァイアサンはアリゲーターに目をやった。

「アリゲーターよ、あんたはマスカっていう責任があるんだ。適当なこと言ってくれちゃ困るんだよ」

「……」

 アリゲーターは黙ってリヴァイアサンを睨み付けている。チーフから見れば、アリゲーターが怒りを必死で押さえているようにも見えた。それほどに、この二人を相手にするのはアリゲーターとしても避けたいということなのだろう。

 頼むから、このまま我慢してくれよ。

 チーフは祈る気持ちで、リヴァイアサンとアリゲーターの、というよりもリヴァイアサンの一方的な会話を聞いていた。

「別にケンカするな、とは言わねえが、せめてタイマンにしときな。よほど弱っちい相手を一方的に虐めでもしない限り、マスカも干渉なんかしねえよ。だけどな、あの坂下って女、あれでもう一応マスカ九位だ。誰かさんの所為で、な」

 やばい、リヴァイアサンの野郎、リーダーを挑発してやがる。

 ケンカ好きなのは別にかまわないが、ここでケンカされれば、まず間違いなくこのグループは崩壊する。アリゲーターがまだ手を出していないのは、ただ勝てないと思っているからでしかないのだ。

 しかし、その冷静さも、どこまで続いてくれるか……

「赤目に頼めば、マスカで再戦もできるだろう。それを、グループ引き連れて人質取って倒そうなんて、ケンカ屋のプライドってもんが感じられねえなあ」

「ぐっ……」

 アリゲーターの、ぎりっと奥歯をかみしめる音が響く。こうなってしまうと、もうチーフははらはらとしながら見ているしかなかった。もし、チーフが口を挟めば、その拍子に爆発しかねない、そんな状況なのだ。

「まあ、まだやってねえようだから、ここでやらねえと言えば、万事丸く収まる訳だ。口約束でも、約束は約束だしな。何が何でも守ってもらうぜ」

 例え口約束であろうとも、つまりはマスカはアリゲーターの動向を把握しており、少しでもおかしなことをする様子があれば、いつでも潰せる、と言っているようなものだ。

 そして、そこまでが限界だったらしい。

 チーフには、アリゲーターの極限に小さい堪忍袋の緒が、極大まで膨張して、はじけたのを見たような気さえした。

 一気に、アリゲーターから怒気が溢れかえった。

「……囲め、マスカの上位二人を半殺しにしたって言えば、ストリートでは誰も逆らえなくなるぜ」

 アリゲーターの声は静かだったが、グループの人間は、誰一人としてその言葉には逆らえなかった。グループの人間は、それがアリゲーターが本気で怒っている姿だというのを知っている。そして、逆らえば半殺しにされるというのも。

 冗談ではなく、アリゲーターは今まで仲間を三人ほど半殺しにしているのだ。このグループは、普段はそうでもないが、事にあたるとき、アリゲーターの恐怖で動いていると言ってもいい。

 そして、そんなアリゲーターのまわりに集まったのは、好戦的で、思慮足らずな人間がほとんどだ。中には、本気でマスカの上位とケンカできることを、例えそれがフェアでなくとも、喜んでいるヤツさえいるだろう。そういうグループなのだ。

 アリゲーターの怒気にふれて、さっきまでマスカ上位の二人に気押されていた少年達は、それぞれに武器を持って、二人を取り囲みだした。

「おー、恐怖政治ってやつか? こういうの、俺嫌いじゃないんだよな」

 リヴァイアサンは、武器を持った多数に囲まれたにも関わらず、まったく動じた様子がない。

 緊迫した中、その輪にまじっていないのはチーフだけだった。止めようとしているのだが、チーフであっても、今のアリゲーターは怖い。自分が手を出さないだけでも、後で半殺しは決定だが、まわりを止めるなどすれば、それこそ本当に殺されかねないのだ。

 最初に動いたのは、今まで動きのなかったマスカ上位のもう一人、カリュウだった。

「他はまかせた。俺がやる」

「え、て、おいっ!」

 カリュウは短くそう言うと、リヴァイアサンの制止も聞かずに、真っ直ぐにアリゲーターに向かって動き出した。

 アリゲーターまでの間は、一番少年達が密集している部分。いきなりつっかかって来られたその場にいた者は、慌ててカリュウに向かって武器を振り下ろした。

 カリュウはそれを素早く避けながら、ほとんど何の障害もなくアリゲーターの前まで移動してしまう。それは神懸かり的な動き、まさに神速だった。

 しかし、いきなり詰められたというのに、アリゲーターはあせったりしなかった。自分の実力をかんがみたときに、それぐらいのことはやってくるだろうとわかっていたのだ。

 だからカリュウが動いた瞬間に、アリゲーターは無事な左拳にナックルを装備する。

「まずはてめえからだ! てめえ、ちゃらちゃらして前から気に入らなかったんだよ!」

 わずかに間合いから遠い位置で一度止まったカリュウに、アリゲーターは怒鳴った。それは、自分を鼓舞するための叫びだった。

 一人少年達に囲まれたリヴァイアサンは、それを呑気な顔で観戦しながら、ぼそりとつぶやいた。

「てか、カリュウのやつ、しゃべれたのか」

 そして、観戦モードでいるのも、それまでだった。何せ、実力はともかく、数で言えば二十倍近い武器を持った少年に囲まれているのだ。

 アリゲーターは、もうリヴァイアサンには目も向けなかった。正直言って、カリュウを倒すまでの時間が稼げれば十分、というよりそれ以上は無理だと考えていたのだ。

 今一番の問題は、一対一で、このカリュウに勝てるかどうか、それだけだった。

 その結論は、あっさりと出た。

「そっちはいい、こっちをカバーしろ!!」

 完調ならともかく、片方の拳が砕けている状況で、勝てるとは思えない。だから、アリゲーターは、グループでもそれなりに腕のたつ方の二人を、こちらに呼び寄せそうとした。

 が、その二人は、リヴァイアサンに一番近い場所にいた。実力的に、リヴァイアサンを押さえるには仕方のない配置、というよりも、どちらも血気盛んだったことが災いしたのだ。

 アリゲーターに呼ばれて、二人の気がそちらにそれた一瞬だった。

 その一瞬、風が舞ったかと思った瞬間に、二人の首もとに、リヴァイアサンの手刀が突きつけられていた。

「よそ見は良くねえなあ、ええ?」

 カリュウの動きも凄かったが、リヴァイアサンの動きも、見ている者達ですら目が追いつかないほどのスピードだった。

 ただの手刀であるはずなのに、まるで刃物をつきつけられたように、その二人は動けない。

 リヴァイアサンは、二人が動かないのを見て、余裕の表情で、カリュウとアリゲーターの方に目を向けた。

「さ、二人でじっくりやってくれや。俺は見てるからさ」

 

続く

 

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