アリゲーターは舌打ちと同時に、リヴァイアサンに手刀をつきつけられている二人に怒鳴った。
「バカ野郎、打撃系が止まってるんだ、掴め!」
はっ、として二人は慌てて首もとにつきつけられた手を取ろうとした。打撃は、距離がなければ威力は上がらない。打撃系の手足が自分の付近で止まっているのなら、危険どころか、チャンスでしかないのだ。
しかし、二人の手は空を切った。と同時に、リヴァイアサンの身体がくるりと回転する。
ズバンッ!!
相手の手から逃れながら二人の間で回転し、それぞれ反対の相手の延髄に、十分にスピードをつけて手刀がたたき込まれた。
それで、二人の意識は断たれる。大きな身体を持つ二人が、何の抵抗もできず、二人同時にあっさりとやられて、グループの他の者達も動きを止める。
リヴァイアサンにとってみれば、このレベルの相手、手が届く場所にいれば倒せるのだ。しかし、わざわざ一撃目はつきつけるだけにしたのは、デモンストレーションの意味を込めたからだった。
シパッ、とリヴァイアサンは腕をしならせ、構えを取る。片腕は大きく前に出し、片腕は脇を開き、上に。どちらも、拳を握っていない。
珍しい型だが、しかし、リヴァイアサンの実力を知らない者はここにはいなかった。構えるだけで、皆一歩後ろに下がる。
「で、やるか?」
さして大きな声でもなかったが、その声で、少年達の心はあっさりと折れた。しかし、それをアリゲーターが怒鳴って無理矢理立たせる。
「囲め! 四方向から一気にやれば反撃できるもんじゃねえ!」
アリゲーターの声に、まるで無意識に反応するように、少年達はリヴァイアサンを四方から囲む。よほど、アリゲーターの恐怖というのは少年達の身体にしみついているのだろう。
が、少年達は、囲むだけで精一杯だった。攻撃するのを誰もが躊躇している上、躊躇する時間さえ、リヴァイアサンは許してくれなかった。
ピピピッ!
一歩、少年達に近づいて、腰をひねったかと思うと、高速に振り回された手が、三人のあごをかすめる。
それで、三人が三人とも腰を落とす。一撃で脳を揺さぶられ、脚に来たのだ。恐るべき、打撃精度と威力だった。
「いやー、恐怖政治もさることながら、的確な戦術恐れ入るね」
少しも問題にしていないくせに、リヴァイアサンはわざとらしく手を叩きながら誉めると、意地悪く笑った。
「だから、そろそろそっちでどうにかしてくれよ、カリュウ」
はっとして、アリゲーターは意識をカリュウに向けた。カリュウは、今の今まで、確かに怒鳴るアリゲーターに攻撃を仕掛けてこなかった。
わずかな隙でも、カリュウにとっては十分致命的な隙だったはずだ。それを、アリゲーターはなめられた、と判断した。知らず声が低くなる。
「……何のつもりか知らねえが、意識が離れてるときに攻撃しなかったのを、後悔するぜ」
それに、カリュウは短く答える。
「お前を完全に敗北させるためだ」
「いやさ、確かに俺にとっちゃこいつらは何でもねえけどさ、さっさと頭を倒して終わらせようとか考えてくれよ。つうかカリュウ、今日はよくしゃべるな」
リヴァイアサンが横から口を挟むが、もうアリゲーターは怒鳴ることさえ止めていた。怒りで、声が出ないのだ。
確かに、自分の恐怖でも、グループの少年達はリヴァイアサンを攻撃しない。実力差がありすぎることなどわかっている。それでも自分の命令に従ってこその部下だ。
恐怖で部下を従わせるなど、無意味だと言われているようなものだった。恐怖は、やはり恐怖でしかなく、目の前に、リヴァイアサンという恐怖を見せられたときに、簡単に止まる。
いや、そんなことはない。俺は間違っていない。部下を従わせるのは、やはり恐怖でしかありえない。
「てめえら……」
「皆、手を出すな」
しかし、怒りをはき出しながら少年達を従わせようとしゃべりかけた言葉を止めたのは、アリゲーターが最も信頼する、チーフだった。
「チーフ、てめえ!」
「落ち着け、リーダー。あの女襲わなけりゃあ事は済むんだ。マスカとケンカして、何の利益があるってんだ!」
その通りである。アリゲーターにだって、それぐらいのことはわかる。しかし、それも、数秒迷って、簡単に答えが出た。
「……てめえ、この二人始末したら、殺してやる」
「リーダー……やめとけよ。この二人に勝てる訳……」
アリゲーターは、チーフの言葉に耳を傾けたりしなかった。利益など知らない。アリゲーターは、目の前にいるカリュウに、その怒りを向けることしか思いつかない。
……とは言え、どう戦うか。
戦略的には退くことを知らずとも、戦術的には冷静に状況を判断できるアリゲーターは、不利をあっさりと認めた。
マスカ五位、カリュウ。女性の人気は、最近ランクインしたイチモンジを超えて、おそらくマスカで一番だろう。そして人気もさることながら、打撃関節締め、何でも使いこなすオールラウンダーな実力は、実はアリゲーターと質が被り、非常にアリゲーターにとっては不利だ。
オールラウンダー相手では、相手の苦手とする戦い方で戦えない。そして、アリゲーターには片手の拳という不利がある。
ナックル一つで、覆せるか……
無理、とアリゲーターはあっさりと判断し、次の手を考えていた。というよりも、すでに用意していた。
不審な声が聞こえた瞬間に、使えないはずの右拳を、アリゲーターは無理矢理動かして、塩を握り込んでおいたのだ。ここで良く食事をしているチーフの私物だ。
不意をついての目つぶしから、左のナックルで一撃を入れる。視界を無くした相手を試合のときとは違う、腰を入れて全力で殴れば、確かに殺してしまう可能性はあったが、それしか手はない。というよりも、殺すつもりだった。
次のリヴァイアサンのことまでは考えていない。いや、打撃系であるリヴァイアサン相手ならば、どうとでもできる自信が確かにある。何より、ここでカリュウを一撃で倒せば、部下は間違いなく自分に従う。現金なやつらなのだ。自分が主戦力になって囲めば、リヴァイアサンであろうとも恐れることはない。
アリゲーターは、腰を落と、タックルの構えを取った。しかし、拳は握ったまま。打撃と組み技を両方使えるカリュウだからこそ、どちらを狙っているのか混乱するはずだった。
タックルの構えは打撃に向かないが、隙さえ作れば、そこからでも必殺の一撃を放てる。
アリゲーターは、カリュウに向かって一歩前に出た。相手の攻撃を受ける余裕がない以上、こちらから手を出すしかないのだ。相手に攻撃される前に、手を出す。
打撃が届かない距離で、一度動きを止める。それで、カリュウの意識のほんの少しのゆるみを狙う。
くらえ!
アリゲーターは右をしならせて、カリュウの顔面めがけて、塩を投げつける。
バッ、とカリュウが両手で顔をガードしたのを見て、失敗したとさえ思わず、アリゲーターは瞬時に狙う場所を判断する。カリュウの視界を遮るのなら、目つぶしもガードも同じなのだ。
その両手の下、あごがアリゲーターから見てがら空きであり、アリゲーターはそこに向かって、左拳を強く突き出した。
ドフゥッ!!
「かっ……!」
響いたのは、鈍い打撃音だった。硬い金属で、硬い骨を殴る音では、まったくなかった。
カリュウのつま先が、アリゲーターのみぞおちに深くめり込んでいた。
カリュウの顔面を覆う両手。それは、カリュウの視界を遮ったのではなく、アリゲーターの意識の目を遮ったのだ。
アリゲーターには焦りがあった。だから、カリュウの視界が遮られると、攻撃を我慢できなかった。
必ずナックルのある左パンチで来ると分かっている単調な動きは、カリュウには見るまでもなかったとうことだ。自分の攻撃にしか頭のいかなかったアリゲーターに前蹴りを入れるのは、容易い、そういうことだ。
一歩後ろに後退しながら、アリゲーターは身体をくの字に曲げる。それでも、苦しさの中、無理矢理顔をあげると、右の掌打を上から振り下ろそうとしているカリュウが見えた。
この俺が、負ける訳……
ズガッ!!
こめかみから頭に衝撃が走り、アリゲーターの意識はそこでブツリ、と切れた。
続く