「……試合?」
降って沸いたような話に、私は他人事のように田辺さんの言葉を飲み込んだ。
「そうそう、試合出ないのかなって。沢地さん、多分うちの部では四番目に強いと思うし、出てもいいんじゃないの?」
「……四番」
「あ、一番になりたいの? まあ、坂下先輩がいるから無理なんだけどね」
田辺さんはからからと心地よく笑った。それは、私も自覚のあるところだから、文句はない。
田辺さんの話を総合すると、空手の試合に出ないのか、ということだ。多少時期は過ぎているらしいが、空手は色々な大会があるので、探せば出られないこともないらしい。
正直、空手の試合には興味がないと言うと嘘になる。マスカの選手の自覚はあるので、もちろんメインはそちらになるが、それでも単純に空手には、というより、実際の格闘技をやっている高校生の強さというものに興味はある。
……ヨシエさんみたいな選手が沢山いたらどうしよう?
「あはは、沢地さん、坂下先輩みたいな人はそういないって」
「……そんなこと言ってないけど」
「顔に出てる顔に出てる」
そうなのだろうか、というかどんな顔をしていたのだろうか?
まあ、でもヨシエさんみたいな選手がそういないのは、素直に理解できる。あんな強さの人間がほいほいいるのなら、マスカなど単なるおかざりのようなものだ。実際に、格闘技をやっている人間も多いし、そもそもそういう人間を倒すことも多いマスカの実情を見れば、ヨシエさんが 特殊なのは理解できる。
「え、沢地さん、試合出るの?」
話の場所が教室なので、空手部以外の友人もいる。私は、はやめにはっきりさせておこうと思って、答える。
「でない。私も忙しいから」
「あ、出ないんだ。田辺から、沢地さん強いって聞くのに」
「そうなの。沢地さん、多分部活で四番目だよ」
「四番って、坂下先輩がやっぱ一番?」
「まー、あの人は規格外だから」
ヨシエさんの名前は、ここでも有名である。女の子の人気はもしかしたら学校一かもしれない。確かに、大したことのない男よりは、よほど格好いいのだから、おかしな話ではない。
一番はヨシエさんとして、二番目は池田先輩、そして三番目は御木本だろう。
「でも、先輩入れて四番目って凄くない?」
「でも、うちの空手部って、三番目の御木本先輩から、けっこう間があるんだよね。層が薄いって話もあるのよ」
「あ、御木本先輩か〜。あの先輩格好いいよね?」
普通の女子高生は、とりあえず外見のいい男はチェックしているらしい。予想以上に、御木本というのは有名人らしい。というより、坂下先輩の次に話題に上りやすい人だ。
「やめときなって、御木本先輩は。そりゃ、顔はまあまあだけどさ。近づくと妊娠するよ」
「できちゃった結婚ってのも悪くないんじゃない?」
「捨てられるって。あの先輩に、そんな甲斐性ないって」
実情を知っているからなのだろう。空手部の女子とクラスの友人では、その反応に大きく差がある。
「私は、御木本先輩よりも、佐藤先輩の方がいいかなーとか思うけど?」
「フリーらしいしねえ。でも、なかなかOKもらえないらしいよ? 心に決めた子がいるとかじゃないの?」
「佐藤先輩一途っぽいもんねえ」
「矢島先輩とかどうよ?」
「矢島先輩、好きな子いるらしいよ?」
「えー、マジ? でも、好きな子ってことは、付き合ってるわけじゃないんじゃない? 略奪愛ってのもいけてると思うけど」
「付き合ってないんなら、略奪じゃないっしょ」
「ちょっと怖そうだけど、藤田先輩とかは?」
「前聞いたんだけど、困ってたら仏頂面して助けてくれたって。あの顔で、そんなことされたら、何か一撃かも」
「絶滅種の硬派ってやつ? 最近流行らないけど。でも……いいかも」
「駄目駄目、ライバル多すぎだって。うちのガッコの主要な美人が狙ってるってもっぱらの噂だよ?」
「……てかあんた、何げによく調べてるわね」
「もち。恋は戦いなんだから」
「顔いい先輩だけチェックしてるのって、動機が不純だけどね」
ちょっと、というかかなり私にはついていけないテンションだ。みんなが目の色が変わっているのを横目に、少し静かになる。
「沢地さんはどう? 御木本先輩とか」
クラスの女の子が、そんな言葉をかけてきたので、私は思わず嫌な顔をした。
「御木本……先輩は、あまり得意じゃないから」
「へー、めずらしい。空手部の子からは、口ではめちゃくちゃ言われてるけど、けっこう何かよくわからない人徳があるっていうか、慕われてるって雰囲気あるんだけど」
と、その子は田辺さんから隠れるようにしながら、こそっと私に耳打ちする。
「私の私見だけど、田辺は、御木本先輩のこと好きなんじゃないかな? だから他の子近づけたくなくてあんなこと言ってるけど、話題に上る確率かなり高いし」
「こら、聞こえてるぞ。あれの実情を知らないから言えるんだってか、何で私が御木本のゴミに惚れなきゃならん」
ちゃんと聞いていた田辺さんはその子をヘッドロックに切って取る。もちろん、遊びだ。
「痛い痛い痛い、ギブギブ! てか図星突かれたからって暴力は卑怯だ!」
「まだ言うか、くのくのくの、悪い子はいねえか〜」
「あたたたた! 何でなまはげ様!?」
「てかあんたら、何で地方の風習知ってるのよ」
みんなの和気藹々としたやりとりに、私は当初の目的、というか考えていたことを忘れそうになっていたが、慌てて意識を戻す。
試合……興味がないでもなかった。体重別になっているのは気に喰わないが、無差別級に出ればいいし、当てないのが嫌なら、フルコンタクトの試合に出ればいい。
でも、興味はあるけれど、まあ、無理だと自分でも自覚がある。
フルコンタクトの試合なんかに出れば、私も無傷というわけにはいかないだろ。マスカで無茶をしているのに、他の場所で無茶をする余裕はないだろう。
いつ来るかわからないマスカの試合のために、いつもコンディションを整えておかねばならない。だから、マスカにいる間は、私には表の世界のことは関係ないのだ。
それでもヨシエさんに出ろ、と言われれば、何か意味があると思って出るのだけど。
まだわいわいと騒いでいるみんなをみながら、とりあえず、御木本の顔が頭に浮かんで。
本気で私は気分が悪くなった。さすがに、これは恋ではないと思う。
続く