藤田浩之が、微妙な顔をするのも、それは頷けた。
藤田浩之が三位に甘んじた理由、それは、この寺町に負けたからなのだから。
もっとも、藤田浩之の実力を、私は見たことがない。エクストリーム予選三位なのだから、弱い訳はないと思うが、怪我もあり、戦ったことも見たこともないのだから仕方ない。
一応、会話から、ヨシエさんよりは弱いとは思うのだが。
「いやいや、奇遇だな、藤田さん」
屈託なく話しかける寺町に対して、藤田はどこか嫌そうだ。さもあらん。自分に勝った相手だ。私だって、戦って負けた相手に会うなど、ヨシエさん以外なら嫌だ。
「ああ、ひさしぶり。相変わらず、楽しそうだな」
「もちろん。とくに、坂下さんとの練習は身になることも多いし、今日は珍しい人とも戦えたしな」
倒れているビレンの方を見て、藤田はますます納得したようだった。
「坂下にやられてるかと思ったら、意外な伏兵だな」
まったくである。パワーバランスを考えるのなら、これ以上強い人間など出さないで欲しいものだ。藤田にケンカを売ったときから、私の自分の中の強さのランキングは下がりっぱなしだった。
確かに、ヨシエさんに会えたことは、何よりも幸運ではあったのだけど。
「しかし、藤田が来るってのも珍しいね。葵、そんなにこいつのこと心配してるの? あ、田辺、こいつかたづけといて」
「押忍」
倒れたままぴくりとも動かないし、かなり危ないのでは? と思うのだが、ヨシエさんには何てことないらしく、田辺さんにビレンをかたづけるように言うと、田辺さんも何故か手慣れた手つきでビレンを道場の外に引きずっていく。まさか、本気で外に捨てる訳ではないだろう、と思っていたのだが、実際にそのまま道場の外に引きずって行ってしまった。
……きっと、保健室に連れていったのだろう。女の子一人では人間一人を持ち上げることができないから引きずっただけだ。決して、あの後外の花壇にでも埋めようという訳ではない……と信じたい。でないと、ビレンの身は何も心配していないが、寝覚めが悪くなりそうだ。
「いや、心配っつうか、あれでも一応けっこう強いから、坂下はともかく、他の部員の邪魔になってるんじゃないか心配してたぜ」
「いやいや、いい練習相手になってくれて、感謝しているぐらいだ」
「多分相手はそうは思っていないと思いますが……」
中谷さんのつっこみに、私も心の中で同意した。
もっとも、わざわざ自分からケンカをふっかけたのはビレンの方なのだが。なめて飛び道具を置いてしまったのもいただけない結果を生んだ一因だろう。いや、飛び道具など持っていたら、ヨシエさんにもっと早くKOされていたか。
どちらにしろ、ビレンにとっては厄日そのものだったということだ。
「あの〜、いいですか?」
坂下さん達が、やっていることの危険さとは裏腹に、和気藹々と会話をしているところに、部の女の子達が何故か集まって近づいてくる。
「ん、どうした? 各自自主トレでいいけど?」
「押忍、そうではなくて……藤田、浩之さんですよね?」
中の一人が、意を決したように、藤田に尋ねる。
「ん? 俺? いや、そうだけど」
女の子全員に面識がないのか、藤田は不思議な顔をして答えた。
何故か、それで部員達が色めき立つ。
「あ、あの、エクストリーム予選三位の藤田浩之さんですよね?」
「ん、そうだけど」
その言い回しはどうかと思う。何せ、自分を三位にした人間が目の前にいるのだ。私なら勢いでキレている。まあ、藤田はそうことはないみたいだが、戸惑っているのは確かなようだ。
「あの、サイン下さい!」
「……はあ?」
「わ、私も」「私も〜」「あ、ここに『よっちゃんラブ』ってお願いします」「一緒に携帯で撮らして下さい!」「あ、じゃあ私は握手で」
どどどっ、といきなり部員の女の子達が詰め寄ってくる。あっけに取られている私たちを横目に、藤田は女の子に囲まれて身動きが取れなくなってしまった。
「い、いや、そりゃそれぐらいいいけど……」
まだ状況のつかめていない藤田は、その場の女の子達の勢いにずるずると引きずられるように、言われた通りにサインしようとして、どう書いていいのかわからなかったのだろう、首をひねったりしている。
「……何かみんなして変なもの食べた?」
ヨシエさんにもいまいち状況がわかっていないようだ。私にもさっぱりわからないが、ついでにそこで笑っているバカには絶対に理解できていないと思う。
「むしろ当然だと思いますけどね」
中谷さんが、不思議そうというか、理解しがたいものを見る目で部員の女の子達を見ているのを見て、苦笑している。
「エクストリームなんていう有名な大会で、本戦に出る選手なんですよ? それが同じ学校にいて、しかも格好いいとなれば、普通に女の子達も寄っていきますって」
藤田が、客観的に見て、多少棘があるようには見えるが、格好いいのは私も認める。そもそもスポーツマンというのはもてるのだ。しかも、それで顔も良ければ、言うことはない。
正直に言えば、私だって、格好良い男の子の方が、格好悪いよりも何倍も好きだし、気持ちはわからなくもない。
「そんなものか」
「そんなものですよ。部長には、一生縁のない光景かもしれませんけどね」
「ん? 俺は関係ないだろう。それよりも、主将と呼べ。いいかげん、下にも示しがつかないだろうが」
「もとからそんなものないじゃないですか」
「む……、これだから、伝統のないうちの部は他から軽く見られるのだ」
「奇異の目で見られるのは、寺町、絶対あんたの所為だと思うけどね。」
同じ理由から言えば、別段極端に劣っている、というほどでもない寺町だとは思うけれど、私の感想から言うと、絶対この男はもてないと思う。理由は説明するまでもない。
「へえ、あの藤田がねえ。見ただけじゃわからないとは言え、少し意外だ」
同じ学年だと思うのだが、池田先輩はあまり藤田と親しくないのか、そんなことを言っている。確かに、見た目ではよくわからない。藤田は、どちらかと言うと格闘家というよりは、軟派な感じがする。うわついているというわけではないのだが、やる気がないように見えるのだ。
「まだ今年の春から格闘技を始めたばかりだから、仕方ないと思うけど?」
ヨシエさんが、何気なく言った言葉を、私は一瞬聞き逃しそうになったが、ぎりぎりで頭の端にひっかけた。
「ん? 誰が?」
池田さんは、そんなことはなかったのだろう、すぐに聞き返していた。それほど、ヨシエさんが不思議なことを言ったからだ。
「誰がって、藤田の話。今年の春に、ほら、前に話した葵と綾香に会って、格闘技始めたんだよ。成長率で言えば、こう言うのは嫌だけど、天才っているもんだと思うよ」
……今年の春?
というか、今はまだ初夏だ。春というのは、ついこの間の話だ。
それで、エクストリーム予選三位……エクストリームというのは、大したことはない……訳はないだろう。ビレンは、松原さんにも負けたらしいし、私の目の前で、ほとんど手も足も出ずに寺町に倒された。
そんなに、私が思う以上に、表の世界と、裏の世界の実力は差がある?
私は、そんな差などない、いや、マスカで戦う以上、マスカの選手の方が強いと信じている。しかし、目の前で私よりも順位の上の選手が為す術なく倒されているのを見ると。
女の子に囲まれて、どこか困っているような、というか絶対困っている藤田を、私は無意識に、うるんだ目で見ていたと思う。
実力を知らしめる訳ではなく。
藤田浩之と、本気で戦いたい、と心から思った。
そして、気付いたのだ。藤田の身体の動きに、違和感がないことに。
藤田の怪我が、治っていることに。
続く