「藤田……先輩、少し練習を見せてもらえませんか?」
そう言われたとき、浩之は、そら来た、と思った。何故か知らないがいつの間にか人気者になっていたらしい自分だが、であれば、その延長で、一緒に練習を、と言われても不思議ではないと思ったからだ。
しかし、言った子を見て、浩之はとっさに声が出なかった。
ランが何故?
ランが空手部にいるのは知っているし、もちろん気付いていなかった訳ではない。しかし、ランは、そういうサインだのという話とは無縁だろうと勝手に考えていたのだ。
「沢地さん、ナイスアイデア!」
「そうですよ、先輩。ちょっとだけ一緒に練習しましょう」
別に、浩之だってそれに不満がある訳ではない。葵を置いて来ているので、そこまで長居をするつもりはないが、一時間ぐらいなら問題もなかろう。
しかし、練習を見せて欲しいなど、ランが言う真意がよく分からない。
「私も興味あるな、それは」
「男はいらね」
「ふむ、藤田さんと練習か……面白そうだ」
上から、池田、御木本、寺町の順だ。御木本は置いておくとしても、皆乗り気である。池田も、強いと聞けば、実力を知らずにはおれまい。
「まあ、いいけどな」
練習はどこでやっても練習だ。いつもと違う環境というのも、悪くないかもしれない。浩之も、そう思うことにした。
「ただし、寺町とは組み手は止めてくれよ。せっかく怪我が治ったのに、また怪我をしかねない」
それでも、くぎを刺す部分は、ちゃんと刺しておく。
「はっはっはっは、いや、おしいおしい」
寺町は笑っているが、明らかに落胆していた。この男、結局楽しいかどうかが判断基準なのだ。浩之を前に置くのは、猫の前にかつおぶしを置くよりも危険だ。
「ま、いいか。藤田、とりあえず予備の道着があるから、それに着替えな」
坂下も、あまり迷いはしなかった。浩之の実力は理解しているし、この男が、案外後輩の面倒を良く見るのを、葵を見ているので知っている。
一年では、どうあがいても勝てない実力も、けっこう丁寧な教え方も、実際、空手部には欲しい人材ではある。だからと言って、無理矢理引き込もうとは思わないが。
浩之は、すぐに着替えを済ませて、練習に加わる。土曜日はけっこうハードな練習ではあるが、すでに組み手観戦モードに入っていた部員達は、約束稽古を繰り返している程度だ。
そう言えば、健介が復帰していないことに気付く。おそらくは、念入りに寺町に殴られたのだろう。今日は復帰して来ないだろう。
「んじゃまあ、空手の基礎から教えてくれるか? 多分、空手自体は素人なんでな」
葵の指導はあるとは言え、確かに浩之は詳しく空手を教わった訳ではない。葵一人ならそうもなっていたかもしれないが、葵だってエクストリームのために、研究を重ねて、純粋な空手とはけっこう離れているし、綾香は言うに及ばず、武原道場がそんなものの訳はない。
「じゃあ私が」
「ずるーい、先輩、私が教えてあげますね」
「ちょっと、あんた人に教えられるほどうまくないじゃん」
浩之は、ははは、と乾いた笑いをするしかなかった。言葉だけ聞けば、えらく険悪にも聞こえるが、むしろ和気藹々という感覚の方が強い。自分がからかわれているなあ、と感じながらも、浩之は素直に女の子達に合わせる。もっとも、女の子達にとっては、ほとんどからかう気などないのだが、そんなことを理解しろと朴念仁の浩之に言っても仕方のないことだ。
しかし、鈍感なことはともかく、実際に動き出せば、流石は浩之、空手部の女子ではほとんどついていけない。天性の運動神経に、最近は苦しい練習も追加されているのだ。どうして一般人がついて来られようか。
とりあえず、空手の型、演舞を教えてもらっていたのだが、その上達は、怖ろしいものがあった。
女の子達は、それを肌で感じ取ったのか、すぐに自分達は動くのをやめて、浩之の動きを見ながら、誉めるのにまわっている。いや、というよりも、見惚れているというのが正しい。
派手な技というのは、得てして実戦では役にたたないと言われる。もちろん、まったく役にたたないとは言い切れないが、単純に言うと隙が大きいからだ。
いわゆる、「見せ技」というものに、強さとしての価値は、ないのかもしれない。
しかし、見せ技とはまったく正反対のものでありながらも、美しい技というものは存在する。いや、美しい動きと言うのが正しいか。
人の動きが、理にかなっているとき、そこには美しさが生まれるのだ。
それがどんな格闘技、いや、スポーツであろうとも、正しい動きという者は、人に綺麗と感じさせるものを持つ。
浩之の動きは、拳一つにしても、理にかなっている。そのよどみない動きは、まるで華麗な演舞のように見えるのだ。もちろん、浩之の、いつもよりも真剣な表情をした容姿がそこにプラスを与えていることは確かなのだが。
さっきまであった誉める言葉もなく、女子部員どころか、他の男子部員も、池田でさえ、浩之の付け焼き刃であるはずの演舞に見惚れてしまった。しぶい顔をしているのは、御木本ぐらいだ。
演舞が終わると、知らず拍手が起こる。
「相変わらず小器用だね、藤田は」
坂下は苦笑した。まだまだ坂下の目から見れば、ただ身体能力で動きをなぞっているだけに見えるが、それでも部員をうならせるには十分なパフォーマンスだというのは分かっているからだ。
「ま、猿まねさ」
「そんなことないですよ、凄いです、藤田先輩」「そうそう、いっそのこと空手部入りません?」「先輩ならすぐに全国行けますよ」
浩之は、そんな女の子達の言葉を、苦笑しながら流している。別に空手が嫌いという訳ではないのだが、浩之は空手をするつもりはない。
浩之の格闘技の幹は、葵と綾香なのだ。どちらも空手出身ではあるが、しかし、今浩之が戦いたい場所は、空手ではない。
「あの、いいですか?」
今度こそ、ほら来た、と浩之は思った。
確かに、浩之の予測通りの展開だった。どこか思い詰めたような顔で、ランが浩之に話しかけて来たのは、もう最初に声をかけられたときに予測がついていた。
「ああ、いいけど」
「あの……少し、組み手しませんか?」
その言葉を、女の子達は、こう理解した。
「坂下先輩と? それはちょっと見物かも……」
「あ、でも、藤田先輩凄そうだけど、坂下先輩はちょっと規格外だからなあ」
挑発にさえ聞こえるが、女の子達はそんな気は毛頭ない。坂下の強さは、女の子達にそう言わしめるだけのものがあり、それに浩之も異論はない。
しかし、ランが言っているのは、そういうことではない。
「私と、組み手をしてくれませんか?」
女の子達が驚いてランを見るが、浩之は驚きさえしなかった。というか、やっぱりとさえ思っていた。
まわりに目を向けると、そういう顔を今まで一番見てきたことが多いのだろう、中谷が苦笑している。彼は、寺町というそういう人間を見ているのだから、当たり前かもしれない。
浩之も、ランの表情を見て、すぐにわかったのだ。何故なら、それは戦いたくてうずうずしている綾香の表情に、よく似ていたからだ。
こうなると、人間まずくつがえらないのを知っているので、どうしたものか、と浩之は正直困った。
続く