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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(95)

 

 渾身の、右ハイキック。

 繰り出した感覚は、私の人生最高のキックである確信の持てるものだった。こんな、ケンカとしては中途半端な状況で使うには、もったいない、とさえ思えた。

 うなりをあげる時間さえ、ほとんどあり得ないスピードの中で。

 パシッ

 私のキックは、空を切った。

 ……え?

 何が起こったのか、理解できなかった。しかし、私の脚には藤田浩之を捉えた感覚はなく、そのまま藤田浩之の頭上を通過していた。

 藤田浩之が、頭をかがめたところまでは、身体は反応していた。ちゃんとそれには対応して、そのかがめた頭めがけて打ち出したはずだった。

 しかし、結果として起こるべき直撃はなく、私はハイキックをミスした。

 違う、ミスさせられたのだ。

 それは、まぎれもなく藤田浩之の能力。その瞬間には私には理解できなかったが、後から聞けば、何のことはない内容だった。

 藤田浩之は、私のハイキックに、アッパーを当てて、上にそらしたのだ。

 ……強がりを言わないのなら、何のことはない、などというものでは、決してない。おかしい、おかしすぎる。

 そんなことが、本気で出来る訳がないではないか。聞いた瞬間の私の感想は、説明するヨシエさんが嘘をついているとさえ思ったほどだった。

 そこにある、狙ったはずの私のハイキックが当たらなかった、という事実と、確かに感じた脚への感触がなければ、信じ切れなかった話だ。

 中谷さんがエクストリームで使った技を、真似ているだけ、とヨシエさんは教えてくれたが、真似ているだけ、なんて。

 人間のハイキックを、アッパーでそらすなんて、真似ているだけで出来るものじゃない。いや、それに特化したって、道理にかなってない。

 不条理にかんしゃくを起こしたくもなる。しかし、そんなことは、試合が終わってからの話であり、ハイキックが当たらなかった瞬間は、そんな余裕さえなかった。

 たかが、ほんの少し前の攻撃よりも前に出ていた私は、途端ピンチに陥っていた。

 藤田浩之の、アッパーに返すような右のフックが、ハイキックを空ぶった私に打ち出されたからだ。

 私は、とっさに両腕でガードする。無様なガードだったが、とりあえず、腕に当たってくれれば、KOは逃れられるのだ。

 そして、またその瞬間に、私は信じられないものを見ることになる。

 私の、確かにいびつではあった即席のガードだが、確かに腕はそこにあった。

 なのに、藤田浩之の拳は、気持ち悪くスルリと、私の目の前に抜けて、止まった。

「一本!」

 ヨシエさんの合図がある。これで二本目を私は取られたことになる。

 いや、取られた一本など、実はこのときどうでも良かった。と言うより、気にしている余裕すれなかった。

 ガードを、抜けられた?

 これも、聞けば松原さんの技の劣化版みたいなものらしい。冷静に、相手のガードを予測して、それをかいくぐっただけ、とヨシエさんは言うが、そんなこと、格闘技の一瞬の世界で出来ることだというのが、私には信じられない。

 何せ、ガードというより、腕に当たった感触がなかったのだ。大きなグローブこそないが、それでもウレタンナックルは拳を大きくする。それでも、擦った感触さえなかったのは、私のガードがいまいちであるのを差し引いても、その瞬間感じた、気持ち悪い、という感覚が一番ぴったりだった。

 二回、私は藤田浩之にいいようにやられてしまった。しかも、二回目は、自分の最高のキックだ、という自覚があったものを、無理矢理ミスさせられた。

 もう、ここまで来ると、強がりも言えない。私は、藤田浩之に今の段階では勝てない。だって、そうではないか。まだ、藤田浩之は、自分の技を見せていないのだ。近くで見て来た人間の業を、真似たものを使っただけ。それだけで、私は手も足も出ない。

 悔しくて、唇をかみ切ってしまいそうだった。ここでも、私は通用しないと言うのかと思うと、死にたい気分になる。

 それでも、後一本残っていた。気分は最悪、コンディションは、悪くなりこそすれ、良くは決してならないが、それでも、負けを認めるなど、あり得ない。

 私が、意地を通しきろうと思って、三本目を取られるだろうと思いながらも、構えを取ったのを、そこで邪魔する人物がいた。

「いやいや、えー、君。俺と変わってくれないか?」

 何をバカな、と思いながら、私は出てきた寺町というバカに目をやって。

 怖い、と感じた。

 バカはそれはバカだから、常識とはかけ離れた場所におり、そういう意味で怖い、というのはある。しかし、今の寺町は、違った。

 純粋に、それは暴力の獣として、怖い。

 武道、それは道がつく時点で、精神鍛錬とか、道徳とか、そういうものがついてまわるが、しかし、今の寺町は、そういうものとはまったく関係ない存在だった。ただただ、それは暴力に魅せられた、一匹のバカな獣だった。

 怖いと感じるのは、何年ぶりだろうか。しかし、強がりも言えないほど、私の本能は、嬉しそうに笑いながら近づいてくる寺町を危険と判断していた。

「本当は、病み上がりだから、我慢しようと努力してはみたんだが……無理だ。やっぱり、こんな楽しそうな相手、人にまかせておくのはもったいない」

「おいおい、俺はやる気はないんだが」

 藤田浩之は、それに軽く否定を返す。バカな、わかっていないと言うのか。今のこの男は、そんな簡単なもので止まるようなものではないということが。

 二人はまったく冷静で、緊迫した状況ではない。しかし、一発触発という言葉が、ここまで似合う場面もなかった。

 私は、ごくり、とつばを飲み込んだ。その瞬間は、もう私の出番ではなくなっていた。

 その、危険な状況を打破したのは、むしろまったく関係ない人間だった。

 いや、関係ない、と言ってしまうと、その人物がさすがにかわいそうになってくる。

 二人に気を取られていたとは言え、私はそれの接近に気付かなかったのだ。私だけでなく、それの標的の寺町も、気付かなかったのだから、それのうまさを誉めるべきだろう。

 いきなり、寺町の首に、腕が回された。

「取った!」

 は? と何が起こったのか、また理解できなかった私と放っておいて、そのいきなり現れた伏兵、というか死体のはずだったマスカ十五位、ビレンは、寺町の首に腕をまわして、スリーパーに取った。

「油断したな、やられっぱなして俺が引き下がるかよ!」

 密かに寺町に近づいて、バックを取り、寺町の首を捉えたのだ。さっきまでの死体の状態を考えると、涙ぐましい努力である。不意打ち自体に関して言えば、悪役の名を持つビレンに、躊躇などなかったろう。

 しかし、そのビレンの努力は、報われないものとして終わる。

 寺町は、ぐっ、と握りしめた拳を、腕を伸ばして一端下に構え。

 ズガシッ!

 そのまま、後ろのビレンの顔面を、器用に殴った。

「うぶっ!」

 KOできるまでのダメージはなかっただろうが、しかし、さっきまで倒れていたビレンをひるませるだけのものはあった。

 寺町は、するりとビレンの腕を抜けると、ふりむきざまに、拳を上に構えた。

 ヅバンッ!!

 打ち下ろしの正拳突きが、ビレンを貫き、ビレンの身体は、為す術なく床にたたき落とされた。

「押忍、すみません、逃げられました!」

「駄目じゃないか、田辺。ちゃんと見ておかないと」

 入り口から、さっきビレンをひきずっていった田辺さんが戻って来て、慣れた手つきで再度倒れたビレンをひきずって行く。

「……ふむ、すまない。今は俺の出る幕ではないようだ」

 その一撃で我に返ったのか、寺町は下がる。哀れなビレンのおかげで、危険な状況はそれで避けられたのだが。

 結局その後、私はもう一本も、為す術なく取られることになった。

 

続く

 

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