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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(96)

 

 綾香は、日陰で、草の上に寝そべっていた。

 ほどよく生えた芝生は、気持ちよい緑の匂いをさせている。初夏も始まり、そろそろ暑さを感じる時期だが、今は涼しい風が吹いているので、心地よい。

 ミニスカートに、白いシャツという健康的だが、目のやり場に困るというか、積極的に目を向けたくなるような格好だ。

 喉をゴロゴロとならさんばかりにくつろいでいた綾香だったが、急に、ぴくんと反応して立ち上がる。その仕草まで、まるで猫そのものだ。

「綾香、おまたせ」

「遅い、浩之」

 不満そうに良いながらも、綾香は飛び跳ねるように浩之の横に近づくと、腕を取った。

 今日は休日。公園で綾香と浩之は待ち合わせをしていたのだ。簡単に言ってしまえば、これからデートなのだ。葵には見せられない光景である。

 ただでさえ、二人は色々と忙しいのだ。休日も、実際のところ浩之などは休んでいる場合ではないのだ。だからこそ、この貴重な時間を、十分に堪能しなくてはならない。それを、遅刻とはいい身分である。

「遅いって、まだ待ち合わせの時間から二分ぐらいしか超えてないだろ?」

「私は十分前には来てたわよ。というか、男が遅れるってのはどういう了見よ」

 今回に限って言えば、綾香の言う言葉は正しい。浩之も、「悪かった悪かった」とぞんざいに謝る。綾香が本気で怒っている訳ではないのはわかっていたからだ。

 綾香が本気で怒るようなら、浩之はデートの約束もすっぽかして全力で逃げるところだ。逃げ切れなかったときのお仕置きも怖いが、未来の苦痛よりも現在の苦痛の方がせっぱ詰まっている分重要である。

 まあ、今日のところは、綾香は上機嫌であるようなので、その心配はないようだ。

「じゃ、とりあえず歩く?」

「ん、まあそうだな。最近ゆっくりなんてしてねえからなあ」

 綾香の提案に、浩之は同意する。

 実際、今の浩之は満身創痍で、元気に遊び回る余裕はない。遅れたのも、ギリギリまで寝こけていたからだが、怠慢ではなく、やむにやまれぬ身体の事情というやつだ。

 怪我が治ってから、浩之は毎日が地獄のような苦しみを味わっている。怪我を治す間に身体が衰えただけではないだろう。明らかに、武原道場の二人は、しごきをきつくしている。

 しかし、浩之は浩之で、学校と部活が終われば、毎日のように武原道場に通っているのだ。それは、手っ取り早く強くなる方法を考えた結果出した、浩之なりの答えだった。

 休みは、日曜のみ。正直、最近は授業の半分以上を寝て過ごしている。こんな生活を始める前は、単なるサボリとしての睡眠だったが、今は生きるための切実な休憩だった。

 今日も、それを考えれば、家でゆっくりと休むべきときだ。綾香と違い、浩之は練習して来た時間が他の格闘家と比べて極端に少ない。それを補うのは、やはり時間しかないのだから。球速も、立派な練習の一つなのだ。

 それでも、浩之は綾香の誘いを断らなかった。特に最近は、部活で会うばかりで、二人きりで会う機会がない。遊びに誘われて、承諾したときの綾香の電話越しの嬉しそうな声を聞き、今、嬉しそうというより、浮かれているような顔を見れば、多少身体にがたが来ていても、来て良かったと思えた。

 二人で公園を歩き、何げない話をする。学校のこと、部活、と言ってもいつも会っている場所ではあるのだが、のこと、何を食べただとか、どうでもいいテレビの話。

 どこか、それが遠い世界の話のように浩之には思えた。格闘技づけの生活を送っているので、どこか精神が病んだのだろうか、と冗談を考えながら、ゆっくりと歩く。

 綾香は、おそらくは浩之に合わせているのだろう。浩之も、それは自覚していた。綾香が、浩之の疲労の具合を見誤るとは思えなかった。

「あ、そうそう。次の相手が決まったわよ」

「……ん?」

 唐突に振られた話の内容を、浩之はしばらく吟味して。

「……もしかして、マスカのか?」

「今私が出られる試合なんて、それしかないじゃない」

 どこの格闘技大会だって、エクストリームチャンプであり、かつアイドルを遙かに凌ぐ美少女である綾香に、自分の大会に出て欲しくない訳がない。

 所詮、現代の格闘技の世界は人気が全てだ。どんなに強くとも、人気がなければ観客が来ない、観客が来なければ、大会など開けない。

 しかし、綾香は、もう一つ問題を持っている。

 強すぎるのだ。一応、一度他の小さな試合に出たことがあるらしいが、本当に圧勝。綾香の攻撃以外では、綾香の肌が相手に触れた部分はないほどだった。

 ワンマンの試合は、観客には喜ばれるが、しかし、大会主催者から見れば、双刃だ。

 綾香の強さは、大会のレベルの低さを路程させてしまう。綾香がいる間はその人気を保てたとしても、いなくなれば、廃れるのは必至。

 それに、綾香も自重しているのだ。綾香とて、誰も彼もを殴り倒したい訳では、一応のところない。しかし、結果として綾香は大きな差でそれを行ってしまう。

 綾香に負けて、選手生命を絶たれた格闘家は多い。肉体的にもそうだが、一生勝てない相手がいる、というのは、精神的にかなり負担になるのだ。

 綾香は、もちろん対戦相手のレベルの高さもあるのだが、だからこそエクストリーム一本に絞っている。

 マスカは、そんな中で降って沸いた、久しぶりの試合なのだ。しかも、綾香に一撃入れることができるような選手のいる。

 それにしても、部活のことはともかく、デート中には格闘技から離れたかったのだが、と浩之は頭の中で独り言をつぶやいた。そういう浩之だって、あまり格闘技のことが頭から離れていなかったのだから、同類なのだが。

「……で、相手は誰だ? って聞いてもわからねえけどな」

「順位は分かるわよ。四位、リヴァイアサン。大仰でセンスない名前よね」

 その意見には賛成だ。某有名ゲームを思い出す名前だが、そちらの名前なら軽すぎるし、古代オリエント・アッカド神話とかもっと実際の神話に近づくと、大げさな名前だ。

「それにしても……」

 四位、だ。生で見た上位のマスカの選手の強さを考えると、浩之と同等か、いやそれ以上の強さを持つと思って間違いなかろう。

「ちゃんと今度は浩之に席用意しておくから、見に来てね」

「そりゃ、ちゃんと応援するけどさ」

 四位の強さを、綾香を目の前にすれば怖ろしいとは思わないし、浩之としても、強い選手相手の試合というのは、参考にもなるし素直に見てみたいと思う。

 しかし、正直、マスカと関わっていると、ろくなことなさそうなんだよなあ。

 それで思い出した浩之は、ふとそれを口にする。

「そういや、坂下の下についてる、ランってマスカの、まあ、三十位あたりの選手なんだけどさ、空手部に行ったら、そいつと試合させられてな」

「普通、デート中に他の女の子の話をする?」

「いや、全然色気のある話じゃねえし」

 別にそれで何を言おうとした訳でもなかったので、浩之は軽くつっこみを入れる。

「で、ボコにしたの?」

「ボコって、死語じゃねえか? 相手は女の子だろ。ま、寸止めで、ちゃんと勝ったさ」

「んー、三十位じゃあ、浩之の相手じゃないわよねえ?」

 さも当然、と綾香は言い切る。

「本当、今の浩之なら、私が相手してあげてもいいぐらいなんだから」

「それは遠慮する。せっかく治ったのに、今度は病院送りにされかねないからな」

「つきっきりで看病してあげるわよ?」

「そりゃ魅力的だが……考えるまでもねえだろ」

 マスカ四位。そのレベルを、二人は決して甘く見ている訳ではない。

 しかし、マスカの話も、すぐに流れて行った。今の二人にとってみれば、それよりも重要などうでもいい話は沢山あったし。

 何より、綾香のことを、浩之は信頼していたし。

 綾香は、自分が負けるなどとは、心の端にも思っていなかったのだ。

 

続く

 

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