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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(97)

 

 嫌な予感は、ひしひしと感じていたのだ。

 ここ最近、綾香がマスカの選手に狙われているのは知っているし、そうでなくともトラブルメーカーの名前を欲しいままにする綾香だ。

 二人で平日にデートに出れば、平和にいちゃつくなど、出来るわけがないのだ。

 そういう意味では、十分保ったと言える。公園で売っているホットドック屋でお昼を取ろうかと、移動するまで、実に二時間ばかりは平和に進んだのだから。

 何故か、急に人の気配が消える。休日の公園には、それなりの人数の恋人や家族連れがいたはずなのに、ぴたりといなくなる。

 唯一、姿を見せているのは、深めにフードを被った男だった。綾香と浩之が進む道をふさぐように、ポケットに手を入れて立っている。

「……あー、短い平和だったな」

 浩之は大きくため息。横の綾香が楽しそうにしているのを見ると、ケンカと自分どっちが大切なのか、聞きたくなってくる。

「大丈夫、さっさと倒して、デートの続きよ」

 綾香の言葉は嘘にはならないだろう。満身創痍になるまで身体を鍛えている浩之と違って、綾香の体力は十分。ましてや、最近はケンカが売られることが多いので好戦的になっている綾香に、多人数ならいざ知らず、一人で対抗できるものではない。

 しかし、それを言うならば、道をふさぐように立っている男も、見た感じ、並大抵の相手ではないように思えた。見える訳ではないのだが、オーラと言えばいいのだろうか、一般人とは、明らかに違う質の気を放っている。

 ……ってのは、漫画の読み過ぎか?

 気とかは置いておいて、正直に、ただ者ではないと感じている自分がいることを、浩之は否定しなかった。

「はじめまして、だな。来栖川綾香」

 声はまだ若い。浩之よりも上だろうが、そう離れているようには感じなかった。

 男がフードを取ると、そこに現れたのは、青い鱗の書かれたマスクを被った男だった。どこからどう見ても、間違いなくマスカの選手だ。でなければよほどのプロレスマニアか。

「マスカ四位、リヴァイアサンだ」

 にぃっ、と男が笑うと、犬歯が向きだしになる。子供っぽいと表現するには、あまりにもまがまがしすぎる笑いだった。その笑いには、間違いなく暴力が含まれている。

「何? 試合じゃ勝てないから、囲って闇討ち?」

 ふふん、と綾香は鼻で笑ったが、それで驚いたのは浩之だけだった。

 囲まれている?

 確かに、人通りが減ったのを説明するのには、人を使って追い払ったと考えるのが妥当だ。もっとも、綾香は本気で人の気配を感じているのかもしれないが。

「おっと、誤解しないでくれよ。俺はただ実物のあんたを見たかっただけで、今あんたにケンカを売りに来た訳じゃねえんだよ、なあ、綾香ちゃん?」

 馴れ馴れしい呼び方に、綾香がまゆをひそめる。

「しかしまあ……そりゃ映像で見たは見たけどよ」

 綾香の不機嫌さには気付かないのか、というかそれはかなり生死に関わる内容だと浩之などは思うのだが、軽い口調でリヴァイアサンはしゃべりだす。

「マジでかわいいなあ、綾香ちゃん」

 ますます綾香の機嫌が悪くなる。危険過ぎる。浩之は、自分がリヴァイアサンを殴り倒した方が、彼の為なのでは、と本気で思った。

「次その変な呼び方したら殴……」

 シュバッ!

 空を切った音は、しかし、綾香の打撃ではなかった。

 気のそれていた上に、さらに日頃の練習でぼろぼろであった浩之が、その鋭い一撃を避けたのは、奇跡というより、綾香に対する警戒の所為であったろう。

「なっ……」

 浩之は、反射的に後ろに下がる。とは言え、さっきの距離も守るには十分な距離であったはずなのだが、リヴァイアサンの腕は、浩之の身体を擦っていた。

 ゴウッ!!

 次に空気をはね飛ばすような音をたてたのは、綾香の前蹴りだった。それを、リヴァイアサンはひらりと避けて、浩之と同じように距離を取る。

「藤田浩之、エクストリーム、ナックルプリンス予選三位。ベースの格闘技は見えないが、おそらくは打撃系。ルックスはナックルプリンス内でも、一、二を争う……か」

 ははっ、とリヴァイアサンは吐き捨てるように笑う。

「小せえ、小せえなあ。俺から見れば、何てことのねえザコだぜ」

 すっ、と綾香の目が細くなるのを、綾香の背中を見ているはずの浩之は、敏感に感じ取った。いきなり自分が攻撃された理由はわからなかったが、それよりも綾香の様子の方が切羽つまった事柄だ、と浩之は思っていたのだが。

 しかし、それは大きな間違いだった。今は、浩之が話の中心だったのだ。

「なあ、綾香ちゃん。俺とつきあわねえ? あ、もちろん恋人としてだぜ」

「……は?」

 あまりに唐突なリヴァイアサンの言葉に、浩之は彼が何を言ったのか、理解の範疇を軽く超えてしまった。

「やっぱよ、あんたほど強いんなら、彼氏も強くなくちゃならねえと思うわけよ。で、俺としても、やっぱ彼女にするなら、かわいくて強え方が好みなんだ。どうよ、丁度良くねえか?」

 まくしたてるリヴァイアサンに、浩之は慌てて口を挟む。

「ておいおい、いきなり……」

「だあってろ、ザコ!!」

 ぱしっ

 浩之は、自分をザコ呼ばわりしていた男を攻撃するのではなく、その顔面に一発入れようとしていた綾香の手首をつかんでいた。

 本気で綾香が放った突きを、出る前とは言え、浩之が止められる訳がない。綾香の攻撃は、単なる威嚇だ。しかし、浩之はそれを止めた。

 威嚇を放つからと言って、その後の一撃が本命でないと言う理由にはならないからだ。というより、綾香が一度手を出したら、綾香は止まらないだろう。浩之は、それを恐れたのだ。

 しかし、命の恩人に対して、リヴァイアサンは手をはらう。

「いいって、ザコはどっか行ってろ。俺は綾香ちゃんとさしで話があるんだからよ」

「断る」

 何を言ったところで、この男は話し合うつもりはない。それを感じ取った浩之は、端的に自分の行動指針を表現した。

「へっ、おいおい、本気でやって俺に勝てると思うのかよ?」

 そういう問題ではないのだ。綾香を止めたのは、何もリヴァイアサンの身を心配してのことではない。

 どういう思考回路をしているかはわからないが、この男は、自分が倒すべきだ、と浩之は結論付けたのだ。男の本能なのかもしれない。

 しかし、男の本能でどうこうなるほど、目の前の少女は、甘くなかった。

 綾香は、浩之を手で制する。

「いいから、浩之。下がって」

「お、さすが綾香ちゃん、話がわかる。ささ、こっちでゆっくり話し合おう」

 綾香に手を伸ばしかけたリヴァイアサンの手が、ぴたり、と止まる。

 花の咲くような笑顔を浮かべた綾香の口から。

「お帰りはあちらよ、このゲス」

 あまり上品ではない言葉がたたきつけられる。

 それを聞いて、リヴァイアサンは一瞬、表情を硬くしたが、次の瞬間、くっくっく、とかみ殺しきれない笑いをはき出しながら、咆えた。

「かっこいいねえ、綾香ちゃん。さすがは俺が見込んだ女の子!」

 そして、くるりと背を向ける。

「今日のところはひきさがるよ。ま、試合が終わってまで、その口、保ってるとは思えねえしな」

 今までのは演技であったのでは、と疑いたくなるほど、あっさりとリヴァイアサンは引き下がる。

「しゃあねえ、試合で勝って、力ずくで手に入れさせてもらうぜ。かわいい人」

 そんな、演技じみた言葉を残して、リヴァイアサンは公園の外に歩いて消えていった。

「……さ、気を取り直して、デートの続きね」

「あ、ああ……」

 今までのことがなかったかのように振る舞う綾香に押されるように、浩之は綾香の横について歩き出した。

 

続く

 

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