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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(100)

 

 浩之とて、実際のところ、まだリヴァイアサンが本気を出してはいないだろう、とは思っていた。

 マスカの上位の人間は、どう言っても、綾香に一撃は当てているのだ。綾香の強さを知る浩之は、それがどれほど凄いことか知っている。

 しかし、それを差し置いても、油断できる相手ではないような気がする。いや、それはつまり、浩之がただ単にリヴァイアサンを気に入らないだけなのだが。

「さあ、俺のかわいい綾香ちゃんよ。ゆっくり楽しもうじゃないか」

 不敵な笑みを浮かべて、リヴァイアサンは親愛の情なのか、挑発なのかわからない言葉を綾香にかける。

 綾香は、無反応。どちらかと言うとこういう手合いには軽口を返すタイプなので、珍しいと言えば珍しい反応だ。

 挑発ならともかく、本気だったら嫌だもんな。

 そこには、浩之の希望的観測も入っている。綾香の反応から、もしリヴァイアサンが挑発ではなく、本気で綾香を狙っていたとしても、綾香は応えることはないだろうが、冷静な判断というものは、往々において感情に殺されるものなのだ。

 よしんば、感情に殺されなくとも、不安、というより不満は消える訳ではない。

 しかし、不満や不安があれど、試合場にいるリヴァイアサンに、手を出すことはできないのだ。

 それを、浩之は自分ではがゆく思っているのに、多少なりとも驚いていた。綾香や葵と出会って、格闘技に偏りはしたが、それでも腕力でものを進めると言う思考回路とは無縁であったはずなのだが、ここに来て、それが崩れていることに気が付いたのだ。

 もっとも、浩之が格闘技を習っていなかったとしても、勝ち負けは別にして、リヴァイアサンに抱く感情は同じようなものだったろう。

 それを言うと、今でも勝てるかどうか……

 まだ実力の底を見せている訳ではないが、それでもリヴァイアサンが強いのは間違いないし、それに自分が勝てるのかと聞かれると、浩之は自信どころか、負けるだろうとさえ思う。

 綾香に知られれば、殴り倒されそうな感想だが、浩之も自分の実力はわかっている。戦えば負ける気では戦わないが、結果として負けることも十分考えられるのだ。

 でなければ、本気で乱入して殴り倒したいぐらいだ。いや、別に勝てなくとも、乱入して倒したと思っているのは今も変わらない。

 それを押さえているのは、綾香への信頼。または恐怖。

 その綾香は、相手の様子を見るためか、攻めようとはせず、距離を取って止まっている。最初のリヴァイアサンの一撃に、恐れをなした訳ではあるまい。

 むしろ、静かな綾香にこそ、恐怖を感じるのは、浩之の経験の所為なのだろうか?

 綾香の様子見を、恐れる訳でもなく、リヴァイアサンは構えを取る。

 リヴァイアサンが本気を出してはいないとしても、綾香だってまだ様子見をしているのは分かるだろうに、リヴァイアサンには躊躇らしきものはなかった。

「ふっ!」

 気合い一閃、リヴァイアサンの身体が、前に動く。ボクシングのような小刻みが動きではない。一歩で相手との間を消す、躊躇なき動きだ。

 普通なら、そこに打撃を合わせることも可能だが、リヴァイアサンの動きは、それをさせない。

 速い!

 心の中で、思わず叫んでしまうほど、リヴァイアサンの前進、いや、突進は速かった。完璧にカウンター狙いで待っているならともかく、最初の方でこんな動きをされては、綾香とてカウンターを合わせるのは無理だろう。

 その予測通り、綾香は何の反応も見せなかった。それがわざとなのか、できなかったのかで大きく結果は変わってくるが、浩之は前者だと信じたかった。

 リヴァイアサンの不可解な構えから、腕が振り下ろされ……ない!

 浩之の予測を裏切り、前進のスピードを保ったまま、腕は振り下ろされなかった。かわりに、左腕が、下から振り上げられる。

 綾香も、一瞬反応が遅れた。しかも、そのスピードは、一撃目とはかけ離れたものだった。

 フヒュンッ!

 それでも、綾香は飛び抜けた反応速度で、後ろに飛ぶようにしてリヴァイアサンの一撃を避ける。

 だが、リヴァイアサンは、それでは終わらなかった。

 後ろに下がる綾香を追い、リヴァイアサンは前に出ながら、ほとんど一撃目から間を置かず、右の腕を、振り下ろした。

 一度目にもとっさに反応した綾香には、それを避けるという余裕はなかった。だから、両腕を上で交差させて、リヴァイアサンの一撃をガードする。

 ぞくり、と浩之の背筋に寒気が走る。

 理由はわからないが、その一撃をガードしては駄目だ、と浩之の中の何かが訴えてきた。しかし、もう綾香にそれを忠告する時間は、無かった。

 ズバシィッ!!

 リヴァイアサンの振り下ろした腕が、綾香の両腕のガードをはじき飛ばす。

 そのまま、綾香の身体は、後ろに倒れるようにして吹き飛ばされた。

「綾香!」

 まわりの反応など頭から抜けて、浩之は、思わず叫んでいた。

 その声に反応した訳ではないだろうが、綾香は、砂に手をつくと、後ろに飛びながらバク転をして、華麗に着地する。

 ふうっ、と浩之はひとまず息をついた。綾香のことだ。あれだけの動きができるということは、相手の打撃をちゃんと殺したということだ。

 しかし、浩之の思いとは裏腹に、綾香は少しばかり顔をしかめて、ガードに使った両腕を、胸の前でぶらぶらとさせた。まるで、そこが痛いかのような仕草だった。

 ……殺しきれなかった?

 ガードした両腕が痛くなるほどの打撃。しかも、綾香は腕をはじけさせ、下と後ろに飛んでダメージを殺したのだ。綾香がそこまでやって、殺しきれない打撃というのは……

 リヴァイアサンは、本気で二撃目を振り下ろしたのか、追撃はして来なかった。

 かわりに、にやけた顔の、その笑顔の質が、少しだけ、変わっていた。

 まさか、この男にまでその言葉を使うことになるとは。と浩之は頭を振った。

 それほどに、凶悪そうな笑顔だった。いや、綾香と違うのは、むしろ凶暴そうな、という言葉がしっくり来ることだろうか。

「くうっ、面白れえ」

 たまらない、といった顔で、綾香に腕を向ける。不可思議な構えだが、それは綾香にもまさるとも劣らない、純粋なスピードとパワーを併せ持つ打撃を放つ、驚異の構えだった。

「まさか、あそこで脚狙われるたあなあ」

 脚?

 浩之の疑問を、そのままスルーして、変わりに、綾香が答える。

「解説どうも」

 やっと口を開いた綾香の笑みが、深くなる。親愛でもない、怒りでもない。

 綾香の変化に気付いていないのか、リヴァイアサンは機嫌よくしゃべる。

「正直、このマスカも裏で色々画策してくる赤目も嫌いだが、あんたのことはやっぱり好きになれそうだ。ますます、勝ちたくなった。」

 綾香は、肩をすくめた。事情を知っている浩之としては、正直、リヴァイアサンの言葉に、綾香に反応させることすら許せないが、脈がないのも理解はできるのだ。

 つうか、しゃべるな、リヴァイアサン。

 そんな浩之の心情を知ってのことか、綾香は、酷く手短に、自分の心情を口にした。

「冗談」

 

続く

 

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