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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(102)

 

 体重を感じさせない綾香の前進は、決してスピードに秀でたものではなかった。

 しかし、それはスピードの問題ではなく、リヴァイアサンは不覚にも、簡単に綾香の接近を許す結果となる。

「?!」

 あまりに自然な動きと、それに対応できなかった自分に、リヴァイアサンは驚愕する。

 気付いたときには、すでに綾香の身体は、綾香の拳の射程圏内に入っていた。その間の、リヴァイアサンのみが手を出せる距離を、綾香は自然につぶしたのだ。

 スピードに頼った動きではなく、相手の「意」の穴を突く。集中力とは持続しているものではなく、波を持つ。簡単に言えば、綾香はその波の低い場所に自分の動きを割り込ませたのだ。

 言葉では簡単に説明するが、それは本当に達人の域だ。これが誰でもできるのなら、リーチという弱点は、打撃においてはほとんどなくなるのだから、どれほど綾香が無茶を普通にやっているのかわかりそうなものだ。

 その流れに乗ったまま、綾香の左拳が、突き出される。

 しかし、それをリヴァイアサンは前に構えた左手ではじく。そして、その左手の動きに連動させて、引きつけていた右腕が、振り下ろされた。

 風を巻き込むリヴァイアサンの右腕を、綾香ははじかれた左腕を引きつけながら、同時に左にステップして避ける。

 と、そのステップにさらにリズムを合わせて、綾香の右のフックが、しかし、これもさらに一回転して守りに入ろうとしていたリヴァイアサンの左腕にたたき落とされた。

 次はリヴァイアサンの番だったが、リヴァイアサンはたった一合半で普通では避けられると判断したのか、綾香の動きを待つ。

 動きには十分対応できると見て取ったのだろう。であれば、相手が動いてくれた方が、カウンターが取りやすい。連打でどうこうされるとは、まったく思っていないようだった。

 と、それに合わせるように、綾香も動きを止めた。しかも、リヴァイアサンの近く。お互いに、手を出せば届く距離でだ。

 しかも、お互いステップさえ踏まない。完全に地に足がついた、いわゆるベタ足状態だ。ボクシングなら、完璧に打ち合いの体勢である。

 二人の格闘家が、お互いを距離に捉えて、しかし、手を出さずに動きを止めている。

 ピンッとした緊張感が、二人の間から流れて来るようで、観客達も、それに飲まれて、徐々に歓声が消えていき、五秒もたたない間に、試合場は静寂に包まれる。

 二人の息づかいの音と、遠くから聞こえる街の雑踏だけが、その場に許された音だ。つばを飲み込むことすら、はばかられる。

 浩之も、緊張で喉がからからになるのを自覚していたが、しかし、この状況を、悪いとは捉えていなかった。

 お互い、同じ状況でにらみ合いこそしているが、表情の険しいリヴァイアサンと、澄ました顔の綾香。

 どちらが今の状況を作ったのかは、明らかだった。

 大丈夫だ、綾香が場を支配している。それなら、俺が心配することはない。

 考えてみれば、どう言っても、試合が始まってから場を支配しているのは綾香だ。リヴァイアサンに攻撃を許そうとも、相手の実力と技を測っていると言って嘘にはならないし、結局、リヴァイアサンの意表を突いている。

 余裕の笑みだってそうだ。自分が対応させられた、と感じたであろうリヴァイアサンを、余裕の笑みで精神的に攻撃し、リズムを自分の有利なものへと変化させた。

 考えてみれば、相手の「意」の穴を突く前進も、そうしてリヴァイアサンがプレッシャーによって、リズムが単調になったのを狙った、れっきとした理由ある動きだったのだ。でなければ、リヴァイアサンほどの強者の「意」の穴を、そう簡単に突けるものではないだろう。

 何もかも、綾香の手の平で踊らされているだけ。

 それは、本当はそんなことはなく、浩之の単なる綾香びいきの思考の結果なのかもしれないが、事実、今綾香がリヴァイアサンを崩しているのは確かだった。

 四位が、こうもあっさりと。

 浩之は、身震いを感じた。戦えば、おそらく自分はリヴァイアサンには勝てないと感じているだけに、それを手玉に取る綾香の怖さ。

 何が怖いと言えば、それだけの猛者を相手にして、手玉に取ろうなどと言う暴言を考えるその思考が、一番怖いのかもしれないが。

 おそらくは、緊張に耐えきれずに、先に手を出すのはリヴァイアサンとなるだろう。何から何まで、綾香の思い通り……

 と、その浩之の予想は、あっさりと覆った。

 目にもとまらぬほどのスピードではあったが、先に動いたのは、綾香の方だったのだ。

 左のジャブ二連発が、空を切った。

「なっ!?」

 驚きの声を上げたのは浩之だったが、それはリヴァイアサンの代弁となった。

 先に攻撃した方が不利、の状況で、手を出す。しかもここまでうかつに手を出してくるなど、リヴァイアサンの予測を逸脱している。

 しかし、リヴァイアサンの驚きで稼げたのは、その最初の二発のジャブだけ。後は、すでに立ち直ったリヴァイアサンに、冷静に対処されることとなる。

 綾香の左ジャブ二発を、リヴァイアサンはロスのある動きで避けてしまったので、それに対してカウンターを入れることはできなかった。

 その後の攻撃は、十分に対処できる範囲に収まる。それこそが、リヴァイアサンが猛者たる所以だ。

 ジャブに合わせる、綾香の右ストレート。それを、リヴァイアサンは避ける選択肢を持っていない。後ろになら避けられるが、それでは反撃できない。

 何故なら、横や前に避ければ、綾香の得意技、ラビットパンチの餌食になるからだ。それぐらいは、リヴァイアサンとて研究して来ている。

 知らなければ、一撃で倒されるかもしれないという口惜しさはあるが、リヴァイアサンには、自分に出来うる最大の努力を払うことに、わだかまりはない。

 しかし、前にある左手ではじけばいいというのは、短絡的な考えだ。それを、リヴァイアサンは押しとどめ、その綾香の右ストレートに、何の対応もしない。

 一瞬前に、それがフェイントだと見切ったからだ。

 フェイントに手で対応してしまえば、次の打撃は同時となる。スピードで負ける気はないが、カウンターは取れそうになかった。

 徹底して、相手のカウンターを取るつもりなのだ。本命に対応しなければ、その効果はない。

 リヴァイアサンは、フェイントの次に来る綾香の動きを判断した。左のローキック。

 最初にぶつかったときの、つっかえ棒のようなキックではない。相手の脚を使い物にできなくする、必殺のキックだ。

 だが、それすらもフェイントであると、リヴァイアサンは一瞬もかからずに判断。

 綾香のローは、リヴァイアサンの脚など素通りしてたたみ込まれ、綾香の身体は回転して、リヴァイアサンに背を向けるような格好となる。

 そこから繰り出される。

 背を向けた綾香の左かかとが、一瞬で跳ね上がる。

 大きく、しかし物凄いスピードで弧を描いたかと思うと、綾香の上から踵を落とすような、変形の後ろ回し蹴りが、リヴァイアサンの頭に食らいつこうと飛び跳ねる。

 リヴァイアサンは、そのかかとを、取っておいた左の腕ではじきながら下をかいくぐろうとして、そしてそれに成功して。

 グワシャンッ!!

 次の瞬間、そのまま、砂の上に頭から叩き付けられた。

 

続く

 

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