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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(106)

 

「ちっ、捕まえ切れねえか」

 そう言うリヴァイアサンには、あまり残念がる表情はない。しかし、この戦いをただ楽しめるような性格では、彼はなかった。

 リヴァイアサンを支えているのは、勝利への執念だ。

 だからと言って、負けたことがない、などとはリヴァイアサンは口にしない。事実、勝つばかりではないのだ。

 リヴァイアサンがマスカに参戦してから、もうけっこう経つ。

 その間にも、そしてまだマスカに参戦する前の、修業時代とも言えるときでも、リヴァイアサンはそれなりの敗北を味わってきた。

 同年代の人間には、まず勝てたが、もちろん未熟なときは、負けるころもあった。それで悔しくて一晩泣き明かしたことすらある。それどころか、師匠に負けることさえ、本音を言えば我慢できなかったのだ。

 その結果、リヴァイアサンは勝負を楽しむという感覚よりも、自分には勝利への執着の方が大きいことを自覚した。

 そういう人間は、確かに本当に強いのならともかく、平凡な人間なら、弊害こそあれ、何もいいことはない。それでもリヴァイアサンは格闘技を捨てきれなかった。

 だから、平凡ではなくなった。勝たなければいけないのなら、強くなればいいのだ。

 そうやってリヴァイアサンは強くなって来たが、多少は勝負を楽しむ、という感覚もある。でなければ、格闘技を続けようなどとは思っていなかったろう。

 今、それでも悔しそうな顔をしていないのは、一歩間違えば、自分が負けていたことを何とか回避した安心感からだ。

 こいつ、本気で化け物か?

 声にも表情にも出さず、リヴァイアサンは心の中で毒づいていた。

 リヴァイアサンにとって、この砂のステージは、かなり有利な方にあたる。打撃系の人間には不利とも思える場所だが、リヴァイアサンには踏み込みが弱くなろうとも威力の高い打撃を繰り出せる技があるからだ。

 マスカの選手が有利な試合場を、赤目がわざと選んでいるようにしか見えない。そういう赤目の考えが、リヴァイアサンとしては嫌なのだが、これはまあ個人的に赤目が嫌いなので、例えば相手が有利な試合場にさせられても、反応は一緒だ。

 それより、試合を見る限り完璧に打撃系、しかもスタンダードな近代格闘家である綾香が、まったく砂の不利を受けているように見えないのには、正直舌をまいている。

 リヴァイアサンの持ち味は、腕による打撃。投げや関節、蹴りも使えないことはないが、やはり腕の一撃には劣る。

 振り上げるときの力、振り下ろすときの力、足先からの動きをまったく損なうことなく、腕先に伝えることにより、相手に巻き付くような動きを持つその腕は、最終的には驚異的な威力を出す。

 しかも、連打に適している上に、先制を取るためのリーチも兼ね備えている。

 リヴァイアサンの師匠にあたる人間が、中国武術をやっており、その技の一つだ。そしてリヴァイアサンは、その技を自分の中で特化させた。

 腕は、砂袋や巻き藁を打つことを繰り返し、金属の板にぶち当ててもそう簡単には痛めたりしないほど鍛えてある。

 リーチがあり、連打が効き、そしてスピードがあり、威力も高い。

 ここまでそろっている打撃は、他に類を見ないだろう。リヴァイアサンは、だからこそ、これを自分のベースとして鍛えて来たのだ。

 だが、それでも、まだ綾香を倒すことができない、

 本物を一目見て、心奪われた。と言うほど心頭している訳でもないのだが、俗な話だが、ルックスでリヴァイアサンは綾香を良いと思ったのだ。

 一応、一目惚れなのは嘘ではない。年齢は三歳ほどリヴァイアサンの方が多いが、相性から言えば間違いなく合うと思っている。

 普段の態度からにじみ出る、天才の匂いとでも言うのだろうか? それは、普通ならリヴァイアサンとしては毛嫌いするものだが、しかし、綾香のそれは、何故か心地よいとさえ思った。

 まあ、あんなやり方で付き合えるとは思っていない。ナンパなら、もっとうまくやる。

 つまるところ、超美少女の綾香と付き合うことより、エクストリームチャンプ、来栖川綾香に勝つことの方が、リヴァイアサンにとってみれば重要なのだ。

 あからさまなナンパの態度で、綾香が多少なりとも冷静さを無くしてくれれば、それ以上のことはなかった。事実、それを狙っているのだ。

 いくら美少女とは言え、負けたいとは思わないし、そもそも彼氏付きの女をくどこうと思うほど、リヴァイアサンは女に不自由していない。いや、普通は不自由していないからこそ、そんな非効率なことを思いつくのかもしれないが。

 しかし、そんなリヴァイアサンの弛まぬ努力の甲斐もなく、綾香に崩れる様子はない。奇跡的に一撃も入らなかった、とかそんなことはなく、ちゃんとリヴァイアサンの攻撃は当たっており、そこを皮切りに、天才ならば簡単に崩れてもおかしくないと言うのにだ。

 もう、何度攻防を繰り返しただろうか。決めるつもりで出した連打を避けられ、しかも反撃され、それでも執拗に狙っては、やはり避けられる。

 段々と、リヴァイアサンは綾香を捉えきれなくなって来ていた。

 唯一の救いは、リヴァイアサンも綾香の攻撃に捉えられていないということか。

 ……もしかして、逃げ腰になっているのか?

 リヴァイアサンの腕が、空を切る。綾香の打撃も、同じように空を切った。お互い、必殺の間合いのはずだ。だが、当たらない。

 リヴァイアサンの考えが正しいかどうかもあるが、何より、どちらが逃げ腰になっているのか、という問題も大きい。

 あせっているのもあるが、気押されているというのも多少なりとも自覚している以上、それは行動自体に自覚のないリヴァイアサンの方かもしれないし、綾香とて、自覚なく逃げ腰になっている可能性もある。

 コンパクトに、しかし驚異的な力を持って放たれるリヴァイアサンの腕を、綾香はインステップ、内に入って避け、カウンターの左フックを放つが、その瞬間には、リヴァイアサンはその位置から頭をスウェイして避け、すでに放つ途中であった反対の腕を打ち込もうとして、しかし、それも避けられる。

 お互いに、何度かの打撃の応酬が終わると、決められたかのように距離を取り、隙をうかがったり息を整えたりする。

 鍛えに鍛え上げてあるリヴァイアサンの運動量に、綾香も何なくついて行っているが、リヴァイアサンもその程度のことではもう驚かない。

 お互いに打ち合う距離は……変わらない。無意識に一歩下がったり、腰が引けているようなことはない。むしろ、あまりに避けられるので、お互いに多少打撃に力が入りすぎているように思えるぐらいだ。

 リヴァイアサンの分析では、その力みあたりが、お互いに当たらない理由だろう、などとおもっているが、残念ながら、それが自覚できても、それをすぐに改善するというのは難しい。

 こいつ相手に、リラックスってのは難しいだろうな。

 最初に受けた一撃は、もう女のものではなかった。というより、男でもあんな不安定な体勢から、あんな威力のある打撃を打てはしない。下が砂でなければ、本気で一撃の下に終わっていたかもしれない。

 これで、まだ得意のラビットパンチを出していないというのだから恐れ入る。

 本命は、やはりそれだった。避けたと思ったら、いきなり後ろから殴られる、回避不能の綾香の得意技、ラビットパンチ。

 本人はウサ耳パンチと読んでいるなどと雑誌に与太話が書いてあったが、ふざけた話である。ボクシングで反則となるような危険なパンチにつける名前ではない。

 そういうふざけた態度に、男相手なら絶対に殴り殺したくなるところだが、その点に関して言えば、美少女だから許せもする。

 一番警戒している技。それを、確かにあまり懐に入らせないようにはしているが、打って来ない綾香の作戦にも、実力以上に恐れ入る。

 それをいつ放ってくるのか。それが勝敗の分かれ目だとリヴァイアサンは思っていた。

 何故なら、リヴァイアサンはそれを待っているのだ。得意技を出す人間にある、特有の隙を、リヴァイアサンは狙うつもりだ。

 つまりそれは、得意技というものが、むしろ目指している場所にある隙。

 完成された打撃技ほど、同じ軌道を辿る。つまり、どこを通るのか、リヴァイアサンは研究して、理解しているのだ。

 しかも、打った後、引きながら打つという不自然な動きの所為で、ラビットパンチの後には隙が出来る。リヴァイアサンならば、最初からわかっていれば、十分に狙える隙が。

 ラビットパンチを打ってくるのを見逃せば、反対に自分が負けるかもしれない賭け。だが、それをしなければ、この終わり無き攻防は、どちらに傾くのかわからない。

 同じ賭けるのならば、自分が事前に用意周到に準備したものの方がいいに決まっている。

 さあ、打って来い。

 あんたと付き合うのはあきらめるが、俺は、あんたから勝利をもぎ取る。

 とびきりの「女」よりも、とびきりの「勝利」を取る、この男も、どこかのバカと同じぐらいに、十分にバカなのかもしれない。

 

続く

 

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