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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(108)

 

 停滞と前進の繰り返し。

 二人のこの戦いを簡単に評価すれば、そんなものになっただろう。

 だから、また綾香が動きを止めたのを、観客達はそんなに不可思議には思わなかった。今は綾香が押しているが、それでもリヴァイアサンを捉まえ切れていないのは確かで、らちがあかないと攻撃の手を休めているのだ、と。

 しかし、その実情は違った。戦っている本人達にはそれがわかっていたし、観ている者の中でも、賢い者は気付いた。

 浩之もそれには気付いていた。それだけ、綾香があからさまだったからだ。

 これで、決着をつけようとしてるってのはわかるんだが……

 構えが一発攻撃重視になっているのを見て、綾香がかなり強引に行こうとしているのを浩之は感じ取っていた。

 当然、綾香は勝算、いや、そんな生ぬるいものではなく、勝つからこそその選択を選んでいるのだろうが。

 ……見ている方はたまったもんじゃねえんだよなあ。

 相手を誘うのはいいが、それは相手に隙を見せることと同意であり、高レベルの戦いでは、それが致命傷となっても、何ら不思議がることではない。

 もっとも、今の綾香は誘いすら行っていない。だからこそ、余計に危ないとも言えるのだが。

 この一合で終わらせるつもりなのだ。それは、危険なことだ。

 高いレベルでは、狙った一撃、というものはまず存在しない。戦っている間に生まれた相手の隙や、こちらのチャンスに、技をねじ込む。それこそが強い格闘家の資質だ。

 連打で殴って勝てるのなら、技の攻防など必要なかろう。それができないレベルに達したとき、効果を現すのは、対応力だ。

 綾香の対応力は、確かに凄いの一言に尽きる。しかし、それを綾香はわざわざ捨てようとしているのだ。

 何を狙っているのかまではわからないが、対応を止めるのはまずくないか?

 当然、リヴァイアサンはそれに付き合おうとしている。分からない攻撃よりも、分かっている攻撃の方が何倍も楽なのだから、付き合わない訳がない。

 分からないという怖さの薄い、単純な技の激突なら、リヴァイアサンは負ける気がしない、ということだろう。

 徐々に、綾香のまわりの空気が緊張しているのが、目で見えるようだった。

 「気」などという曖昧なものを信じている訳ではないが、確かに綾香の何かは、綾香の回りの空気さえ変化させているように感じる。

 普通の攻防の一つだと最初は見ていた観客達の間に、それが流れ込むのに、大して時間はかからなかった。

 数秒で、つばを飲み込むのさえはばかられる、張りつめた空気が、熱気を吹き飛ばす。

 表情は微笑。目も、普通に笑っている。しかし、殺し切れても、まだはき出される綾香の殺気に、観客達は、息を呑む。

 その緊張に、リヴァイアサンは真正面から相対峙しているのだ。よくもそれに飲み込まれないものだ、と浩之は思っていた。

 しかし、身体が動くかどうかは別だ。今、リヴァイアサンは表情を変えていないが、実のところ、どこまで平気なのかは微妙なところだ。外面は何とか取り繕っても、綾香のプレッシャーに飲み込まれている可能性は否定できない。

 ……いや、この男なら、それはないか。

 綾香と、技の多様性ではなく、一芸で互角に戦う猛者だ。精神的なもので劣るとは、あまり期待できない。

 それよりも、綾香のプレッシャーにも押されない、本物の強者の方が、綾香も楽しめていいのかもしれない。

 だから、綾香の笑顔は、威嚇ではなく、もしかすると単純に嬉しいのかもしれない。自分とここまで戦える人間がいることに、強すぎる綾香ならば、心の底から喜んでもおかしくない。

 浩之は、人の心の奥の奥まで読める訳ではない。だから、今綾香が喜んでいることこそが、二人の精神的な強さの差であることを、理由ありでは理解できない。

 しかし、感覚的なことを言えば、綾香が強いのは歴然だった。

 今、綾香が攻撃の主導権を握っているのは間違いない。そう思わせておいて、相手の裏をつくように攻撃する手も、リヴァイアサンには一応あるが、そんな手を選べるほどに、リヴァイアサンには余裕がないだろう。

 それは、浩之の見当違いな理由づけだ。余裕がないからこそ、リヴァイアサンはその手を使いたかった。しかし、そうすれば、自分の不利は確実だったので、出せないだけなのだ。

 綾香が、わざわざカウンターを狙っている技を出そうとしているのは、明らかだ。だからこそ、そこには「向こうからは攻撃されない」という意識の隙が生まれるはずだ。

 しかし、綾香にはそれがない。と言うより、今の綾香は隙だらけ。だからこそ、リヴァイアサンには手が出せない。どう考えても、それは誘っているとしか思えなかったからだ。

 自分から仕掛けようとしているはずなのに、それに囚われない。綾香は、攻撃を行おうとしているのに、十分対応力を持ったままなのだ。

 この状況、リヴァイアサンは、別の意味で背筋を凍らせていた。

 もし、このまま綾香が手を出してこなければ、そのうちリヴァイアサンは精神的に追いつめられる。待つというのも、そこに攻撃がないからこそ、神経をすり減らすのだ。

 呑まれている、とリヴァイアサンは自覚があっても、どうすることもできない。自分の出来る限り待ち、カウンターを入れる。恐れることはない、待たせる綾香の神経も、確実にすり減っているはずなのだ。

 大丈夫だ、やれる。

 そんなリヴァイアサンの意の一瞬の隙を突くように、綾香の身体が動いた。しかし、リヴァイアサンはその意の隙さえ、力技で埋める。

 肉体の損傷が無くとも、もう二回はできない、精神的損傷を生み出すような、神経が削れるほどの集中を、リヴァイアサンは可能にしていた。

 綾香の右肩が、動く。

 その時点で、リヴァイアサンは右ストレートと判断、そして、一番大切なのは、この攻撃を、前に避けること。

 出来るか出来ないかではない、やらなければ、次はない。

 綾香のトップスピードを、前に出て殺すのではなく、かいくぐる。それは、リヴァイアサンの実力を持ってしても、一度すら不可能かもしれない至難の技。

 しかし、何度もビデオを見て観察した結果認識した綾香の拳の軌道、それを頼りに、その不可能を可能にする。

 シュパッ!!

 リヴァイアサンの頬が切れる。しかし、リヴァイアサンは前に出て、致命傷を喰らうことなく、綾香の懐に入った。

 来る、分かっている話だ。例え懐に入られても、ここから綾香は相手をKOできる。

 避けたはずの拳が、後ろから襲ってくる。恐怖のラビットパンチ。

 回避不能で、防御不能。綾香の代名詞とも言える必殺技。

 だが、リヴァイアサンはそれを選んだ。何故なら、その技には、ほんの少しだけ隙があったからだ。

 ここで負ける人間は、ラビットパンチを警戒していないからだ。いや、していたとしても、中途半端に対応しようとするからいけないのだ。

 来ると分かっているのなら、気付くはずなのだ。完璧に伸ばされた腕が、懐の相手の後頭部を貫くまでの距離を。

 だから、リヴァイアサンは至近距離と言われる距離よりも、さらに内に身体を入れながら、腕を振るう。

 重要なのは、前に出るスピード。相手の拳よりも速く動くことは不可能でも、相手の拳よりも先に相手の身体に打撃を当てることは、可能なはずだ。

 それができないのは、ラビットパンチを放つ前は、その至近距離からの打撃を、綾香は回避可能だからだ。

 だから、前に出る。綾香の拳と、自分の後頭部との距離を、少しでも開くために。

 綾香が、ラビットパンチを放ち、その拳が自分の頭を打ち抜くよりも速く、綾香に腕を叩き込む。

 それが、リヴァイアサンの狙った、ラビットパンチを狙ったカウンター。

 綾香の伸ばされた腕が、動こうとした気配を察知して、リヴァイアサンはその一撃にかけ、腕を振るった。

 しかし、そのとぎすまされた神経は、おかしなものを認知していた。

 それは、ラビットパンチを放つために折りたたまれるはずの腕が、それ以上動かないこと。おかしいと言えばおかしいが、現状から言って、確約された勝利を導き出すはずだった。

 勝った。技のスピードは、完全に綾香を凌駕している。

 その、はずだった。

 シュパシィッ!!

 綾香の狙い澄ました「左」アッパーが、リヴァイアサンのあごを打ち上げていた。

 斜めに打ち上げられたリヴァイアサンのあごは、九十度ほども曲がり、そして、彼の身体は、動きを止めた。

 打ち付けられるはずだった腕も、そして、リヴァイアサンの意識も。

 狙いは、悪くなかった。リヴァイアサンには、それだけの実力もあった。

 しかし、綾香の方が一枚上手だった、それだけだ。

 ラビットパンチを打ち破るための方法は、そう多くない。だから、綾香にしてみれば、どう動いてくるのかはだいたい分かっていた。

 そして、それがわかれば、簡単なものだ。リヴァイアサンほどの猛者相手でも、分かっているのなら、どうということはない。

 リヴァイアサンの狙うカウンターの要は、いかにラビットパンチを狙う拳から遠ざかるかにかかっている。だから、綾香は単純に、もう一つの近い方の拳でリヴァイアサンを殴ったのだ。

 言うなれば、その技は、ラビットカウンター。

 言うは易し、行うは難し。一瞬の判断を誤れば、倒れているのは綾香だっただろう。しかし、綾香はこれを苦戦とは思わない。

 何故なら、焦ったのは、リヴァイアサンの方だからだ。リヴァイアサンなら、一度ラビットパンチを受ければ、自分のカウンターの問題に気付いたかもしれない。しかし、そこまで彼は待てなかった。

 勝負を焦ったのはリヴァイアサンで、それを待っていたのは、綾香。勝敗の結果はしごく当然のものとして、綾香の手元に落ちてきたのだ。

 綾香はふっ、と笑うと、唇を動かした。そこから漏れた言葉は。

「……ウサギカウンター」

 綾香の命名は、全てを無茶苦茶にした。

 

続く

 

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