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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(109)

 

 リヴァイアサンが、来栖川綾香に負けた。

 その話は、すぐに私のところにも届いた。

「懐深くに入り込んできた所を、まるで知っていたかのようにあざやかにアッパーのカウンター一発。私の見るところ、きっとラビットパンチのフェイントにひっかかったんだね」

 見てもいないのに、ゼロさんが喜々として教えてくれる。実際、試合を見た訳でもないのに、えらく詳しい。いつも思うのだが、この人はそういう情報をどこで仕入れてくるのだろうか?

 見ていない試合でも、見た者より詳しく説明してくれるので、助かることは助かる。

 何しろ、ただでさえ見ることが難しいマスカの上位ランキングの試合、しかも、来栖川綾香の試合ともなれば、方々手を尽くしても、チケットが手に入らないのだ。試合の情報は、ファンにとっても、そして私のようなマスカの選手にとっても貴重だ。

「それにしても、まさかリヴァイアサンまで負けちまうとは。マスカも地に落ちたもんだねえ」

 姉貴は、ストローで音を立ててコーラを飲みながら、しみじみと言う。

 まあ、姉貴はカリュウのファンなので、リヴァイアサンが負けても大して気にもしないのだろうが、しかし、一ヶ月も前なら、もっと驚いていたと思う。

 私も、ほんの少し前なら、もっと驚いていただろう。いや、むしろ憤慨していたかもしれない。マスカの選手が、たかが表の有名な選手に負けるとは思っていなかったから。

 しかし、今は違う。少し前なら、マスカが私の中では一番だったけれど、今はそうではない。マスカが最強でないことを教えてくれた人は、私の目の前で、しぶい顔をしていた。

「あーあ、綾香がまた一人倒したか」

 私がやりたかったのに。表情で、そう思っているのが、ありありと分かる。

 さすがはヨシエさんだと思う。リヴァイアサンは、確かに全勝している訳ではないけれど、私がマスカを知ってからも、ずっと上位にいるマスカの古参だ。

 そういう点で言えば、女の子に大人気のカリュウの方がまだ若い選手だ。

 一回二回勝つのなら、実力が拮抗していればできるだろうが、その位置に長いこといるのは、かなり難しいものだと、私も経験から言える。

 実力は間違いなくあるバリスタも、三位からいきなり八位に落ちるなど、あまり安定はしていなかった。

 私は、前の試合で勝てたけれど、もう一度やって勝てるかと言われると、自信がない。成長の伸びがあってもそうなのだ。かなり安定していたリヴァイアサンの実力と、それ以外の何かは凄いものがあったと、結果が教えてくれる。

 もっとも、何も不思議ではないのだ。

 私が敬愛するヨシエさんをして、勝てないと言わせる来栖川綾香だ。言っては何だが、リヴァイアサンごとき三流にどうこうできるとは思えない。

 しかし、その三流を倒すのを逃したことは、ヨシエさんにとっては悔しいことなのだろう。正直言うと、理解しかねる思考だ。

「前にヨシエさんが試合があったので、順番としては普通だと思います」

 残念がるヨシエさんに、私は少しなまいきかなとは思いながらも、意見する。

 ヨシエさんが負けるとは思わないけれど、無駄な戦いはすべきではないと思ったからだ。いきなりもっと上位の相手と戦えるのなら、それにこしたことはないと思う。

「そんなの、綾香にまかせてたら、全部綾香に取られるからね。あいつ、金持ちのくせによくばりだから」

 マスカの上位と戦うのは、よくばりだからできることなのだろうか?

 確かに、マスカの選手にとってみれば、上位の、しかも一桁の選手と戦えるのは、何をおいても優先したいこと。

 負けても、それだけの評価をしてもらっているということになるし、勝てば、いや、そこまでいかなくとも、善戦できれば次の日からは、ストリートでは有名人だ。

 でも、ヨシエさんの言葉は、何かニュアンスが違う。

 負けることを、これっぽっちも考えていないようにしか見えないのだ。強がりでは、ないのだと思う。それを言えるだけの実力があってこそ、ヨシエさんのような欲求が生まれるのかもしれない。

 強い相手を、倒したい。

 勝敗にこだわるのではない。そういうレベルの話ではないのだ。もう、勝敗に関して言えば、勝つと決まっているのだ。その前提で、強い者と戦い、倒したいという欲求。

 私には、そんな欲求はないと思う。私は、あくまで「勝ちたい」だ。後は、自分の成長が感じられれば、十分満足できる。

 正直に言えば、強い相手と戦うのは、怖い。だからこそ、快感もあるのだとは思うけれど、怖いものは怖い。

 ヨシエさんには、それはないのだろうか?

 わからない。ヨシエさんのレベルは、私からはうかがい知れないものだ。私がうじうじと考えているレベルなど、多分、笑って済ませることができるのだろう。

「でもさ、悪いけど、ヨシエの試合ってしばらくないと思うよ」

 ゼロさんは、パソコンにこぼれないように、顔を通路側にそむけ、ハンバーガーをぱくつきながら言った。

「え?」

「その筋の情報によると、その前に、ヨシエのお目当てのカリュウの試合があるみたいだよ。ただし、相手はヨシエじゃないけどね」

 それに反応したのは、ヨシエさんではなく、チームの人間だった。

「まじ? ゼロ、何とかチケット手に入らない?」

「あ、抜け駆けなしだろ。ここは公平に……」

「カリュウの試合ってことは……とうとうビックスリーに挑戦か。これで名実ともにカリュウもマスカの顔だよな」

 多少言葉は悪くとも、若い女の子の集まりだ。きゃいきゃいとミーハーに皆騒ぎ立てる。それをかやの外から見るのは、ヨシエさんと私とゼロさんぐらい。

 姉貴も、いつもとはうって変わって嬉しそうな顔でその話題に入っている。

 一応、カリュウには倒れかかったところを助けてもらったこともあるし、別に嫌う理由はないのだけど、私はどうもあの男を信用できなかった。

 いや、信用する必要はない。アイドルに対するみたいに、皆と同じように遠くからさわげばいいのだと思うのだけど、それもできない。

 あの男は、どこか怖いのだ。それが何なのか、説明はできないけれど、戦うのが怖いよりももっと明確な感情で、怖いと思う。

 あの男のことを考えただけで、うすら寒いものを感じる。本当を言えば、ヨシエさんにはあの男と戦って欲しくない。もちろん、ヨシエさんが勝つけれど、勝敗とは別のもので、あの男は危険だと思う。

 ……危険? そうなのだろうか?

 いまいちどころか、さっぱり理由が思いつかないので、自分の思考にも疑問が生まれる。

 動物の勘、などとそれらしい言葉を取り繕ってみたところで、実がなければ、安心もできない。このもやもやとした恐怖は、胸に何か重たいものが入っているようで、嫌いだ。

 結局、私ができるのは、カリュウのことをあまり考えないことだ。名前さえ出てこなければ、歯牙にもかけることはないので、そんなに難しいことではないと思う。

 せっかく、ヨシエさんと一緒にいるのだ。ミーハーな話など無視して、格闘技について教えてもらった方が、何倍もためになるし、私も嬉しい。

「ヨシエさ……」

 ヨシエさんの方を見て、私は、固まってしまった。

 ヨシエさんが、あまりにも険しい顔をしていたから。今なら、ヨシエさんが人を殺すと言えば、信じられるほどに。

「……あの野郎、私との約束、破るつもりか?」

 何のことかはわかる。ヨシエさんは、カリュウと戦えるという理由で、マスカに参戦したらしいのだ。あの野郎というのは、多分プロデューサーの赤目のこと。

 あのカリュウに、どうしてそこまでヨシエさんが執着するのか、わからなかった。もしかすれば、私の感じる薄い恐怖が、ヨシエさんのレーダーに引っかかっているのかもしれない。

 前にどうしてか聞いてみても、ヨシエさんもいまいちわかっていないのか、あまり明確な答えはもらえなかったけれど。

 ヨシエさんの表情に他に一人気付いているゼロさんは、言葉にこそ出さないが、かなり顔をひきつらせている。あのゼロさんをして怖がらせるヨシエさんの怒りの表情。

 強くて、りりしくて、そして熱い。

 それは本当に格好良くて、私は思わず、見とれてしまっていた。

 だからではないけれど、私は、話をそらそうとしたゼロさんの言葉に、すぐには反応できなかった。

「あ、その前に、ラン、あんたも次の試合、ありそうだよ」

 

続く

 

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