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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(110)

 

 怖い?

 そう聞かれたら、多分私は答えにつまっていた。誰もそんなことは聞かなかったからいいものの、もし聞かれれば、私は冷静さを失っていたかもしれない。

 強い相手と戦うのは、怖い。その点に関して、ヨシエさんと私の精神の構造には大きな隔たりがあるけれど、それを差し引いても、今回は、怖くない、なんて強がれない。

 バシッ!

 私のキックは、巻き藁に当たっても、そんな貧弱な音しかたてなかった。

「ほら、ラン。気持ち入れてやりなよ。回数こなしただけじゃ強くなんてなれないよ」

「押忍……」

 やっと慣れて来た返事をして、私は再度巻き藁に身体を向け、キックを繰り出すが、やはり芳しい音はしなかった。

 それはいい。まだまだこの巻き藁で響く音を出すほどの実力が私にないのだから仕方ない。しかし、今日のはそれにしても酷い。

 気持ちを入れて、とヨシエさんは言ったが、まさにその通りだった。今の私には、キックに気持ちを入れるだけの余裕がない。

「……はあ、仕方ないか。ラン、ちょっと休憩しよう」

「……押忍」

 ヨシエさんは、あきれた顔をして私を止める。申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、だからと言ってどうすることもできない。

「ねえ、ラン。そんなに、次の試合が心配なのか?」

「……押忍」

 押忍とは肯定にも否定にも取れる便利な言葉だ、というのを聞いたことがある。今の私の心情を表すには、非常に合っていた。

 怖いのかと聞かれれば、否定はできるし、心配なのかと尋ねられれば、違うと言える。でも、それだけだ。

 心ここにあらず。それは私にもわかっている。でも、どうしようもない。どうにかできないからこそ、私は今のような状態になっているのだ。

 道場の裏での、ヨシエさんと二人きりでの巻き藁突き。正確には巻き藁蹴り。

 甘い時間と言うには殺伐としているかもしれないけれど、私にとってはとても楽しい時間だった。巻き藁を蹴れば当然脚は痛いけれど、それが自分を強くしているのが分かるので、その痛さだって嬉しいぐらいだ。

 でも、私の心は晴れない。

 その曇りの正体を、私はヨシエさんに言うべきかどうか迷っていた。あのゼロさんも、私に気を使ってくれて、ヨシエさんには言わないでおいてくれたのだ。

 次の相手は、マスカランキング二十四位、タイタン。

 身長二メートルオーバーの巨漢だ。マスカでは、ただ身体が大きいだけでは勝ちきれないのは、上位を見てもわかるが、しかし、ケンカに身体の大きさが重要なのも確か。

 身長も体重も、私とは比べものにならない。まさに巨漢。高い身長、分厚い筋肉に、うらやましいほどの頑強な骨格。

 女である私には、絶対に手に入らないものを備えた、私とはまったく反対のタイプ。

 でも、天敵と言う訳ではない。スピードが体格を凌駕するのは、別段珍しいことではない。一流の格闘家だけではなく、ケンカでもそれは一緒。

 それでも、タイタンは私より強い。その点に関しては、否定できない。

 だって、私がケンカを始めてから、初めてタイマンで負けた相手が、タイタンなのだから。

 あのときよりも、わずかながらタイタンのマスカでの順位もあがっている。つまりは、着々と実力をつけているということだ。

 ヨシエさんに負けたことは、私にとって良かったと思うけれど、タイタンに負けたことを、私は良いとはまったく思っていない。

 他のレディースとの抗争。私のチームは、私以外はぱっとした人間はいないから、勝ったり負けたりだけれども、そのときの相手はたいしたことはなかった。

 勝負がつけば寛大なうちのチームは、ケンカに勝ったので、そのチームを見逃した。まさか、その後に報復があるとしても、助っ人を呼んでくるとは思わなかったのだ。

 二メートルの巨漢。私は、しばらくあっけに取られた。相手チームの狭量さにだ。

 しかも、それがマスカの正選手であるタイタンと聞いたときには、二度驚いた。

 もっとも、タイタンも困惑していたようだ。妹が相手チームのヘッドだったらしいのだが、それが嘘をついてタイタンを連れてきたらしい。

 マスカの選手である以上、ケンカは御法度。まして、素人の女相手に何をしろと言うのか。当然、タイタンも妹を叱ってさっさと帰ろうとした。

 私は、そこでバカなことに、タイタンにケンカを売ったのだ。

 まだ、マスカの試合は見たことがなかったが、強いとは聞いていた。その選手の一人、聞けばたかが二十八位。勝てない相手ではない、と思ったのだ。

 増長していた、と言われると、返す言葉がない。私は、そんな巨漢相手に、本気で勝てると思っていたのだ。

 しばらく困っていたタイタンだが、チームの人間が、皆手を出さず、タイマンさせようとしているのを見て取って、その勝負を受けた。

 タイマンを売られて買わないような人間は、マスカにはいないと言うことか。少なくとも、売られた以上、タイタンには非が無くなるのだ。

 まあ、タイタンとしては、軽いお遊びのつもりだったのだろう。その巨体から見れば、私など幼児のようなものなのだから。

 でも、私は本気だった。本気で勝負を挑んだし、勝てると思っていた。いや、楽勝なのでは、と今までの経験では思っていたぐらいだ。

 スピードは私の方が上なのだ。それは間違いない。大きい身体は、えてしてスピードを犠牲にする。女でも図体のでかい、男顔負けの相手はいたし、巨体と言われるような男相手にも、ケンカをして、むしろ楽勝であった。ああいう相手は、遅すぎる。

 スピードで勝って、どこか急所にブーツのキックを叩き込めば、身体が大きかろうとも関係ない。

 タイタンも、愚鈍というほどではないけれど、やはりスピードは遅かった。

 掴まれなければ、勝てると、あのときの私は思っていた。そして、十分に逃げ切れるだけのスピードがあるとも。

 事実、スピードでは勝っていたのだ。タイタンは、私を捕まえきれずに、腕は空を切るばかりだった。

 急所こそ外されていたものの、私のキックは当たりに当たった。何度も顔面にも入った。リーチをかいくぐり、当てて逃げるだけのスピードが私にはあったからだ。

 ダメージは、当たっていたはず、そう思いたい。

 しかし、タイタンは、私のキックをものともしなかった。一発二発受けても、軽い相手なら掴めば勝てる。身体の大きい人間はそう思って、無理をしてつっこんでくることがある。しかし、それは私にとっては、予測でき、かつ、十分回避できるもの。

 だけれども、タイタンは、それすらしなかった。

 私にキックを何発も打たせ、私が休もうとすると、その長いリーチを利用して腕を振り下ろして来る。

 ものの五分、それで私の体力は、ピークに達していた。

 私は、体力を回復するために、守りに入った。しかし、それが勝負を決めてしまった。

 回避するならともかく、ガードでは、その体重差は致命的だったのだ。

 二発でガードがはじけ、三発目は何とか耐えたが、四発目であえなく倒れた私は、もう立ち上がれなかった。

 その敗北が、今の私の心の中に、もやをかけているのだ。

 本当に、噂には聞いていたけれど、初戦がブラインドだったのを見ても、次の相手がタイタンであるのを見ても、心から思う。

 マスカをプロデュースしている赤目の、性格の悪さを。

 まるで、私たちが苦しんでいるのを、楽しむかのようにさえ思えた。

 

続く

 

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