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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(111)

 

 浩之は、夜の住宅街を、息を切らせて走っていた。

 綾香に追われている、などというあまり笑えない状況ではなく、単なる自主的なロードワークだ。ただし、かなり厳しめのやつだ。

 走る、と言うのは、脚だけではなく、全身を使う。身体を鍛えるにはもってこいではあるが、反対にそれができない、となると、衰えるのも早い。

 浩之は鎖骨の怪我の所為で、全身運動を長い間できなかった。当然、その遅れを取り戻すために、地獄のような練習の後に、まだ走っているのだ。

「くっ、はっ、さすがにっ」

 息も絶え絶え、これ以上は動かないというところから、さらに走ったのだ。普通ならば、確実にオーバーワークだ。

 オーバーワークをこなしても、それがまだ身になる。その点は、頑丈に生んでくれた親に感謝しても良いだろう。

「ふうっ、はあっ、はっ……あ?」

 疲れ切った身体をひきずるように公園まで来た浩之だが、そこで見知った顔を見つけた。

 浩之の荒い息を聞いて、向こうも浩之に気付いたようだった。

「……」

 ただし、気付いても向こうから挨拶はない。まあ、今のところ体育会系の部活に入っているとは言え、浩之は基本的に上下関係にはうるさくないので、気にはしなかった。

「……よう、ラン」

 一分ほど経って、やっと話せるぐらいに息の整った浩之は、制服のままで、暗い公園のベンチに座っていた少女、ランに声をかけた。

「……」

 ランは、無表情と言うよりも、嫌そうな顔で、一応小さく頭を下げた。ただ、本当に仕方なく、という雰囲気を醸し出しており、人が寄ってきそうにはない。

 普通ならここまで拒絶の様子を見せられれば、気後れするようなものだが、そこは浩之、何も気にせずに話しかける。

「こんな時間に、お前も練習か? って、制服でそれはないか」

「……」

 ランは無言。今度は視線さえそらした。浩之とは会話をする気はまったくないと意思表示している。

 しかし、浩之はめげない。それぐらいで引き下がるような生半可な性格ならば、他称ジゴロなどとは思われなかっただろう。

 ランは、あくまで無視を決め込む。しかし、浩之は、何故か話しかけようともせずに、その場にとどまっていた。

 時間にすれば、わずか三十秒。これで先にランが折れたのは、何もランの精神が弱い、という照明にはならないだろう。

「……何か?」

 あまり表情の出るタイプではないが、心の中で何を考えているのか、浩之はだいたい予想がついた。

 さっさとどっか行けやボケが、ってところか?

 まあ、女の子の心ない罵声ぐらいでへこたれるような人生は送って来なかった浩之としては、それぐらいもし言われたとしても、どこ吹く風で会話を続けられただろうが。

「いや、何か親か先生に叱られた子供みたいな顔してるからな」

「っ!」

 ランは、きっと浩之を睨み付ける。腐ってもレディースだ、眼光の面から言って、並の男でもびびるだろう。それが強さに裏打ちされたものならなおさらだ。

 しかし、当然浩之はびびらない。実力的に浩之の方が上であることがなかったとしても、日頃から危険な場所で生活しているのだ。いちいち女の子の眼光にびびっていたのでは、余計におもしろがられて遊ばれること間違いなしだ。

「図星……とまではいかないまでも、当たらずも遠からずってところか?」

「……それが、何か?」

 自分の眼光ぐらいではどうにもできないほど浩之が鈍感であるのを察したのか、ランはついと目をそらす。

「いや、何なら話でも聞いてやろうかなって。どうせ、坂下には言えないようなことなんだろ?」

 それは図星、とランの顔には書いてあった。

 ランは、ギリッ、と歯をかみならすと、それで怒りを抑え込んだのか、つとめて冷静なふりをして、また浩之から目をそらした。

「藤田……先輩には関係ないです」

 しかし、顔には出さなくなったものの、怒りはまったく抑えられていないように浩之には見えた。大して時間もかけずに、怒りにまかせて殴りかかってくる、この場合は蹴りかかってくるだろうが、のは予想に難くない。

「んー、まあな。でも、一応坂下にも色々と世話になってるからな。坂下の後輩に色々世話を焼くぐらいの甲斐性はあるつもりなんだぜ、これでも」

「いりません」

 にべもなくランは言い切る。

 その光景は、軟派な先輩が、純真な後輩をからかって遊んでいるようにさえ見えるかもしれない。修羅場、と言うには、二人の間柄は近くには見えないから、それぐらいがいいところだろう。

 いや、確かにちょっと楽しいが……

 後輩をからかう、というのはやってみるとかなり楽しいと浩之は感じていた。いや、別に本気でからかおうとしていた訳ではないのだが、なりいき上、というやつだ。

 今度、葵ちゃんで試してみよう。ああ、でも葵ちゃん、ランよりももっと素直だからなあ。かわいそうか?

 などとふとどきなことを考えながらも、浩之は本題に入ることにした。

「おおかた、坂下に練習に身が入ってないから、帰れとでも言われたんだろ?」

 今度こそ、ランの堪忍袋の緒が切れた。もともと、そんなに丈夫なものではないのだから、へこんでいるときに、事実を述べられれば、切れて当たり前だった。

 スカートなのも気にせずに、ランは立ち上がると、浩之に向かって歩を進める。

 浩之は、今しがたロードワークを続けていたところだ。スタミナは完全に切れている状態で、さすがにランと戦えば、どうなるかわからない状態である。

「まあ待てって。別にからかってる訳じゃねえし」

 ちょっと嘘である。まあ、そんなことはランの知ったことではなかった。すでにランは臨戦態勢に入っているのだ。後は、浩之を蹴り殺すだけだ。

 しかし、浩之は、疲れている状態を置いておいても、ランと戦う気は毛頭なかった。

「相談に乗ってやるって言ってるんだよ。一人じゃ、今の状態打開できないんだろ? まあ、坂下は厳しいからな。助言もしてくれそうにないしな」

 その言葉が、ランの理性を動かし、身体にブレーキをかけさせる。

「……わかったような口を」

 しかし、隠しきれない期待が、ランの口調から漏れていた。

「いや、これでも今のランと同じ状況は何度も経験してるつもりなんだぜ?」

 それは浩之が、今ランが何を悩んでいるのかわかっているという口ぶりだった。

 いや、本当に浩之はわかっていた。だから、わざわざ睨まれても会話を続けたのだ。

 いつもの、悪いおせっかい。

 幾多の女の子を落として来た、浩之が自然に手にしている武器。しかし、それでランが落ちることは、少なくともないとランは自覚している。

 何故なら、今のところ、ランにとって浩之は、敵でしかないのだ。

 しかし、今のランにとってみれば、それは敵から送られてきた、喉から手が出るほど欲しい塩だったのだ。

 一瞬の躊躇。しかし、ランにはあまりためらいはなかった。

「……どういう、こと?」

 利用できるものなら、何でも利用する。そうやって、ランは少しでも、坂下に近づきたいと考えたのだ。

 そして、浩之は、それに異論を挟む気は、まったくなかった。

 

続く

 

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