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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(112)

 

 日も落ちた公園で、同年代の男の子と一緒にいる。一見すればいい雰囲気に見えるのかもしれないが、私は不機嫌だった。

「ほれ、おごりだ」

 藤田浩之が、えらそうに私に缶コーヒーを投げてよこす。子供扱いなのか、ブラックではなくて甘いやつだ。

 一応、意思表示に嫌な顔をしてから、しぶしぶ私はプルトップに指をかけた。

 プシッ、と軽い音が響き、まあそれなりにコーヒーの香りが広がる。

 本当は、この男にほんの少しでも借りを作るのは嫌なのだが、仕方ない。話を聞く意志を示すために、コーヒーを開けたのだ。

 藤田浩之は、スポーツドリンク。今まで運動をしていたようなので、無難なチョイスだろう。

 だからこそ、缶コーヒーと言う、運動した後にはあまり合わないものを私に渡したのは、何かの皮肉かとさえ思えた。

 確かに、今日はあまり身体を動かしていない。だから、水分が不足することもないし、甘さの濃いものを飲んでも吸収が悪いということもない。

 それを見透かされたようで、私はますます不機嫌になる。

 藤田浩之は、私の視線に気付かないのか、スポーツドリンクを半分ほど一息で飲んで、大きく息をついた。

「ふっ〜、生き返った〜」

 さわやかなスポーツ青年でも演出しているのだろうか? 私としては、さっさと本題に入って欲しいのだが。

「それで……」

 と、本題に入ろうとして、私は言葉を濁した。

 藤田浩之が、何か役にたつと考えたというよりも、何か含みのある言い方にひっかかって話を聞くことにしたようなものだ。一体、何を聞けばいいのか、私にはわからない。

 少なくとも、私がどういう状態なのか、一応わかっているらしいのだが。それすらも、本当なのかどうかわからない。

 でも、それでも仕方のない話なのだ。少しでも助けになるものがあれば、それで十分。もとより、こんな男には多くを期待していない。

 そんなことを考えた瞬間に、私の脳裏に、嫌な言葉が浮かぶ。

 こんな……私に寸止めで勝つような男に。

 思い出したら、余計に腹が立って来た。この男は、あろうことか、私に寸止めなどしたのだ。ケンカをするつもりの私に、一発も当てさせずに。

 ヨシエさんほどではないにしろ、強いのはわかるが、鼻につくヤツだ。いや、そもそも行動自体が、色々と鼻につく。

 こんな男の助言を聞かなければならないと思うと、はらわたが煮えくりかえる。

「……さっさと話をして下さい。私は暇じゃないんです。一体、何が言いたいんですか?」

 半分くだけかかった口調で、私は藤田浩之を詰問した。一応、先輩にあたるのもあるし、ヨシエさんは礼儀には厳しい。でも、嫌っているこの男相手には、努力しても完全に敬語にはできない。

「まあ、そう焦るなって」

「……」

 やはり、この男は私をからかっているだけなのだろうか。そんな思いが、私を支配する。だったら、さっさと蹴って帰るだけだ。

 私が静かに構えを取ったのを、藤田浩之は気付かなかったのだろうか。視線を、私には向けて来なかった。

 丁度いい。いかに強いとは言え、不意打ちでも私のキックが効かないと思っているのなら、そのおごりごとぶち殺すだけだ。

「俺としては……」

 その私の気をそぐように、藤田浩之は、やっと話し始めた。

「俺よりも、先にランが話すべきだと思うけどな」

 私が?

 それこそ、ありえない話だ。話すのなら、ヨシエさんに話しておく。もっとも、ヨシエさんに話すタイミングがなかったのも確かだけど。

 それよりも、ランと気安く呼びかけられるのが我慢できない。しかし、それを口にすると、何か意識しているようで嫌だった。

 まあいい、これはマスカでも使っている名前。そちらを呼ばれていると思おう。

 しかし、こいつ、私が何を悩んでいるのか、わかっていると言った癖に、それを覆すつもりなのだろうか?

 いや、そもそも、この男がその感情を知っているとは思えない。

 どう見てもバカだが、異常な強さのある、あの寺町とかいう男相手に負けたのは知っているが、しかし、この男は、基本的に強者だ。

 マスカではまだまだ新参者の私とは実力が違うだろう。それに裏打ちされたものが、自信へとつながるのを、それがない私にはわかる。

 私にとって強さは、「今」だ。

 先に行くために、積み上げて来たものを全部捨てるつもりで、ヨシエさんに教えを請うているのだ。

 強くなった、と錯覚したこともあるけれど、でも、まだまだなのだ。まだ多くを私は積み上げて来ていない。それなのに、タイタンという、一度負けた相手に戦いを挑まなくてはならないのだ。

 この気持ちが、この男に分かる訳がない。

 一度は、藁をも掴むつもりで聞く体勢に入った私だったが、そう結論づけた瞬間に、この男の茶番につきあうつもりは一切なくなった。

「話になりません、帰ります」

「でも、それじゃ明日も坂下にどやされるぜ」

「っ!?」

 嫌なことを言う男だった。確かに、こんな気持ちが、一日二日で収まる訳がない。経験していればわかりそうなものだ。それをわざわざ言って、余計に私の神経を逆撫でする必要もあるまいに。

 気を使って欲しい訳ではないけれど、せめていらないことは言わないで欲しいものだった。まあ、この気持ちのわからない、積み上げたものがある男には関係ないのだろうが。

 積み上げた……?

 私は、自分の考えに多少なりとも疑問を持った。それが、何故かをしばらく考えねば、どうして疑問を持ったのかさえ分からなかっただろうが。

 幸運にも、私の記憶は、それを覚えていた。いや、忘れる訳がない。それほど衝撃を私に与えた内容だったのだ。

 私は、自分のことに精一杯で、まわりの状況さえ分からなくなっていたということだ。

 藤田浩之を、私は見つめる。もちろん浮ついた気持ちではなく、真剣にだ。さっきまでの敵対心も、もうなりを潜めた。

 今年の春。ヨシエさんは確かにそう言った。

 積み上げて来て……など、この男はいないのだ。大会に出たのが今回が最初、というのなら、まだそれは積み上げていてもおかしくない。

 しかし、今年の春。いかに藤田浩之が最初から天才であったとしても、積み上げるどころか、下地さえ作れる訳のない時間。

 私が憧れ、目標としたヨシエさん、ビレンを倒して、舎弟にまでしている、しかもヨシエさんに勝ったことがあるという松原さん、そして、次々にマスカの上位を喰らっていく、エクストリームチャンプ、来栖川綾香。

 男とか女とかの差など、はかなく消し飛ぶ実力者達。この男は、そんな本当の強者達と一緒に練習して来たのだ。

 かなわない、という言葉を、この男は、もしかすれば、私よりも多く知っているかもしれない。

 恐怖を知らないなんて、積み上げたもののない不安を知らないなんて、この男に言うべきではない。そんなことを考えただけでも、自分で恥ずかしくなって来る。

 もちろん、この男は気にくわない。しかし、だからと言って、思っていい内容ではなかった。本当に、恥だ。

 だから、今だけでも、この男の言葉を、素直に聞いてもいいのではないのか。そう思ってしまった。

 それは、私の恥をぬぐうための代償でしかなかったのだけれど。

 後から思えば、それは藤田浩之を見る目が変わった、最初の日だった。

 

続く

 

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