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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(113)

 

 まだ鋭い目つきはどうしようもないものの、ランは浩之に向き直っていた。今にも帰ってしまいそうな態度は、すでにない。

 どういう心境の変化なのかは浩之にはわからなかったが、いい傾向だった。まあ、それで浩之が結局役に立たない可能性はあるのだが。

 しかし、ここまで来てしまえば、浩之ができることのほとんどはできたようなものだった。

「じゃあ、話してみな」

 ランは、少しの間躊躇していたようだが、観念したのか、コホン、と小さく咳をした。

「……では」

 ランの目つきが、変わる。それはまさに試合中の目だった。それほどに気合いを入れなければしゃべれないことだとでも言うように。

「だいたい……無理があるのよ、最初から」

 ランは、気合いを入れたわりには、とつとつと話し出した。

「たった数ヶ月前に、結果から見れば手も足も出ないで負けた相手に、いきなり当てる普通? マスカなら、それぐらい調べ上げてるに決まってるのに」

「負けた相手?」

「う……」

 浩之の指摘に、ランの顔が赤くなる。自分の負けを口にするほど、ランにとって恥ずかしいものはない。しかし、それをランは無理矢理押さえて、話を続ける。

「そ、そうよ、負けた相手。マスカの選手で、タイタンって言う、二メートル越す巨漢。タイマンでは私が初めて負けた相手よ」

「てことは、かなり強いってことか」

 今のところ、浩之はランに圧勝したが、だからと言ってランが弱いという訳ではない。素人としても、その年齢を考えても、かなり強い方に入るはずだ。

「まさか」

 ランは吐き捨てた。それで、自分の貶めていることになるのに気付かない訳ではないのだろうが、それでも吐き捨てずにはおれなかったようだった。

「マスカでも二十位中盤をうろちょろしてるようなヤツよ。身体があっても、マスカではそうそう勝てる訳ないんだから」

「でも、負けたって訳か」

「腹立つわね。でも、その通り。何発も当てたけど、結局倒しきれずに、こっちは三発で終わり。何のひねりもないフック系のパンチ三発でなんて、自分が恥ずかしいわよ」

 恥じている、といよりも、憎んでいるという表現がぴったりくるランの表情だが、それはそのタイタンに向けられたものなのか、それとも、ラン自身に向けられたものなのか。

「ヨシエさんや、来栖川綾香がいる場所とは、はっきり言ってレベルが違うもの。ヨシエさん達がいる場所と比べたら、遊びのようなものよ」

 ギリッ、とランは歯ぎしりをする。今本心を言っているようにしか見えないのだから、心情は予想に難くなかった。

「それでも、お前は勝てない、って訳か」

「勝てないとは言ってない!」

 と怒鳴ってから、すぐにランの表情は曇る。さっきの言葉も、感情にまかせて叫んだだけだというのがすぐにわかる。

「……でも、たった数ヶ月前に負けた相手に、勝てるかと言われると、自信がない。あのころよりは強くなったと自分でも思うけど、それでも半月程度、ヨシエさんに鍛えてもらっただけで、まだまだだと思うし」

 自信がない訳では、ないのだろう。浩之はそう感じていた。

 自分と戦ったときのランは、わき出る力に、驚きながらも自信をつけていた。浩之は、そのうわついた状態のランをあしらうことに成功したが、あくまでランが対応できないような、特殊な技を使ってのことだ。

 真正面からやれば、それなりのものだと思う。日頃怪物を見て生活している浩之は忘れそうになるが、男女の差を考えれば、ランがどれだけ強いかわかりそうなものだ。

「これだから、マスカは、赤目は性格悪いって言われるんだ」

「なるほど、このカードも、わざとやられたってことか」

「じゃなかったら、私にこんなに早く次の試合が来る訳ない。下のランクは人も多いから、そんなに頻繁に試合が組まれることなんてないんだ」

 確かに、ありそうな話である。ちょっとしか赤目と関わってはいないが、綾香と坂下の試合場の話や、相手のことを考えると、その話もまんざら嘘ではなさそうだった。

 しかし、てっきり、二人はマスカの人間ではないから狙われていると思ってたんだが。

 ランの対戦相手も、一回目もランにとっては相性の悪い相手だったように思える。それを考えると、誰にとっても、赤目は悪い方になるように考えているのかもしれない。

 考えてみれば、二メートルの巨漢が、ちょっとひいき目に見ればかわいらしい女の子と戦わなければならないというのは、あまり気分がいいとは思えない。

 おそらくは、観客はほぼ全員ランの応援をするようになるだろうし、やりづらいことこの上ない。勝てる負けるの意味で言えば楽な話に聞こえるが、まったく人気を気にしない訳もないだろう。

「でも……それなら、私がそれをはねのけられるほど強ければ、何もこんなに悩むことなんてないのに、それが、悔しい」

 一度目は、相性の悪い相手にも勝った。しかし、二度目はどうなるかはわからない。

 何より、一度負けた相手だ。それが、どうしてもランの心を鈍らせる。作戦とか勝機とか、そういうものを考えるよりも先に、負けるのではないか、という気持ちがランの心を捕らえてしまうのだろう。

 浩之にも、その気持ちはわかる。幸いというか、情けないことというか、浩之はまだ負けた相手に一度も勝てていないが。

 しかし、浩之から見るに、ランはかなり恵まれているように思えた。

「……ってことは、負けた回数ってのは、数えられるぐらいしかないってことか?」

「……何を聞いているんだか」

 話がそれたと思ったのか、ランは苦笑したようだった。しかし、今のおかしなテンションは、ランを饒舌にさせていた。

「……まあ、そうかな。タイタンと、ヨシエさん。タイマンのケンカではそれだけ。部の池田先輩相手には逃げ回るだけしかできなかったし、試合とはいえ、あんたに負けたけどね」

「全部数えても、回数的には四回か。何だ、全然負けてねえじゃねえか」

「それは……ヨシエさんとか、本気で強い相手に、今まで当たらなかったから」

 しかし、ランの声は歯切れが悪い。

「俺なんて、たったこの数ヶ月間で、何回負かされたことか。というか、勝ったのは、エクストリームの試合が初めてだぜ」

「う……」

 嘘、と言いそうになって、ランは止めたようだったので、浩之は笑った。

「嘘なもんかよ。でも結局、エクストリームの予選で二回。俺の勝った回数なんて、お前の負けた回数にも及ばないんだぜ? それに、ランはずっとケンカしてきたんだろ? それで四回ってのは、むしろ少なすぎねえか?」

「……そんなものじゃない」

 しかし、ランの声は小さい。見ようによっては、顔が赤くなっているようにさえ見えた。誉められて、恥ずかしがっているのかもしれない。

「そ、それに、負けてこなかったからと言って、強いって意味にはならないし……」

「強いだろ、実際」

 落ち込んでいても、高い矜持を捨てている訳ではない。結局、浩之の見るところ、ランは昔の葵と同じようなものだった。

 緊張と、敗北の差こそあれ、こういう人間を元気づけるのは、何も難しいことではない。

 つまり、こう言って欲しいだけなのだ。

「ラン、お前、強いよ。間違いない、勝てるさ」

「あ……」

 浩之は、そのタイタンという男の情報はない。だから、勝てるなんて安請け合いをしては駄目だ。

 しかし、戦うのは、浩之ではない。なら、何も心配することはない。

 いや、他の人間のことでも、安請け合いは駄目だろうが、ランならいい、問題ない。

 浩之がどうこう言うまでもなく、ランの胸の奥には、強くて熱いものが、ちゃんとしまわれているのだから。

「や、安請け合いにもほどがっ!」

 だから、浩之の一言だけでも、ランはよみがえることができる。

「でも、負ける気なんてないんだろ?」

 ようは、一歩前に出るために、ちょっとだけ背を押してやれば、いいだけなのだ。

 勢いにまかせて叫び返すランを見ながら、浩之は、成功を確信していた。

 

続く

 

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