「ラン、お前、強いよ。間違いない、勝てるさ」
藤田浩之の言葉に、身体がカッと熱くなるのを、私はもう隠せなかった。何とか表情に出さないようにとがんばっていたものが、あっさりと決壊したのが、自分でもわかった。
「あ……」
お腹の中から漏れるような声が、私の喉を伝ってはき出される。
情けない、と自分でも思ってしまった。しかし、それをすでに止める術が自分に残っていないのも確かで、私はそれをごまかすために、声を張り上げた。
「や、安請け合いにもほどがっ!」
私の言葉に嘘はない。簡単に口にしてできるようなことではないのだ。それは、私が一番わかっていて、当事者ではない藤田浩之に言われる言葉ではない。
でも、私が本当に言いたかった言葉でも、ない。
「でも、負ける気なんてないんだろ?」
ただのごまかしの言葉を、藤田浩之は、あっさりと蹴りつける。
「あ……」
駄目だ、と冷静な自分が警鐘を鳴らす。その言葉を続けては、駄目だと。
藤田浩之の言葉に乗らされて、自分が安請け合いをする訳にはいかない。戦わない藤田浩之はいいだろうが、私は直に、負けた相手と戦わなければならないのだ。
冷静な自分はそう言っているのに、冷静でない自分が、藤田浩之の言葉を肯定しようとする。したくてしたくてたまらない、と言って来る。
落ち着け、落ち着くんだ。何度も私は自分に言い聞かせる。
ただ、ちょっと誉められただけで、有頂天になっているのが、自分でもわかるだけに、その言葉に乗るのを、理性が躊躇する。
反対に、感情は、その心地よい言葉に身をゆだねてしまえと言って来る。
強い。
なんていい響きだろう。
そして、なんて強い殺し文句だろう。
私が望む私を、その言葉一つで肯定できる。そう思えば、感情がその言葉に身をゆだねたいと思うのは当然。
今、一番私が望んでいる言葉なのだから。
だから、言いたい。勢いに乗せられた風を見せかけて、言ってしまいたい。
今なら、自分が望んでいる姿に、幻想を抱いて、それが心地よいからそちらに流れただけ、なんて思われない。もしかすれば、それも、藤田浩之の策略なのか。
「あた……」
視線がさ迷って、一所に落ち着けない。顔がほてって、一番いい選択がどれかなんて、考えられない。
端から見れば、さぞ面白い見せ物だったろう。まるで恋する女の子が、告白する勇気を出すために、おろおろしているようにさえ見えただろう。
私は、力を総動員して、少しずつ言葉を、飲み込んでいく。
誘惑とは、相手の望むことをしてやれば良いだけだ。藤田浩之の口にする誘惑は、まだまだ弱い私の心を、強く惹き付ける。ゆえに、その誘惑に、私は乗りたい。
それを、私は耐える。
冷静に考えれば、何のために耐えているのかわからない。
いや、多分それは負けず嫌いの私の最後の意地なんだろうと思う。そう思いたい。そうでなくてもいいから、そこから目をそらしたい。
しかし、藤田浩之は、赤目よりもずっと、多分今世紀最大に、悪い男だ。
私の牙城を打ち砕く、最後の言葉。
「言っちまえって。そうすりゃ、怖くなくなるさ」
私が、何を怖がって!
「怖がってなんか!」
いない。いない、いない、いない、いない……訳がない!
理性に隠して、私を止めようとしていた恐怖という牙城に、ひびが入る。
言ってしまえば、もう止められない。怖くても、言ってしまった言葉が、私を引きずって前に行くだろう。
「じゃあ、負けねえよ、そうだろ?」
「逃げ」のために言わずにおいた、本心からの言葉が、私の中から、漏れた。
「当たり前よ! 私が、負ける訳ない!」
……ああ、言ってしまった。もう、後には引けない。せっかく、子供のように、駄々をこねて足踏みしていたのに、もうそれも許されない。
「私は、勝つ!」
もう、手遅れになってしまった。だから、さらに奥にしまっていた心が、はじける。
「タイタンがなんぼのもんよ! 二度負けるなんてありえない!」
腹にあるものが、はき出される。弱音ではなく、本音として。
「怖くない訳ない! 一度負けた相手と戦おうって言うのに、よくもそんなのうのうといい加減なこと言えたわね!」
今更、止められない。考えてみれば、私としてはおかしなほど今日は饒舌で、言っている言葉も、全然洗練されていない。むしろ混乱している。
そんなことを言いたい訳ではないのだけど、私は、藤田浩之に向かって声を張り上げていた。
違うのだ、本当は、感謝している。
ヨシエさんが私を帰した理由は、私自身の臆病さを看破していたからだ。
心の弱い者を、横に置かせてくれるほど、ヨシエさんは甘くない。そして、わかっていても、助言してくれるほど、手当たり次第に優しくない。
自分で気づけ。そして自分で超えろ。ヨシエさんの無言の言葉は、私には届いていなかったのか。結局、私は自力ではそれを超えられなかった。薄々とはわかっていても、気付かないふりをしていた。
それを、この男は。ヨシエさんの、私に対する期待を裏切ったばかりか、頼んでもいないのに、解決までさせてくれた。
いくら恨み言を言っても気が収まらない。
そして私は、結局のところ、浩之先輩には、心から感謝していた。
私の腕が、伸びる。浩之先輩は、胸ぐらを掴み上げる私の行為に、身をまかせていた。
「たった数ヶ月でエクストリームの本戦に出られるような天才とは、私は違うのよ! 一緒にしないで!」
「あー、いや、悪かった悪かった」
ああ、浩之先輩は分かっている。私が、自分でもわからずに混乱しているのを。だから、そんな優しそうな目で私を見る。
「ふざけるな! こっちがどれほど悩んでると思ってる!」
どうにかして止めたいのに、言葉が止まらない。顔のほてりも消えない。浩之先輩を睨むために近づけた顔を、離したくない。
「それだけ元気なら、俺の助言なんて必要ないよな?」
「最初っからいらないわよ!」
そう、浩之先輩は、一言も助言なんてくれなかった。私に投げたのは、無責任な、嬉しくなるような言葉。
「だよな、ランは強いもんな」
「あ……」
私は、声を落として、何か言おうとして、浩之先輩の視線を感じて、結局、「ありがとう」という言葉を口の中でもみ消し。
胸ぐらをつかんでいる手を、何故か放したくなくて、それでも、無理矢理浩之先輩を手ではねのけて。
「当たり前よ!」
強く、言い切った。
続く