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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(115)

 

「んぐっんぐっんぐっんぐっ……ぷは〜っ」

 はしたなくパック入り牛乳をラッパ飲みして、坂下は一息ついた。

「ふ〜、生き返る〜。やっぱ風呂上がりはこの一杯だね」

 はしないというよりも、オヤジ臭いことを言いながら、牛乳を冷蔵庫にしまう。

 一応、学校ではシャワーは浴びれるが、やはりシャワーと風呂は別物だと坂下は考えている。そして、坂下は湯船につからなければ満足できないタイプだった。

 お風呂からあがり、まだ身体が温かい状態で、坂下はゆっくりと柔軟を始める。

「んっ……」

 身体がつっぱって、心地よい痛みが脚に広がる。

 風呂あがりの牛乳ラッパ飲みも、その後の柔軟も、もう十年以上続けている日課だ。女の子は男よりも身体が柔らかいというが、坂下は普通の女の子と比べて、非常に筋肉質であり、毎日の柔軟は、その殉難性を保つために、必要不可欠なものだった。

「よっと……」

 あくまで、ゆっくり。身体の硬さと同時に、疲れもほぐれていくようで、坂下は一日の最後、お風呂上がりの柔軟は好きだった。

 身体を鍛えるのは今日はここで終わり。後は身体の回復に努める。この後は勉強だ。文武両道というのは坂下の好きな言葉で、あまり他の部員達には指示されない言葉でもある。

 別に見るつもりもないが、静かなのも何なのでつけているテレビからは、最近多いお笑い系の何かがしているようだが、爆笑が聞こえても、坂下はそちらに意識を向けることはなかった。

 この柔軟は、一日のおさらいやまとめも兼ねている。柔軟をしながら、坂下は今日一日を振り返るのだ。

 自分は、順調だ。マスカレイドも、いい意味で刺激になっている。

 経験したことのない試合は、坂下に良い刺激を与えてくれる。それに、強い相手と戦うというのは、やはり楽しいものだ。

 前の試合を回想しても、坂下は猛らない。そこが、一般的な格闘バカと違うところだ。今はクールダウンの時間で、今からやる気をあげたところで、意味がないどころか、弊害すらあることを知っているからだ。

 次の試合はまだ先みたいだし。

 それは、確かに残念なことではあるが、坂下が怒ったところで、どうなるものでもない。だから、今は思考の外だ。

 それよりも今日は、ランの方が問題か。

 坂下は、ランの沈んだ顔を思い出して、苦々しく笑った。

 私にもあんなころあったのかなあ。

 口の悪い御木本などは、鬼の姉御と呼ぶ自分に、あんなころがあったかどうかなど、坂下は覚えていないが、しかし、もしかすれば、今もそうなのかもしれない、とも思う。

 自戒、これも坂下の好きなことだ。

 精神的なものは、見くびってはいけないのだ。それを超えたからこそ、坂下はここにおり、葵は坂下に勝てたのだ。

 ランは、このままつぶれないで強くなれるのかな?

 それは、坂下のどうこうできるものではない。結局、ラン本人の力だ。坂下は手助けをしてやることはできても、親切丁寧に尻を叩いて前に行かせるおせっかいな気持ちなど、もとよりない。

 問題は、ラン本人にある。戦う相手が強いかどうかなど、二の次だ。

 言葉でこそ言わなかったが、ランには、いや、ランだけでなく、誰でも、仕方ないという気持ちに身をまかせることの気楽さを自覚はなくとも自身で知っている。

 今回のランなどは、いい例だった。

 なるほど、一度負けた相手だ。その相手に、負けてからたった数ヶ月後に戦わなければならないというプレッシャーは、大きいのは分かる。

 しかし、「勝てない」と思うのは仕方ないとしても、「負ける」ことが当然だと無意識の内に思ってしまい、そこに考えを落とすのは間違っていると思う。

 身が入っていなかったからこそ帰したのだが、ランにとっては一番の敵は、自分自身の強さではなく、それ、自分自身の弱さなのだ。

 負けても仕方ない、と言って開き直って、良い結果を出すこともあるが、ランのそれは違う。

 負けても仕方ない、と言うまではいいが、開き直るのではなく、そこに理由を求めたのがまずいのだ。

 負けても仕方ない、負けるのは当然。だから負ける。

 駄目もとでもいい、勝負をかける、そんな思考にすら届いていない。単なるいい訳のために、相手が強いと言う。それでは、勝てるものも勝てない。

 勝てないと思うのなら、勝てるように強くなればいいのだ。負けるかどうかなど、やってみなければわからない。万策使って、万全の力を出して、それでも負けたならば、くやしがればいいのだ。

 負けることに、理由など必要ない。くやしがればいいのだ。負けたときの理由を考えている時点で、もうそいつは負け犬なのだ。

 ……ちょっと厳しすぎるか?

 ずっと面倒を見ていれば、それなりに情も沸く。何より、もとから坂下は情いタイプなのだ。情に流されて判断を誤る、ということがないのが救いだが。

 ランに厳しすぎるかもしれない、と思っても、それを覆すことはない。ただし、自分の中で反省することはあるのだが。

 私だって、綾香という「負けてもいい相手」というものを無意識においているのかもしれない。

 人のふり見て我がふりなおせ、だ。

 坂下に自覚はなくとも、結果綾香を負けた理由にしている可能性を否定できない。だから、坂下は自戒する。無自覚でも、自戒をしていれば、いつかは正しい方向に進めるはずだ。

 ピンポ〜ン

 その坂下の自戒を遮るように、インターホンが鳴る。

 時間を見ると、八時過ぎ。今日は早めに練習を切り上げたので、いつもより早い方ではあるが、人が訪ねて来るには、いささか遅い時間だ。

 母さんは……あの浮かれ女、今日は飲み会とか言ってたわね。

 祖父母とは同居しておらず、父親も仕事が忙しくまだ帰って来ていない。つまり、今家には坂下一人だ。防衛上はあまり良くない状態だ。

 ま、別に怪しい人間でも困らないけど。

 修羅場も沢山経験している坂下だからこそ言える、かなり危ない発言だ。実際に不審者だった場合でも、おそらくは坂下にとっては余裕であしらえるのが凄いところだが。

 坂下は、素早く玄関に移動する。来ている服装をチェック。白いタンクトップにスパッツ。ちょっと軽装だが、問題はないと判断。

「はーい」

 警戒などしていないが、それでもチェーンを外さないあたり、坂下の経験がうかがえる。

 扉の間から見えた姿は、予想外のものだった。

「……夜遅く、すみません、ヨシエさん」

 しかし、ここで訪ねてくるのならば、期待してもいいのではないのか。そう思わせる人物だった。

 実際、自分は嬉しいのだろう。頼られたとしても、自力で超えられたとしても。

 坂下は、にっこりと、あまり似合わない笑顔を浮かべて、彼女を招き入れた。

「いらっしゃい、ラン」

 

続く

 

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