1:もう家に帰って休む。
2:まだがんばる。
多分、こんな選択肢が出て、そこで2番を選んでしまった自分のミスなのだろう、と浩之は苦笑しながら考えていた。
落ち込んでいたランにはっぱをかけてから、浩之は、その元気を取り戻したランの雰囲気に引きずられて、もういっぱいいっぱいまで走ったというにも関わらず、まだ走ってしまった。
ジョギングではいかない駅の方向に向かって走り出し、へろへろになりながらもがんばって走り続けていた結果。
どうも、今日は色々と面倒なことに当たる日なのだろう、とどこか達観できた。
浩之の経験則上、ままある話だ。まあ、普通の人間にはそんなことはないのかもしれないが、浩之の特技とも言える、おせっかい能力の一端なのだろう。
「へえ、バイオリンなんてやってんだ」
「ええと……」
「もしかして、これからオケイコってやつ? そんなのさぼって、俺らと遊びに行こうよ」
「あの、すみません」
「こわがることないって、俺ら優しいよ?」
コンビニの前で、女の子をかこっている男が三人。
浩之の無駄に良い耳は、多少離れていても、会話を聞き取り、なるほど、ナンパかと納得して、少し離れたところで足を止めた。
「ごめんなさい、これから用事がありますから」
丁重な口調とは裏腹に、ナンパされてもまったく嬉しがってもいなければ、おびえてもいない、落ち着いた声。
長いロングの黒髪に、膝上ほどの制服のスカート。この近くにあるお嬢様学校、寺女の制服だが、正直こんなにスカートが長いとは思わなかった。イメージが綾香なので、寺女の制服と言えば、ミニしか思い出せない。
今時、珍しいぐらいにしっかりとした身なりの女子高生だった。それにかなりかわいい。雰囲気としては、綾香の姉、芹香を思い出す。
手には、カバンと、多分バイオリンなのだろう、手持ちの弦楽器のケースを持っている。
「えー、いいじゃんかよ。ほら、行こうって」
男の一人が、馴れ馴れしく肩に手をかける。
先ほどは知り合いの女の子にはっぱをかけ、今度はナンパされている知らない少女と会う。何か取り憑かれてるんじゃないのか、俺?
浩之は自分が無意識に少女の方へ近づいていくのを、何となく意識して、また苦笑する。
面倒ならば、止めれば良いものを、それができないのが浩之たる所以だ。
「ああ、ごめん。それ、俺の連れだから」
ナンパ男達と少女の間に、浩之はするりと入り込んだ。突然現れた、しかも三人の間を素早くぬうようにして入り込んできたのに、男達はぎょっとする。
「何だ、てめえは」
「だからこの子の連れだって」
浩之は、そう言いながら、男達から少女を隠すようにそちらを向いて目配せする。
「ごめんな、部活が長引いて遅れた」
「あ、はい。いいですよ、それぐらい」
少女は浩之を何者かと思って始めは目を見開いていたが、状況を察したのか、すぐに合わせてくれた。
ナンパを止めるのは、結局これが一番楽な方法なのだ。女の子の方が合わせてくれれば、追求してくるようなヤツはいないし、連れがいるのにわざわざちょっかいをかけてくるような人間はいない。
ジャージ姿なのが多少気になるが、そこは、お嬢様学校の少女と、さわやかなスポーツマンとのカップルと思えば無理はない。浩之の目つきがさわやかなスポーツマンとは言い難いのがたまに傷だが。
「ちっ、カレシつきかよ」
ナンパ男達は、一度舌打ちをすると、すぐに離れていった。ナンパを成功させるためには数打つこと、複数人数いる相手を誘い、警戒心を無くすこと、後、ひっかかりそうな子を選ぶべきで、この少女は条件には当てはまらない。
おそらくは、ちょっとからかっただけなのだろう。思う以上にかわいかったので、中の一人ぐらいは本気でナンパしようと思っても不思議ではないが。
駅の方向に、男達が行ってしまったのを確認して、浩之は息をついた。
相手は三人。身体を見る限り、若さはあっても、ちゃんと鍛えた身体ではない。武器も持っていなさそうだった。今の疲労困憊の浩之でも、十分に戦える相手だ。
しかし、ケンカは良くない。どれほど自分が強くなろうとも、その常識を無くすほど浩之は落ちぶれていないつもりだ。まあ、坂下のように覚悟がないというのもあるが。
何より、今の浩之は、手加減などほとんど覚えていないのだ。ケンカになれば、確実にやりすぎるだろう。
不思議と、疲れている方が闘争意欲がわくからなあ。
そう考えると、少しでもケンカを売られると危なかったかもしれない。ケンカよりも次のナンパを選んでくれたあの男達に感謝だ。
「あの、何かスポーツをやっていらっしゃるんですか?」
「え?」
バイオリンケースを持った少女が、緩やかな口調で、浩之に話しかけてきた。
「あ、いや、スポーツというか……」
浩之は少しどもる。少なくとも、浩之のやることはスポーツと断言しても問題ない。しかし、このお嬢様っぽい少女に対しては、自分のやっていることも野蛮なのでは、と思ってしまったのだ。
とは言え、嘘をつくほどのことでもないし、少女の目が真っ直ぐに自分に向かって来ていたので、浩之は、多少遠慮しながらも、正直に答える。
「格闘技やってるんだ」
「まあ、格闘技を」
やっぱり野蛮と思われたかと、浩之は一瞬思ったが、少女は、むしろ嬉しそうに笑った。
「私、けっこう好きなんですよ、格闘技。よくテレビで試合を見てます」
ちょっと以外である。まあ、エクストリームチャンプも分類的にはお嬢様なのだから、見る分ぐらい不思議でも何でもないのかもしれないが。
「お強そうですものね、ええと……」
浩之は、何もあまり疑問に思わずに、名前を教える。
「藤田、藤田浩之」
「浩之さんですね。初めまして、先ほどはありがとうございました」
少女は、丁寧に深々と頭を下げる。
口調のゆっくりとした、優しそうな少女だった。それに、ほわほわとした雰囲気とは裏腹に、声ははっきりとしている。
「自己紹介がまだでしたね。私、初鹿といいます」
初鹿と名乗った少女は、再度、ゆったりとした口調と合わせるように、頭を下げた。
続く