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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(120)

 

「いい加減食らえやぁっ!!」

 厳しくもどこかアットホームな雰囲気の道場の中に、威勢が良いと言うより、ガラの悪い声が響いた。

 が、品のないかけ声と共に繰り出される、マスカ十位代のビレンの打撃は、ことごとくヨシエさんの守りに阻まれ、受け流される。

「ちいっ!!」

 おそらく狙っていたのだろう、パンチの連打に紛れ込ませるようにして繰り出されたケンカキック。

 ヨシエさんは、まるでそれを予期していたかのように、蹴りに合わせてビレンの懐に入り込みながら、端から見ると軽く拳を入れる。

 ズドンッ!!

 でも、考えてみれば、ヨシエさんの打撃が軽い訳もなく、しかも前進の力まで加算されて、たとえ一発でも耐えられるものではない。

 ましてや、腹筋は私たちマスカの選手にとっては、弱点でもある。もちろん鍛えていないことはないのだが、実際の打撃を受けるつもりで鍛えた腹筋と比べれば、その差は一目瞭然だ。

 案の定、ヨシエさんのたった一発、まあその一発でも私も耐える自信はまったくないのだけれど、でビレンがその場に崩れる。

 それで決まりか、と思った瞬間だった。

 パグンッ!

 ヨシエさんの拳が、前に出たビレンのあごにカウンターぎみに入る。

「あ」

 見ていた人間も、思わず声が出てしまうほどに綺麗に入った一撃だった。

 腹筋を打たれて一撃で負けたと見せかけて、何とか耐えて反撃しようとしたビレンだったが、それすら完全にヨシエさんには読まれていたようだった。

 ずるり、と力を無くして倒れるビレン。演技では絶対にないだろう。というか部活でここまで何度も意識を失うというのも珍しい。

「あっちゃー、やりすぎか」

 大して困った様子もなく、ヨシエさんはそれだけ言うと、田辺さんを呼ぶ。

「おーい、田辺。いつも悪いんだけど、処分してくれるか?」

「先輩、ちょっとは手加減してくださいよ。引きずってる私の筋力が上がってしまいます」

「こいつに言ってくれ。私はやりたいって言うからやってるだけだよ」

「はあ、まあそうなんですけどね。じゃ、行ってきます」

 そう言いながら、田辺さんがビレンの死体をずるずると引きずっていく、最近は見慣れた光景が展開されていた。

「にしても、あれもこりねえなあ。勝てるわきゃねえのによ」

「とりあえず、負けん気の強さぐらいは評価してやってるよ。意識が飛ぶまで絶対にまいったしない性格はやっかいだけど」

「って、やっぱりKOしてんのわざとじゃねえか!」

 ヨシエさんと戦うのを極力避けるようにしている御木本には言われたくないセリフである。

 正直に言えば、ビレンは懲りなさすぎる気もするが、しかし、確かに負けん気の強さは評価できるし、私としてはむしろ見習いたいぐらいだ。

 悪役(ビレン)の名前を持つような男を見習うのは、あまり気持ちの良いものではないけれど、私に足りないと思ったのは、まさにそういうものなのだから。

「ま、健介だっけ? あれも、そのうち強くなれるんじゃないの? 御木本、あんたみたく、逃げるのばかりうまくなって行くのとは、対照的にね」

「へっ、自分を食い殺そうとする猛獣から逃げて何が悪いってんだ」

 そう言いながら、すでにヨシエさんとの距離を開いている。この御木本と言う男はいけ好かないが、見ていても間合いの取り方は絶品だ。

 ヨシエさん相手では、確かに役立てるよりも先に倒されてしまうのであまり関係はないだろうが、練習しているときも、相手が好きな間合いに絶対にしない。

 ヨシエさん相手では、逃げるのに精一杯になるのは仕方のない話と思うと、それは凄いことに思える。いや、事実この男が弱いなど、私だって思っていない。

 気に入らないからと言って、相手の実力を評価しないということは、もうしない。そういう気があった私としては、大きな前進だと自分では思っていた。

 それもこれも、しゃくではあるが、浩之先輩のおかげだ。本人にお礼など言う気には絶対になれないが、しかし、その所為で自分が一歩精神的に先に進んだのも確か。

 今まで、私に必要だったのは、ビレンのような、負けん気の強さ。装飾の見栄ではない、ビレンは性格は悪そうだが、少なくとも見栄だけであんなに人間は痛みに対して真っ向から向かうことなどできない。

 目の前に、自分が必要とするものがあっても、私は気づけなかった。ビレンも、マスカでの順位でしか見ていなかったからだ。

 勝てない相手にも、がむしゃらに向かって行く。勝機も何も、その後の話だ。接触もせずに、相手を倒せる訳はないのだから。

「じゃあ、御木本。最近相手してやらなかったから、一回ぐらいやっておく?」

「おっと、俺これから合コンなんでお先に失礼」

 ……まあ、そういう意味では、御木本はどうしても尊敬できそうにない。うまさとは別に、精神的に見習うものはどうしてもありそうにない。

 一通りヨシエさんと御木本がじゃれ合い終わるのを、私は待っていた。絶対にいちゃついているとは見えないけれど、付き合いの長さか、気安さが二人の間にあるのに、多少嫉妬を感じないでもなかった。

「ヨシエさん、お願いします」

 だから、私は話をぶつ切るように、口を挟んだ。

「ああ、ごめん。御木本の相手なんてしてる場合じゃないか」

「いや、俺相手されない方がいいし」

 御木本は、会話を途中で止められたにも関わらず、まったく飄々としていて、私は正直腹が立った。

 しかし、御木本とは、これも正直な話、あまり話をしたくない。近づきたくないし、近づかれたくない。

 ヨシエさんが、そして今では、他の知り合いがいるから、ここに来ないという選択肢はないが、でなければ、御木本の所為で来たくなかった。

 何がそこまで気にいらないのか、私にもわからないが、この男だけは気にいらないのだ。ついでに言えば、今でも怖いと思う。

 これが浩之先輩なら、と思う。

 浩之先輩なら、十分に私のスパーリングパートナーとしての実力はあるし、心地よいと思いこそすれ、御木本のように怖いとは思わない。

 もちろん、ここにはヨシエさんがいる。だから、それで必要十分どころか、おつりが来るほどに私は嬉しいのだけど。

 ほとんど、というよりも、まったくここに顔を見せないというのが、正直くやしい。また、部活が終わったら、ヨシエさんと一緒に神社に行こうかとも考える。

 ……と、私は何を考えているのか。

 どうしてここで浩之先輩の名前が出るのだろうか?

 自分でも何が誤解なのかわからないが、誤解のないように言えば、たとえ御木本がいても、私は神社ではなく、こちらに来る。

 浩之先輩には十分に感謝しているけれど、ここを捨てるという考えにはおよびつかない。ここには、私が友人と呼べる人間も何人もできたし。

 何より、ヨシエさんがここにはいる。ヨシエさんだって暇ではないのに、私が強くなることに、手を貸してくれる。

 だから、私のできることは、ここで強くなることなのだ。

「よし、じゃあ、始めるよ、ラン」

「押忍」

 私は、他の子に比べれば元気はまったくないけれど、真剣に返事をした。

 

続く

 

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