「いっつ~~~~~っ」
浩之は、鈍さを通り越して鋭さまで昇華されたような筋肉の痛みをこらえながら、軽く走っていた。
スピードは落として、時折上半身の柔軟を入れて、身体の調子を計る。
測定の結果は、大不調だった。
まあ、ここ最近かなり無茶してるもんなあ。
短期間でレベルを上げるためとはいえ、休日なしで身体を虐めているのだ。筋肉痛を超えて、疲労が身体に蓄積されていっているのが自分でもわかるほどなのだから。
これはさすがに、完全休日の日を入れねば無理かとも考えている。しかし、正直に言えば、怖くてそれができない。
ランにはえらそうに言ったけど、俺も大概怖がりだからなあ。
身体を動かしていないと、不安になるのだ。葵も同じような状況になったことがあるが、自覚があるだけに、浩之のは始末が悪い。
朝早く起きて、軽い自主トレ。学校に行っては半分は寝て、放課後になったら部活に出て、帰りに道場により、さらに帰って自主トレ。
最初の数日は、身体の痛みでなかなか寝付けなかったぐらいだが、今は布団に入った瞬間に意識が消えるまでになった。
しかし、そうしなければ、不安に飲み込まれてしまうのでは、と思うのだ。そもそも、浩之は他のエクストリームの選手に比べて、格闘技をやってきた時間が、物凄く極端に少ない。それをカバーするには、やはり時間しかないのだ。
無茶な練習は、肉体的にもそうだが、精神的にもあまりよろしくない。それはわかっていても、止めることができないのだ。
とは言え、精神的どうこうよりも、肉体的にはすでに限界。明日は日曜だが、さすがに休んで体力の回復に努めようと考えていた。
ランにもそう言っておかないとな。
夜の公園で、ランの相手をするのは、今日で三回目だ。極限までに酷使された身体では、もちろんランとの練習はきついものになる。
だが、ランのことを考えると、辛いから止めようとは言えない。
それに、確かに浩之とランの実力差はそれなりにあるが、だからと言って、それが浩之にとってマイナスになっているとは思えなかった。
むしろ、プラスになっている。上の者から教わることによってする上達と同じぐらい、下の者を教えることによって得るものを浩之は感じていた。
年下の葵でさえ、格闘技に関して言えば葵の方が先輩だ。浩之は格闘技で自分の下というものを持つことが今までなかった。
確かに、上達はしている感じはしない。しかし、自分の中にあるものが、教えることによって、より練られているのを、浩之は感じていた。
ただし、それがなくても、付き合うぐらいはかまわないとは思っているのだが。
ランは、練習の後に、非常に良い笑顔をするのだ。まだどこかぎこちなくも感じるが、小さくも、凄く充実した笑顔を見せる。それを見るのは、正直楽しかった。
ランと言えば、初鹿さんは一回目から見ないが、まあ、時間が時間だしな。
けっこう遅い時間に浩之とランは練習をしている。最初にたまたま再会した初鹿であったが、それからは顔を出していない。
本人は、いたく浩之達のことを気に入ったようで、浩之の連絡先も聞かれたし、初鹿の携帯電話の番号も教えられた。ランも同じくだ。
まあ、本人はたまにしか来られないと言っていたので、いつか休みにでも遊びに行こうと言っておいたのだが。
うーん、しかし、休みに遊びに行くとなると、さすがに綾香が黙ってないだろうなあ。
どこからともなく情報を仕入れて、浩之に仕置きをしてくる可能性は否定できないどころか、かなりありそうだ。
二人だとデートみたいだしな。ランも呼べば、複数だし別にいいか?
まあ、女の子が二人に増えたところで、綾香のお仕置きが酷くなりこそすれ、免除されることはないだろうが。
それでなくとも、最近浩之はまた綾香との付き合いが少なくなっているのだ。自分を鍛えるためなら綾香も許すだろうが、女の子と遊びに行くなど、許してくれそうにない。
まあ、いいさ。機会があればで。
初鹿のことは嫌いではないが、あまり執着していない浩之は、そう結論づけて、公園に入っていく。練習に使っている公園は、大きめで、だからこそ、夜に二人で練習していても、邪魔にならずに済んでいるのだ。
その入り口を入ったあたりに、人がいるのを浩之は見つけていたが、あまり気を配ってはいなかった。フルフェイスのヘルメットを被っていたので、人相はわからなかったが、とりあえず知り合いでそんな格好をする人間はいないので、気にもとめなかった。
ただ、ヘルメットを被っている割には、バイクを止めてある様子もなく、ちょっとだけひっかかりを感じたのも確かだが。
しかし、そうでなくとも、変わりはしなかったろう。
そのフルフェイスの人間の前を通り、公園の奥に入ろうとした浩之は、次の瞬間、大きく横に飛んでいた。
シュッ!!
暗闇の中、浩之の顔の横を、高速で何かが通り過ぎる。
浩之は反射的に、そこにいたフルフェイスの人物に視線を向けるが、打撃にしては、えらく射程が遠い。さすがに踏み込まれて、戻ったのなら気付くはずなのだから、一瞬、顔の横を何かが通り過ぎたのも、気のせいなのでは、などと甘い考えをしてみたりした。
と、次の瞬間、ジャラジャラッと、音をたてて、フルフェイスの人物の手首に、何かが素早い動きで巻き付いた。
縄……いや、鎖?
闇夜の中、辺りから照らされる街灯の光で、フルフェイスの人物の腕に巻き付いている金属製の鎖が、黒光りしていた。
今更不意打ちで驚くような平和な生活をしていなかった浩之は、素早く体勢を整えると、それが自然であるかのように、左半身に構える。すでにそれは当然のことのように、身体に染みついた反応だった。
「ったく、おたく、何の用だ?」
「……」
返事は、ない。当然思い当たるのは、マスカレイドの人間なのだが、マスカレイドの人間は、自己顕示欲が強く、こちらから聞かなくとも名を名乗ってくれると思っていたので、答えないのを見て、マスカレイドではないのかと思っていた。
しかし、平和に生活している浩之は、自分が武器を持った人間に襲われる理由を、あまり持っていない。
確かに、マスクじゃなくて、フルフェイスのヘルメットだしな。
名乗りもあげない、マスクではなく、フルフェイスのヘルメット。マスカの選手と異なる部分が、確かにその人物にはあった。
マスカレイドの人間であることを否定すると、後は辻斬りぐらいしか思いつかないのだが、そうそう浩之ばかりバイオレンスなものにひっかかるというのもあまり納得できない。
とりあえず、撃退……できるか?
身体の不調はあるものの、それでも五体満足で、武器をもたれても、多少の相手に負けない自信はついている。
助けを呼んで、人が来るかどうかもわからないし、何より、もしランが気付いたら、ランの身が危険である。いくら武器ありのケンカの世界で生きてきたとは言え、女の子を危険な目に遭わせるのは、浩之としては避けたい事態だった。
まあ、俺だってそう簡単には負けないと思うし、様子を見るか。
仲間が隠れていないのをさりげなく確認しながら、浩之は距離を測る。攻撃のためではなく、まずは防御のためにだ。
そして、浩之は、唐突に感じた。
ゾクリッ、と自分の奥からわき出る、恐怖を。
続く