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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(125)

 

 最初は、身体が相手の攻撃を知覚したのか、と思った。

 浩之の身体は良く出来ている。自力で知覚できないものでさえ、ある程度は身体が勝手に知覚し、反応してくれるのだ。

 だから、唐突に感じた寒気を、身体が知覚した攻撃だと判断したのは、経験則から来る、それなりに筋の通った話だった。

 しかし、浩之の身体は動かなかった。攻撃を知覚できたのなら、体勢に無理がない限り、回避行動に入るはずだった。どうした訳か、浩之の身体は動かない。

 三秒ほど、浩之から身体を緊張させて、その場にとどまっていた。フルフェイスの人物からの攻撃は、ない。

 ……何だ、今のは?

 感じ慣れないような、感じ慣れているような、正確な判断がつかないが、とにかく、嫌な感覚であった。

 攻撃された……ようには見えないしな。

 こちらが目で追えないどころか、残像さえ捉えられないスピードの打撃ならば、こんな風にもなるかもしれない。

 しかし、それは不可能だ。浩之の目で残像さえ追えないスピードを、人間が出せる訳がないし、何より、少なくとも浩之の身体は何かを感じているのだ。

 じとり、と背中を覆う汗の感覚が、気持ち悪い。しかし、それで意識が相手から外れるのさえ、今の浩之は嫌がっていた。

 ……何だ、これ……いや、こいつは?

 じりっ、と浩之は自覚なく後ろに下がる。それに合わせて、フルフェイスの人物も軽い足取りで浩之との距離を詰める。

 なるほど……ここは、相手の距離か。

 相手の手首に巻かれている鎖、その攻撃が届く距離が、今の距離なのだろう。だから、攻撃はなくとも、身体は危険を察知した。

 真偽はともかく、少なくとも、今の浩之にとっては、それが真実であった。

 つっても、そう簡単に逃がしてはくれそうにないし、どうしたものか。

 武器を持った相手との距離の取り方は、極端に近づくか、届かないほど距離を取ることだ。しかし、今の浩之にはそのどちらもできない。

 後ろに下がれば、それだけ前に出て来るし、前に出ようにも、そのためには、その鎖が飛ぶ空間を縮めなければならない。

 かと言って、このままでは攻撃されて終わりだ。今の浩之に、鎖をガードできるようなものなどない。腕ぐらいならともかく、頭を打たれれば、ただでは済むまい。

 フルフェイス、浩之はそうこの人物を表すことにした、は両腕を胸の前でクロスさせる。

 浩之が怪訝に思った瞬間に、その腕を素早く開く。

 ジャンッ!

 さっきまで手首に巻かれていた鎖が、音をたてて手首から外れ、器用に横に伸びた。

 ……しまった、手首に巻いてるんだから、簡単に外せる訳ねえじゃねえか。

 浩之は、慎重になった自分の失策を悟った。フルフェイスは器用に手首に巻かれた鎖を外すことはできるようだが、伸びた状態に比べれば、大した障害ではなかったはずだ。

 浩之は、慎重になった所為で、相手が武器を抜く暇を与えてしまったのだ。しかも武器は、両腕にある黒光りする鎖。

 それでも、フルフェイスはすぐには攻撃して来ない。浩之の精神の消耗を狙っているようにさえ見える。

 しかし、そうとわかっていても、浩之は徐々に消耗していた。もとより日々の鍛錬で身体には余裕がないのだ。何とか精神は落ち着かせているが、それもあまり調子の良くない身体を支えるまでの強さはない。

 前に、出るか?

 相手に狙われているのは重々承知で、浩之は前進を選ぼうとしていた。どうせ後ろに下がっても逃げ切れるとは限らないのだ。

 であれば、相手の得物を考慮に入れるなら、前に出るべきだ。

 鎖は、相手を正面から突くという攻撃がない。どうしても振り回さなければいけない。そこに、浩之は光明を見出していた。

 近づけば近づくほど、振りを必要とする武器の威力は落ちる。突けない武器相手なら、近づいた方がいいに決まっている。

 少なくとも、刃物ではないのだ。近づいたからと言って、一撃で倒される訳ではない。おそらくは、十二分に実力のある相手、二度目はないだろうが、一度目なら、近づけないことはないはずだ。

 狙うは、そのフルフェイス。防具の効果の高いそれを攻撃するとは、相手も考えないだろう。ところがどっこい、浩之はだからこそそれを狙う。

 ぎりぎりまで近づいて、肩でかちあげてやれば、首にダメージが入るはずだ。来ると思わない箇所からの攻撃ほど、効くものはない。

 その一撃で反撃を封じ、脇に一撃を入れるなり、関節に取るなりすれば、倒せるはずだ。というか、今の浩之のスペックでは、それ以外に手はない。

 そうと決まれば、一刻も早く攻撃するべきだったのだが、しかし、浩之の決意は、少し遅かった。

 ひゅんっ

 当てる訳ではない、浩之に当たらない位置で、フルフェイスは鎖を振り回し始めた。それは、時間を置かずに、風を切りながらスピードを上げる。

 くそっ、入れるか?!

 攻撃されれば、それこそ反撃も出来ずに受ける距離。こうなると、浩之は相手の攻撃に合わせて前に出る以外の方法はなかった。

 しかし、浩之には、それが出来るはずだった。いや、出来る。そう自分に言い聞かせながら、浩之は相手の出るのを待つ。

 わずかな隙が、勝敗を分ける。

 その隙が、生まれた。

 近づいてくる人の気配に、一瞬浩之の気がそれ、それを許す相手ではなかった。一歩前に出ながら、右腕が振るわれる。

 くっ、ままよ!

 そう考える時間さえなく、浩之は一瞬にも満たない隙の後に、前に出ていた。

 隙を生んだ浩之にとって、その隙こそ不利ではあったが、タイミング的には悪くなかった。丁度、相手の右手にある鎖の先端が、浩之に最も近い場所を通り過ぎた瞬間だったのだ。

 相手は、それでも動きを変更できることなく、右腕を突進してくる浩之に向かって振るう。しかし、それは浩之にとっては、十分な隙だった。

 相手の右腕をかいくぐりながら、距離をつめる浩之。

 その目は、しかし、相手の左手を見ていた。そこに、何故か一回りだけ、鎖を巻かれた状態で待っている、左拳を。

 自分の知覚より自覚よりも速く、浩之の腕は十字に構えられていた。そこに、鎖を巻いた相手の拳が、入る。

 腕に走る痛みに、致命的な隙を作ったのは、浩之の方だった。

 そして、浩之の身体自体の動きよりも素早く、相手の右腕が浩之に巻き付く。

 浩之でも、何か起こったのか理解できない、フルフェイスの上を通って、反対から相手の耳を狙って放たれる、右の鎖。

 しかし、その回避不可能の必殺技は、浩之を捉えることはなかった。

 ガシィッ!!

 フルフェイスに放たれた跳び蹴りが、浩之への攻撃を中断させ、フルフェイスを防御させたのだ。

 その間に、浩之は素早く復活していた。繰り出す肩の一撃を、フルフェイスは距離を取りながら避け、逃げながらも鎖の一撃を浩之に放つ。

 しかし、痛みはともかく、ダメージを受けなかった浩之には、それをバックステップで避ける余裕があった。

 跳び蹴りを放ち、浩之の危機を救った少女は、鋭く睨みながら、フルフェイスに向かって、叫びにも似た声をあげた。

「浩之先輩に、手を出すな!!」

 

続く

 

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