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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(127)

 

「浩之先輩に、手を出すな!!」

 まったく、浩之先輩には勘弁して欲しいものである。

 浩之先輩が武器を持った人間に襲われているのを見て、私は相手がマスカの人間であろうと瞬間的に判断していた。

 エクストリーム予選三位というのは、確かにエクストリームの名前もあるし、強さ的にも、所詮三位、という感覚があるので、狙われやすいのは分かる。

 しかし、現実にはいないだろう学校のアイドルのバレンタインじゃあるまいし、正直狙われ過ぎである。

 もっとも、私も最初はそう思って、正確には色々な情報から、ゼロさんが狙う相手を決めたのだが、浩之先輩を狙ったのだから、人のことは言えないのかもしれない。

 でも、そんなことは、その瞬間にはまったく考えられなかった。武器を持った相手と戦っているのと見た瞬間に、私の冷静さなど、どこかに行ってしまったようだった。

 奇襲の跳び蹴り。

 よく考えて撃った技ではない。とっさに出ただけだ。でも、助走距離があったから、それなりの威力が出ているはずだった。

 それが、あっさりと受け流されたときに、私は気付くべきだったのだ。

 しかし、気付いたのは、相手が腕に何か防具となるようなものを仕込んでいる、ということだけだった。確かに今はスニーカーであるし、防具がなければ、受けた場所が痛いだろう、とその瞬間は理解するでもなく思っていたのだが。

 考えてみれば、私の助走つきの跳び蹴りなのだ。後ろに下がるならともかく、受け流してその場にとどまる異様さに気付くべきだったのだ。

 そんなことも考えられず、私は相手に向かって飛び込もうとして、しかし、それを浩之先輩によって止められた。

「落ち着け、ラン!!」

「放してっ!!」

 今思えば、浩之先輩は相手の正体はともかく、実力については理解していたのだと思う。だねkれば、二人がかりで倒せない相手など、そういないはずなのだから。

 腕を握られたことにより、恥ずかしいことに、私は一瞬、自分が何をするべきなのか見失った。そして、次の瞬間、我に返って、相手の正体に気付いたのだ。

 マスカレイド一位、チェーンソー。

 頭をすっぽり隠すフルフェイスに、手首にある鎖。全身を覆うライダースーツとくれば、マスカの人間なら知らない者はいない、唯一、現在の二位を倒して一位になった、マスカ最強のケンカ屋。

 瞬間的には、チェーンソーを知っている人間が、その真似をしているだけなのでは、という希望的な考え方をした。

 だって、おかしいのだ。チェーンソーは、押しも押されぬ最強。今は来栖川綾香だ、ヨシエさんだと騒いでいるが、その二人でも、勝てるのかどうかわからない、本当に最強のケンカ屋。

 もちろん、ヨシエさんなら勝てると、私は思っている。でも、実力で言っているのではなく、信頼で言っているぐらいのこと、私はわかっている。

 それほどの強者が、何故浩之先輩を狙うのか、私にはわからないのだ。

 マスカの一桁となれば、ストリートでの知名度はプロを凌ぐ。エクストリームチャンプ、来栖川綾香でも、対等な知名度があるかどうかわからないぐらいだ。

 なのに、言っては何だが、今更エクストリーム予選三位などというザコを、狙う意図が分からなかった。

 しかし、浩之先輩と互角以上に戦い、私の跳び蹴りを受け流す、その実力は本物で、それだけの使い手が、わざわざこんな格好をする意味もわからない。

 わかっているのは、一対一では、浩之先輩でも危ないということ。

 そこまで意識が回った瞬間に、私は冷静さを失った。どうしてなのか、などと、もう考えはしなかった。

「いいから落ち着け! 無鉄砲に行って勝てる相手じゃねえだろ!」

 マスカ一位、同じマスカである以上、その恐怖は、私を震わせるけれども、恐怖で折れそうになるけれども、私は止まれない。

「そんなの知ってる!」

 そんな思いが、私にそう返事をさせた。

 しかし、結局、私は足手まといにしかならなかった。相手に対処したのは浩之先輩で、私は浩之先輩に庇われるように、横にはじかれていた。

 崩したバランスが戻ったときには、勝敗は決しようとしていたのかもしれない。がむしゃらにハイキックを放ったので、正確なところはわからない。

 それでも、意味なく私は叫んでいた。

「先輩に触るな!!」

 連携、というにはつたない攻防だったと思う。しかし、浩之先輩は、その中でも、うまく相手の隙をついて、ダメージこそ当てられないものの、動きを無力化するのに成功していた。

 私と浩之先輩の連携に、分が悪いとふんだのか、あっさりと後ろを向けて、逃げて行く。

 どういうつもりなのか、浩之先輩は不安を押し殺すように、私の腕を握った。

 いや、もちろんそんな理由でないことはわかっている。冷静さを失った私が、相手をおいかねなかったからだろう。

 でも、もうその心配はなかった。相手が後ろを向けて、三歩も動いた時点で、私の気は完全に抜けていた。もう気を張っておくことすらできなかったのだ。

 私の動きを封じている、浩之先輩の手。

 こんなときでなければ、嬉しかったのに。

 それが私の身を案じての行動であったのもわかっているが、それでも、多少不満に感じないでもなかった。しかし、それも一瞬のこと。

 全てを吹き飛ばす恐怖が、私の身体を捕らえていた。

 チェーンソーの姿が視界から消え、浩之先輩が何か言っているようだったけれど、私の耳はそれすら聞き取ることが出来ない。

 顔をあげれば、そこには、浩之先輩の無防備な胸があり。

 私は、その胸に、衝動的に抱きついていた。

 冷静な私なら、決してできない行為。でも、今の私は、冷静とはほど遠い位置にあって、胸からわき出る恐怖を押さえる方法を、他に考えつかなかった。

 見た目よりも、広くて硬い胸板。でも、それは私の思っていたのと同じもの。

 浩之先輩が頼りがいがあることは、もうわかっているのだ。だから、その胸の中が安心できるのは当たり前。

 それでも、恐怖は中々引いてはくれなかった。

 この時間が一秒でも長く続いてくれればいいと、もし頭がまわれば思っていただろうが、今の私にはそんなことを考えることすら不可能なのだから。

 浩之先輩の胸の中にいると思うと、鼓動が早くなるのに、それすらも、恐怖で歪む。

 私が、普通の女の子のように、ただ震えているのに、浩之先輩だって戸惑っている。似合わない、と自分でも思うが、それでも、私は、知っているのだ。

「……マスカレイド一位、チェーンソー」

 彼女が、どれほど強く、そして容赦ないかを。

 だから、私のことは置いておいて、浩之先輩が、無傷で戦いを終えられたことが、何より嬉しくて、気が抜けてしまった。

 でも、だからこそ、私は理解している。

 つまりそれは、浩之先輩が、いつか、チェーンソーという怪物に傷付けられるのでは、という恐怖が、私を余計に不安にさせることを。

 これ以上なく暖かい胸の中で、不安と恐怖に、私は身を震わせていた。

 

続く

 

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