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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(132)

 

 巻き藁を蹴るたびに、脚にしびれるような痛みが走る。

 それを超えると、今度は押しつぶされるような、鈍い痛みが延々と脚を痛めつける。

 それでも、私は脚を止めずに、巻き藁を蹴り続ける。

 私だって、痛いのは嫌だ。だが、もうタイタンとの試合まで、そう時間はない。この一発一発の痛みが、前は届かなかった道を一歩ずつつめていると思って、歯を食いしばって蹴る。

 ヨシエさんの言葉では、そんなに簡単に手足が硬くはなったりしないそうだ。少なくとも、タイタン戦には間に合わない。はっきりとそう言われた。

 だが、それでもこれには意味がある、と言われた。

 詳しく教えてもらった訳ではないが、それでも私が愚直にそれに従っている。

 思考を停止した訳ではない、私は、勝ちたいのだ。だから、ヨシエさんの言う無茶を、淡々とこなすのだ。

 痛みは、神経を鈍らせるどころか、むしろ私の感覚を鋭敏にしていた。

 隠れるようにして、田辺さんがビレンの介抱をしているのも気付いていた。

 最初、田辺さんにビレンのことを聞かれたときは何かと思ったが、こういう場面を見れば納得できる。

 ただ、ビレンからはあまり良い噂は聞かない。そう見せているだけでなく、とりあえず性格が悪いのは間違いなく、私としてはおすすめできる相手ではない。

 しかし、あの田辺さんが、何の気なく、でも私と二人っきりになったときに、隠しきれない必死さが見え隠れする口調で聞かれたときのことを思い出すと、忠告するのもどうかと思ってしまう。

 部活でも最初に私に話しかけてくれた人なので、田辺さんにはそれなりの恩を感じている。もし、ビレンの毒牙にかかりそうならば、忠告するなり、あまり使いたくないが、実力でビレンをどうこうしてしまおうかとも思った。

 もちろん、私ではビレンには勝てないのはわかっている。他の人の力を借りることになるのは、非常に不本意だが、しかしそれで田辺さんが助かるのならいいとも思ったのだが。

 その気はなかったが結果盗み聞きになった掛け合いから見ると、その心配は必要なさそうだった。というか、あんな毒気の抜かれたビレンはむしろ気持ち悪いと思う。

 私から見ると、というか誰の目から見ても、ビレンは松原さんを慕っているので、もしかすると田辺さんは失恋に終わるかもしれないが、それこそ仕方のない話だ。

 ……でも、考えてみると、ここ最近はずっと空手部にいる。ヨシエさんに一矢報いようとしているようなのだが、当然相手になっていないが、今ではけっこう空手部に定着している感じもある。

 かく言う私も、昔ほどビレンを嫌おうとは思わなくなった。

 ヨシエさんの力だろうか? 一癖も二癖もあるはずのビレンが、そんなに時間をかけずに、丸くなっているように思える。

 もっとも、それが暴力的な手段で行われていることに関しては、私でも否定できない。一日一回はKOされているのだ。どんな人間でもおとなしくなろうと言うものだ。

 しかし……可能性的にはそんなに高くない話だが、もし、ビレンがヨシエさんを慕って、空手部に入り浸っているとすれば……倒さなければなるまい。

 ヨシエさんがビレンのような小物を相手するとも思えないが、私の気が収まらない。実力的には無理でも、今の空手部の上下関係から言えば、田辺さんを使ってやりこめるぐらいできるかもしれない。

 バシィッ!!

 それにしても、痛い。何でこんなバカなことをしているのだろうか?

 肉と骨が、硬いそれに当たる音。それは心の折れる前の音に似ている。でも、今の私はそれで気押されることがない。

 その点だけは、少なくとも私は成長しているということだ。最近は、浩之先輩との練習でもよく動けていると思う。浩之先輩の指導もいいのだろう。

 きついヨシエさんと、優しい浩之先輩の二人の指導は、私に確実に力を与えてくれている。それがわかるからこそ、この傷みにも耐えようと思うのかもしれない。

「おっけー、ラン、そこらでやめとけ」

 不意に、ヨシエさんの声が私を止めた。

「……押忍」

 ヨシエさんは、すぐに私の脚に手を当て、様子を見る。

「どう、痛い?」

「押忍……それなりに」

 私は、素直に答える。ここで強がったところで、ヨシエさんの指導の邪魔になるだけだ。傷みは、我慢できないほどではないが、動きに邪魔なぐらいは感じているのだ。

「まあ、擦り傷ぐらいで、骨には異常なさそうだね」

 ヨシエさんは笑顔でも厳しい。まあ、優しい人間なら、最初からこんな無茶な練習をさせるとは思わないが。

 てきぱきと次の練習をつげるヨシエさん。

 練習のきつさと同じぐらい、ヨシエさんの指導はそっけない。簡潔とも言える。

 しかし、それを酷いとは、私は思えない。怪我をさせないぎりぎりの線を、ヨシエさんは見ているのだ。そして、指導が簡潔になっていくのは、私がそれなりにヨシエさんの言葉を理解していると信じられているから。

 そもそも、私の試合の後には、ヨシエさんは順当に言えば、カリュウとの試合が待っているのだ。もう起きたのか、隠れるような位置で、殺意とも憧憬ともつかない表情でヨシエさんを見つめるビレンなど、相手にもならないようなレベルの選手なのだ。

「すみません、ヨシエさん」

 感謝する私から出たのは、謝罪の言葉だった。

「ん? どうかした?」

「ヨシエさんも試合があるのに、私なんかの練習を見てもらって……正直、邪魔になっているんじゃないかと」

 浩之先輩に対しても感じていることだった。でも、多分私は浩之先輩には、こんなことは言えない。だから、変わりというには酷いけれど、二人分の感謝の言葉を、そして申し訳なく思う気持ちを、口にする。

 ヨシエさんは、それを小さく笑って答えた。

「気にしなくていいよ。私は私で、ちゃんと後輩いじめだけじゃなくて、練習しているしね」

「でも……」

「いいんだって」

 それでも言葉を続けようとする私を、ヨシエさんは手で止めた。

「というか、私が指導するんだ。恩返しがしたいって言うなら、私に勝ってくれることが、何よりの恩返しだよ」

 ヨシエさんに、勝つ?

 それは、私の中には、存在しない選択肢だった。だから、思わず私は惚けたような顔をしてみた。

「こら、考えてもなかったって顔してるね」

「す、すみません」

 押忍という返事も忘れて、私は謝った。それはそうだ。というか、ヨシエさんと私のいる世界はまったく違うのだ。勝つどころか、今は戦うのさえ想像できない。

 ヨシエさんは、慌てる私の頭を軽く痛くないぐらいに小突いて、私を止める。

「今は、目の前の目標だけ見ててもいいけど、いつかは、前を見るべきなんだ。そうやって、私を超えていけば……」

 その目は、誰を見ているのか。

 届かなかったと言われる来栖川綾香か、それとも、一度でもヨシエさんを倒したという松原さんか。

「もちろん、そう簡単に負ける気はないけどね。それに何より、私に勝ったからって……」

 結局、次のヨシエさんの言葉こそ、一番の強さだと、そのときの私は、理解できなかった。それだけ、ありきたりの言葉だったから。

「次も勝てるとは思わないことだね」

 

続く

 

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