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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(133)

 

「と、とりあえず終わるか」

「は……はい」

 疲労以外の何物でもなく乱れた息を、私は落ち着けようと努力する。

 まだ数えるほどしかやっていないはずの浩之先輩との練習も、すでに私の中では、生活の一部に取り込まれていた。

 震える脚を支えきれずに、私はその場にへたり込む。それに習うように、浩之先輩も私の横に倒れるように腰を下ろした。

 練習中はどこまで近づいたとしても気にならなかったが、こうやって落ち着けて近づかれると、今度は違う意味で鼓動が早くなる。

 空手部で練習して、さらに自主トレをした後に、浩之先輩とぶっ続けで組み手をやるのだ。オーバーワークもいいところだが、最後のこれは一日の中でも一番楽しい時間でもある。

 ただし、今日は二人きり、という訳にはいかなかった。

「お二人とも、お疲れ様です」

 にこやかに浩之先輩に笑いかける少女、初鹿さんだ。

 というよりも、ここで浩之先輩と練習しているのを、ヨシエさんですら知らないのだ。何の因果か知り合いことになった彼女以外には、二人がこの時間ここにいるのを知らない。

 初鹿さんと会うのは、これでまだ二回目だが、彼女はすでに数年来の親友だといわんばかりの顔で、私たちに話しかけて来ていた。

「凄いですねえ、二人とも。ここに来る前からずっとやっているんですよね?」

「まあ、好きで、やってるからな」

 返事も苦しそうに、浩之先輩が答える。別に初鹿さんのことが嫌いな訳ではないが、せめて今は話しかけないで欲しかった。浩之先輩だって、返事をするのも辛いのだから。

「はい、差し入れです、どうぞ」

 そんな私の心を読んだ訳ではないだろうが、初鹿さんは、水筒からスポーツドリンクらしきものをフタについで浩之先輩に渡している。私とは大違いな、そつのない行動だ。

「ああ、助かる」

 浩之先輩は、それを受け取ると、一気に飲み干し、息をつく。

「ランさんもどうぞ」

 初鹿さんは、わざわざ用意していたコップに私の分をついで、渡してくれる。別に、というより、今浩之先輩がつかったフタの方がいい……いや、何でもない。

「ありがとうございます」

 無愛想な声で答えながら、私はそれを受け取る。喉がかわいているのは事実で、身体は水分を欲していた。

 冷たい液体が、喉の中を通っていく。

 浩之先輩に習うように一息で流し込んで、私もやっと一息つけた。

「しかし、初鹿さんにはおごってもらってばっかりだな」

「いいんですよ、これぐらい。弟がスポーツをしていまして、粉のスポーツドリンクの買い置きは家に沢山ありますから」

「へえ、弟さんがいるんだ」

「ええ、あまりかわいくない弟ですけれどね」

 そう言ってクスクスと笑う。お嬢様らしい雰囲気と比べて、非常に気易い人だというのが初鹿さんに対する私の印象で、男の人なら、彼女は放っておかないだろう。

 それは、浩之先輩も例外ではないようだった。まだ息もあまり整っていないのに、むしろ会話を優先させているようにさえ思える。

「それにしても、格闘技の練習って、こんなに激しいものなんですね。練習風景なんて見たことがなかったので、正直驚きです」

「そうか? 防具もないし、寸止めだけどな」

「私は止めてませんが」

 最悪の会話への入り方だったが、仕方ない、二人が話していると、口ベタな私には会話に入る隙がないのだ。

「はは、ランは殺気込めて来るからなあ。逃げる俺も必死だよ」

「寸止めする技術がないだけです」

「おいおい、いじけるなって。ランはポイントで競うようなことはねえんだし、それでも問題ないだろ」

 私がいかにも不機嫌ですという表情で文句を言っても、浩之先輩はそれを笑顔で受け止めてくれる。

 ただあまり人の顔を見ていないのか、それとも、私の気持ちをそれなりに理解してくれているのか……じっと浩之先輩の顔を見たところで、分かる訳はない。

 見ているのを気付かれても、何も気の利いた言葉を返せないと思った私は、すぐに浩之先輩から視線を外した。

 しかし、まったくやりにくことこの上なかった。

 二人きりなら、さっさと話をつけるつもりだったのだが、まさかまた初鹿さんが来るとは思わなかったのだ。

 まあ、例え初鹿さんが来なくとも、話を出しづらいのに変わりがないのを、私は素直に心の中で認めておいた。

 しかし、もうタイタンとの試合までも時間がない。こちらから言わなければ、どうしようもない話題なのだし、腹をくくるしかないのだ。

「あの、浩之先輩……」

「ん、どうした?」

 何を考えているのかわからないというよりは、何も考えていないのでは、と思うような邪気のない顔。一見するとやる気のない顔なのだが、まあ、だからこその人気なのかもしれない。

「私の試合が近いんですが……」

「あら、ランさん、試合が近いんですか? よろしければ、見に行ってもいいですか?」

「え……」

 私は、一瞬思考が停止した。

 決死のつもりで口にしたことが、いきなり横から違うことで止められたとき、私の思考は停止を選んだのだ。というか停止せざるをえなかった。

 私の試合は、公式に認められているような試合ではない。一言で言えば違法のケンカだ。それに、お嬢様然とした初鹿さんが来ることなどないはずだ。

 その前に、そこらへんは浩之先輩もはぐらかして説明していたので、初鹿さんは事情を知らないはずだ。

 どう説明するか、いや、断るしかできないのだが、どう断るのか、私の思考は停止するしかなかったのだ。

「あ、ああ、そういや試合近いなあ……」

 浩之先輩が、話題をそらそうと頭をめぐらしている横で、私の思考はまだ停止しており、それどころか、まったく違うところまで飛んでいた。

 だから、その可能性に行き当たったのは、まさに思考が飛んだ結果だった。

 私は目線を落とす。初鹿さんは、水筒を地面に下ろし、大事そうにバイオリンケースを手にしている。前も持っていたものだ。

 年は、わからない。しかし、体格は同じだ。

 何より、ここに私と、いや、それは私が目標なのではない。浩之先輩がこの時間ここにいることを知っている人物。

 電撃のように、私の頭にそれが浮かんだ。

 長身でもなく、巨体でもなく、そして女性で、しかし、マスカレイド開演から一度しか変わっていない一位の座を持つ、つまり無敗の一位を倒して一位になった、無敗の一位。

 飛んだ思考が、その可能性をひっつかんで、私の元に駆け込んできた。

「すみません、試合を見られるのは恥ずかしいので勘弁して下さい」

 何も考えなしの私の口から、まったくもって適当な返事が出る。

「そうですか、残念です」

 しゅんとしながらも、初鹿さんはねばらなかった。しかし、その点に関しては、もう私の頭からは抜けていた。

「ところで初鹿さんは、バイオリンやるんですよね?」

「ええ、腕はまだまだですけどね」

 はにかんで、初鹿さんが答える。見惚れるほどかわいいと私でも思うし、浩之先輩だってそう思っている顔をしているが、今は私は嫉妬を抑えた。

 それよりも、大事なことだから。

 ぶしつけな想像であるにも関わらず、ゾクリと私を震わせる恐怖。しかし、今ここでは浩之先輩にしがみつくことはできない。

「よかったら、ここで聞かせてもらせませんか?」

 

続く

 

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