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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(137)

 

 暗くした部屋の中、シーツの中で、私は丸くなっていた。

 時間は、すでに深夜二時。レディースでケンカを繰り返していたころは、まだまだ活動している時間だけど、ここ最近は、寝るのに深夜零時を過ぎたことがなかった。

 帰って来て、お風呂に入って、何とか柔軟をこなして、食事をしたらすぐに眠りについていた。それだけ厳しい練習で、身体がまいっているからだ。

 こんな私の生活を、両親は酷く喜んでいる。姉妹そろってレディースなどという反社会的なものになって暴れ回っていることを考えれば、夜遅くまで部活にあけくれる姿は、涙が出るほど嬉しいことだったらしい。

 正直、両親はどうでも良かった。そもそも、両親どちらも仕事で忙しくて、家を離れていたのが、姉のレイカがレディースに入るきっかけだったのだだが、私はその点を責めるつもりはない。

 普通に学校に行っていたら、きっと今のような私にはなっていなかったし、こんなこと経験することもなかったろう。

 ヨシエさんと、浩之先輩に会えたことを考えれば、子供を放っておいた両親に感謝したいぐらいだ。

 ついこの間までは、両親のことは大嫌いだったが、現金なもので、あの両親がいたからこそ、私はここにいるのだ。

 それに、どうせ両親のそれはぬか喜びでしかないのだし。

 もっと深いところに、娘が進んだことなど、二人とも想像だにしないだろう。私だって、教えるつもりはない。

 それに実のところ、両親のことなど、今はかまっている余裕はないのだ。

 身体は、今までの練習の集大成と言わんばかりに厳しい練習に、すでに限界を超えている。疲労は、今までの人生の中でも最大だろう。

 お風呂に入って、食事もして、柔軟も終わって、完全休憩の時間に入ったのに、それでも目だけが閉じない。身体は、すでに動きを止めているのにだ。

 ヨシエさんには、明日は学校を休むように言われている。真面目なヨシエさんにしては珍しい助言だったが、そうでなくとも、正直明日起きたとき、身体は動きそうにない。

 ……いや、それよりも、今日眠れるかどうかの方を、真剣に悩む必要があるだろう。

 水の底に沈んでいるように身体は重くて、寝返りすら打てないのに、目だけが完全に冴えているのだ。

 緊張、そう、緊張しているのだ。言ってしまえば、怖いのだ。

 明日の夜、私は一度負けた相手、タイタンと戦わなければならない。

 望んでいなかった訳ではない。あのときまで、私が一対一のケンカで負けたことはなかったのだ。私の連勝を止めた相手に、リベンジがしたくない訳がない。

 だが、それは言い直せば、もう一度負けるかもしれないということだ。少なくとも、一度自分に勝てるだけの強さを持った相手に、戦いを挑む怖さ。

 もう一度、負けるかもしれない。

 短い間でも厳しい練習は、私に背景のある自信を持たせてくれているが、それがあってもなお、戦うのが怖い。

 寝なくては、と思うのだ。簡単に勝てる相手ではないのだから、身体の調子ぐらいはベストに持っていっておかなければ、とは思うのだが。

 そう考えれば考えるほど、私の目は冴える。

 勝てる訳がない、と身体はいいたいのだろう。もっと年齢が上で、相手がすでに衰えるだけならば、勝てる可能性もあるが、向こうも若いのだ。自分が成長した分、もしかしたらそれ以上成長しているかもしれないのだ。

 そう考えている訳ではないけど、心の奥では、そんな最悪のことが私を責め、結局、私は眠れずにいる。

 ……眠れないのなら、誰かに電話でもしようか?

 目線の先には、携帯電話がある。レディースの仲間以外には、あまりメモリに入っている人はいないが、それでも、誰かと話せば、少しは気が晴れるのでは、と思えた。

 最初に考えたのは、レディースの仲間。

 しかし、私が明日マスカで戦うことを知っている皆は、おそらく気を使って来るだろう。そういう心遣いは、嫌ではないが、今は重く感じてしまいそうだ。

 次に考えたのが、ついこの間友達になれたクラスの人間や、空手部の人間。

 田辺さんなどは、私が何かおかしなことをしているのでは、と薄々感じているようにも見えるが、しかし、それでも知らないふりをしてくれるので、話し易い。

 しかし、時間が遅すぎる。さすがに二時では、寝ているだろう。わざわざ起こしてしまってはかわいそうだ。

 ヨシエさん……は、正直今聞くと、余計に緊張してしまいそうだ。

 そうやって消去法で消していくと、残ったのは二人。

 片方は、最初から出ていたけれど、結局最後まで考えるのを止めていた人。もう一人は、本当に消去法で考えていたら、浮かび上がった名前だった。

 ……浩之先輩の、声が聞きたい。

 電話をしようか、と考えた瞬間に思いついた言葉を、私は反芻した。

 浩之先輩は、私の試合のことももちろん知っているし、何よりも私が酷く怖がっていることも知っている。

 でも、声を聞けば、おそらく私は安心できる。浩之先輩に応援されれば、がんばれると思える。

 すぐにでも、電話をすれば良かったのだ。だが、私の勇気はあまりにも小さくて、何より、時間が時間だし、そもそも浩之先輩は携帯電話を持っていないので、家にかけねばならないのだ。

 こんな時間に女の子からかかってきては、浩之先輩も迷惑だろうし、あらぬ誤解を受けるかもしれないと思うと、気が引けるし、そんな勇気もない。

 ……でも……。

 私は、自分が無意識に携帯電話に手を伸ばそうとしているのに、身体の痛みで気付いた。

 どう見ても、浩之先輩にかけたくて仕方ないようだった。第三者が見ていたら、身体の痛みも無視して走って逃げたくなるところだ。

 ……やっぱり、駄目だ。

 迷惑をかけたくないという気持ちと、それ以外の何かが、私からその選択肢を外した。

 残る一人は……。

 番号を交換したのも、どちらかと言うと、いや、完璧に偶然の人だ。浩之先輩よりも、知り合う可能性が低かった人である。

 何より、たった数度話しただけの人だ。こんな時間に電話をして迷惑をかけてもいいほどの付き合いのない人間。

 一度は、最悪の可能性を疑った人。

 しかし、浩之先輩だけでなく、私に向かっても気易い会話をしてくるあの人なら、何でもない話を聞くぐらいはしてくれるのでは、とも思う。

 のろのろと手が動いて、携帯電話をつかみ、私はメモリから、その人の番号を選んだ。

 ピ……プルルルルルル

 軽快な呼び出し音が、二回ほど鳴った後、電話の向こうから、声が聞こえた。

『もしもし、ランちゃん、こんばんは』

「……夜分遅く、すみません」

 彼女は、寝ていなかったのか、前に話したときとまったく同じ調子で、電話を取ったのだった。

 

続く

 

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