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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(143)

 

 動きを止めたランだったが、さらに、そこから動こうとしなかった。

 睨み付けるような目だけが、タイタンを捉えているが、ぴたりと身体は動きを止めたまま、ぴくりともしない。

 次に来るだろう攻撃を予測して、空気がピリピリと緊張しているが、そこから、ランは動かない。

 まだじらせるのか?

 誰もがそう思った。しかし、いくら時間をかけても、それが問題となることはない。消極的だからと言っても、観客からブーイングを受けることはあっても、消極的だと言って、審判に注意されることはない。いくらでも消極的になればいいのだ。

 だが、今のランはただ消極的と言うには、場を緊張させていた。一発も出さずとも、精神的な攻撃は相手に届くのだ。

 また気をそらすように、ついっ、とランの視線がタイタンから外れる。

 決してタイタンは、いや、見ている観客すら、緊張を解いた訳ではなかった。しかし、鋭いにらみの後に、それが解かれた一瞬に、やはり気の抜けた瞬間があった。

 意識が再度ランに向いたときには、ランはその場から、一歩前に入っていた。完全に、タイタンの射程範囲だが、それよりもさらに中に入った場所に、身体が入っていた。

 タイミングを完璧にずらされたタイタンは、ランの進入を許してしまったのだ。

 とっさに手が出るのを我慢して、タイタンは素早くガードを固めた。そのガードをかいくぐるように、ランの足刀がタイタンの腹部に入る。ランは、タイタンの動きをちゃんと見ていたのだ。

 鈍い音をたてて、足刀がタイタンの腹筋を貫くが、しかし、後ろに飛ばされたのは、タイタンではなく、ランの身体だった。

 二人の体重差は四十を軽く超える。タイタンが本気で腹筋に力を入れれば、ランの足刀では貫ききれないのは道理。

 それどころか、体重差で身体が飛ばされるのはランの方になる。タイタンの身体は、十センチほど後ろに下がったに過ぎなかった。

 試合開始から、時間をかけて時間をかけて、その距離を縮める一歩を手にしたにも関わらず、ランの攻撃は、あっさりと跳ね返されたのだ。

 歓声ともため息ともつかない声が、観客達からもれる。多くの人間は、この無謀な戦いにおいて、不利なランの方を応援しているのだ。まったく効かなかったとなると、失望しても仕方のない話だ。

 ダメージはなかっただろうと、浩之も思うが、それにしてはタイタンが苦い顔をしているのが印象的だった。

 判官贔屓は、日本人にとっては普通の感覚と言える。もちろん、ただ弱いだけでは、応援などしないが、弱い者ががんばっているときには、だいたいそちらを応援しようとするのだ。

 身体の大きさが、結果を完全に決めるとは決して言えないが、それでも誰の目から見てもランの方が弱そうで、しかも女の子となれば、応援もしたくなるというものだ。

 歓声程度で、勝ち負けは決まらないが、まわりがランの味方になっていることを、苦々しく思うぐらいのことはあるのだろう。タイタンの苦い表情は、そのためだ。

 相手の多少の小細工も、あっさりとはじき返したタイタンに歓声があがってもいいものだが、皆ランに期待しているというのは、あまり嬉しい気持ちにはならないだろう。

 試合の結果を左右するほどではないが、応援する割合が多いに越したことはないのだ。

 しかし、応援されているはずのランと言えば、そんなことはまったく気にした様子もなく、それどころか、さっき足刀をあっさりはじかれたのさえ気にする様子もなく、ゆっくりとタイタンのまわりをまわりはじめた。

 隙をうかがっているように見えるが、さっきとは明らかに違って、攻撃を仕掛けようとする雰囲気がある。

 今日のランであれば、ここからさらに攻撃を仕掛けない、という選択肢もあると浩之は思うのだが、しかし、そんなことを繰り返しても、タイタンは倒せないのだ。

 というか、本気でタイタンの頑丈さを誉めるべきだと俺は思うけどなあ。

 ランの打撃も、甘いというには強すぎるのだ。ブーツをはいた足から繰り出される打撃は、ガードするには危険なものになる。

 体重差があるとは言え、腹筋で完全に受け止めるあたり、打たれ強さには驚異的なものがあるだろう。

 いや、そもそも、ガードされていたとは言え、一番防御の硬いであろう腹筋を狙ったランの作戦ミスとも言える。

 何とか、頭部か、それが駄目でも、脚を狙うという手もあったはずだ。

 足刀が一番届きやすい場所であった腹部を狙ったのは、正しいような、もったいなかったような、作戦としてはいまいちだと思う。

 ……まあ、考えてみれば、ランだって好きでそんな選択をした訳じゃないだろうけどな。

 一番怖かったのは、反撃を受けることなのだし、失敗すれば自分の身体が後ろに飛ぶ足刀を選択したのは、多少消極的であったとしても、間違ってはいないかもしれない。

 パシィッ!

 え?

 ランの二発目が、浩之がランの動きを意識していなかった瞬間に打たれていた。

 スピードはそこそこで、何より、前に構えられたタイタンの腕を蹴り飛ばしていた。大きく、タイタンの腕がはじかれていた。

 この精密機械のようなキックには、観客も喜んで歓声が大きくなる。

 動いていないとは言え、相手の腕の先端に当てるというのは、なかなか器用な攻撃だ。それに、腹筋と違い、腕には筋肉はあってもダメージを受け流せるほどの鎧にはならない。

 もちろん、タイタンも馬鹿正直に受ける必要はないので、腕を流してダメージを殺しはしたろうが、今度は、まったくダメージがなかった訳ではなさそうだった。

 普通なら、ガードを固めるときは、腕を前に出すところだが、タイタンは、その一撃で、多少腕を引く。

 腕を前に出した防御の有効性というものは、自分の身体の中心に到達するまでに、なるべく長く、自分の腕が相手の攻撃をはじける距離を取れることだ。

 さらに、中心を狙われたときに、打撃はどうしても当てる場所に合わせて加速するため、自分の腕のある位置ではまだ十分な加速が得られず、威力の上がらない状態で受けることができる。

 もっと言えば、前に出た腕を少し動かすだけで、防御範囲が格段に広がるということもある。

 そんな理由から、腕を伸ばした方が防御しやすいのだが。

 タイタンには、そんな問題は関係ないようにも見えた。何せ、腕が長い。多少腕を引いても、まだ十分な稼働距離が取れるのだ。

 さらに、腕を引けば、つまり攻撃にも使えるようになるのだ。まして、タイタンの方が極端にリーチが長い。

 ランは、確かに一撃軽くでも当てることができたが、それで自分を追い込んでいるようにしか、浩之には見えなかった。

 正面から戦うやり方は、それは坂下には似ているだろうが、しかし、不利になるような作戦ばかり選んでいるようにさえ見えるランが、浩之は心配になってきた。

 まさか、わざわざ不利な作戦を坂下が選ばせてるとは思わないけどなあ。

 そもそも、どこまでが坂下の作戦で、どこまでがランが自分でやっていることなのかわからない。

 いや、わかったとしても、葵の試合を見るのとはまた違った意味で、ランの試合は心臓に悪いものになりそうだった。

 

続く

 

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