ランは、正直自分の一つ一つの攻防の意味まではっきりと理解している訳ではない。
坂下から、こう戦えばいい、という助言と、自分なりのやり方を組み合わせて、どうにかしている状態だ。
少なくとも、相手の打撃の避けて、その手を触るのは、ランの考えた作戦だった。
自分に組み技の技術はなくとも、相手がそれを信じるかどうかはまた別なのだ。能力の分からない相手と戦う不安は、案外こういうところに出て来る。
そして、ランは、叫びながら全力を出し切りたい気持ちを抑えて、坂下に言われたことを忠実にこなしていた。
一つ、試合が始まったら、三発こちらの攻撃が入るまで、手加減すること。
二つ、同じく、三発入るまでは、単発で入れて、一回の攻撃の間を空けること。
考えれば、少しは思いつくものもあるが、やはりそれでも完全には納得できない作戦を、ランは坂下から教えられていた。
最初に手加減するのは、まだランの考えでもたどり着けるのだ。
うぬぼれでなければ、ランはこの短期間に、かなり成長している。前にタイタンと戦ったときとは、まったく別人と言っていいだろう。
最初は、まったく成長していないように見せかけて、相手が警戒を解いた瞬間に、全力で相手を叩き伏せる。
しかし、それだって、かなり神経を使うのだ。
言ったように、ランは叫びの一つでもあげて突進していきたい気分なのだ。それほど、目の前に自分よりも強い相手を置いておくことへのストレスは大きい。
さっさとこちらから攻めて、勝つなり負けるなりしたいぐらいなのだ。
そんなランの気持ちに最初から気付いていたのかもしれない、ランはそう思うのだ。ならば、この作戦は、無謀な攻撃をさせない意味では、効果は高い。
しかし、それだけの理由では、二つめの約束はやりすぎではないかと思う。
例えKOする必要がない、スピードだけ気をつければいい打撃だって、一発打つチャンスをつかむのは、容易ではないのだ。
そのチャンスを、本当なら連打で生かしたい。一発では、タイタンが倒れる訳がない。連打して初めて、活路が見いだせるというのに、それを禁じられている。
もっと自由に手を出したい。
しかし、坂下の教えを破る訳にはいかない。
どちらにしろ、後一撃だ。後一撃、軽い打撃を当てれば、後は思う存分自由にやっていいのだ。
はやる気持ちと、うかつな攻撃は死をまねくと冷静に判断する理性が、何とか後者に偏って、ランは脚を止めて、タイタンを睨み付けている。
一発打つごとに、攻撃する箇所が減っているように、ランは感じていた。ただでさえ長い手足に、あそこまで防御を固められては、牽制だって当てるのは難しい。
だが、ランはあまり素早く動かない。
約束は、三つあり、その最後の約束が、何よりランを苦しめる。
三つ、三発目が入って、一度引くまで、極力スピードを落とすこと。
これが、一番辛い約束だった。スピードを武器にするランに、スピードを落とせというのは、まさに死ねと言うのと同じだ。
うまく相手の隙をついたり、攻撃に合わせたりしているが、後一撃を入れるのは、酷く大変な作業だ。
ゆっくりと、極力スピードをあげずに、ランは身体をゆさぶって、タイタンの目をごまかそうとするが、しかし、その程度で守りに入ったタイタンが誘われて来ることはない。
どうやっても、もっと前に出る必要があった。防御の上でもいいから、脚を届かせるためには、もっと近づかなければならない。
……行くしか、ない。
今からスピードにまかせて攻めるのは難しい話ではないが、それでは約束が守れない。それにどんな意味があるかはわからなくとも、ランは愚直にその約束を守るしかないのだ。
決心を固め、胃がキリキリと痛むようなプレッシャーを感じながら、ランは不用意とも思える距離に、足を踏み入れる。
まだ、タイタンの攻撃は来ない。
完璧に、タイタンの攻撃が当たる距離だ。タイタンの攻撃が来ないのは、おそらくは警戒しているのと、何より、まだ逃がす可能性があるからだろう。
しかし、まだ届かない。ランの脚より、タイタンの腕の方が長いのだ。不公平にもほどがある。
大丈夫だ、小回りは自分の方が効く。至近距離なら、まだ戦い様だって……
ランにはそれが自分の強がりなのはわかっているが、そうとでも思わないと、ゆっくりと近づくなど、怖くてできない。
さらに近づく、それでもタイタンの攻撃は来ない。
不用意に近づくランと、不用意に近づかせるタイタンのチキンレースのような、ただの間合いをつめる動きに、観客は熱狂しているが、今のランにはうるさいほどの歓声は届いていない。
さらに……さらに、近づく。
……え?
ランは、いつの間にか、タイタンの間合い奥深くに入っていた。それは、タイタンから手を出せば、十分に自分を引きずり込める距離で。
ランの脚が、タイタンの身体に届く距離だった。
自分のことながら、あっけに取られるランは、反射的、と言っても、非常にゆっくりな動きで、脚をあげると、軽く、コンッ、とタイタンの丸太もかくやと思えるふとももに脚を当てた。
蹴った、と言うよりは、当てた、と言う方が正しい、ほんとに軽くだった。
それでスイッチが入ったように、タイタンの腕が動くが、それは、ランから見ても全然動きが鈍く、ランはさしてスピードを上げることもなく、悠々とタイタンの射程距離から逃げる。
ワッ! とさらに強くなった歓声に驚いて、ランは我に返った。
何が起こったのか、本人さえ理解できなかったが、確かに、ランはタイタンの懐に、ゆっくりの動きで入り込んで、軽く相手のふとももをつついて、悠々と逃げ切ったのだ。
考えてみれば、タイタンが腕を振ったのも、攻撃するためと言うよりは、ただ近づかれるのを嫌がり、ランを腕で追い払ったようなものだ。
まわりから見れば、攻撃が来ないのをいいことに、ランがタイタンの懐に入り、ダメージを当てられるのにも関わらず、おちょくるように脚でつっついた。そんな状況なのだ。
浩之も、さすがに感心しているし、坂下にいたっては、にやにやと笑っている。
まさか浩之も、たまたま偶然起こったことだとは思わなかったようだ。
そして坂下は、こうなることを、完璧に読んでいた訳ではないが、同じような状況になることを、最初から知っていたようにすら見えた。
やっぱり、ヨシエさんは凄い。
そんなことを思ったランだったが、次の瞬間、今の自分の状況に気付いた。
三発、当てたんだ。
自分のトップスピードを、まったく相手に見せずに、全力もまったく出さずに、ただ頭と勘だけで、リーチの違い過ぎるタイタンに、三発当てた。
タイタンにダメージは与えられなかったが、それでも、その三発を当てたという自信は、ランにそれ以上のプラスとなる。
何より。
ランは、自分の身体が震えているのを自覚した。
ヨシエさんとの約束は、守った。
もう、我慢しなくていいのだ。緊張で胃がどうにかなってしまいそうな気持ちをかかえながら、恐る恐る手を、正確には脚を、伸ばさなくてもいいのだ。
もう、全力を使って、タイタンを倒して、いいのだ。
続く