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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(146)

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかったのだろう、膝をついたタイタンは不思議そうな顔をしていた。

 本当なら、ランはここで攻撃すべきだった。膝さえついてしまえば、攻撃するのは簡単だ。移動はできなくなるし、致命的な背の高さも、やっとだが一般人レベルになるのだから。

 だが、ランも攻撃しなかった。タイタンが、現状を理解するまで、じっと待っていた。

 それを、浩之はやきもきしながらも、何も言わずに見つめていた。

 ここで攻撃すれば倒せるのだ、本当なら、怒鳴ってでも攻撃させたい。しかし、意味もなく攻撃していない訳ではない、と、浩之は感じていた。

 少なくとも、情けをかけている訳ではなく、ランにはランなりの考えや気持ちがあるのだ。だったら、俺がどうこう言うべき場面ではないのだ。

 それは、情けをかけは訳では、当然ない。

 よく見れば、息を整えながら、ランの肩は小刻みに震えていた。

 タイタンに会うまで、ランは一対一では、無敗だったのだ。段階的に強い相手に会って、いきなり強い人間と戦うことがなかったとは言え、口には出さずとも、自分の強さに自負があった。

 表情の変化が乏しい、少なくともラン本人はそう思っているし、負けた相手が、マスカレイドの選手であり、そもそも格が違うから、まわりからはあまり何も言われなかったし、そもそも負けたことをどうこう言うほど心ない仲間はいなかったが。

 まわりが思っている以上に、ランは傷ついていたのだ。

 ケンカでのみ自分を表現してきた少女が、初めて体験した負けは、少女の心を傷つけこそすれ、強くすることなど、ない。

 負けたから、それを挽回するために、マスカレイドで戦うことを選んだのだ。それを人は泥沼とも言う。

 ランには実力は、それなりにあった。だから、そのままでも、ランはマスカレイドの選手になることはできた。

 しかし、そのままでは、おそらく四十位以上に上がることはできなかっただろう。あのとき、浩之を狙ったのは、そんな不安を打ち消すためでもあったのだ。

 ランは、坂下と、浩之に会ったから強くなれたのだ。決して、負けたから強くなれたのではない。

 タイタンに負けたこと、それは口惜しさ以外のものを、ランには残していない。

 やっと……やっと、前の借りを返せた。

 ランは、息が続かずに、休んでいるのではない。嬉しさに、震えているのだ。

 タイマンでは負けないという、自分の世界を壊した、最悪の巨人に、やっと、借りを返すことができたのだ。

 膝をついても、まだタイタンを見下ろすほどの高さの違いは起きない。しかし、ランは、タイタンを見下ろしている気持ちだった。

 混乱から回復したタイタンが、ガバッ、と慌てて立ち上がる。そして、またタイタンの顔は、またランよりも遙か高くになる。

 だが、もうそれは高さだけの話だ。精神的に、ランがタイタンに対して感じるものは、今の一撃で無くなった。

 反対に、屈辱を感じているのは、タイタンの方であろう。

 前に妹の見栄で連れ出されたときは、戦うことなど考えていなかった少女と戦うことになっても、余裕があった。

 体格の差だけが、実力の差だと思うには、タイタンは経験を積んでいるはずだ。しかし、相手が強いかどうかぐらいはそれなりに分かるだろう。

 実際、戦っている途中も、油断のならない相手だとは思っていたかもしれないが、負けるとは少しも考えていなかったろう。

 それは体格の問題だ。スピードではどうやってもタイタンの方に不利があるが、大きく差のある体格は、タイタンにダメージを与えることができない。

 まったくダメージがなかったとは言えないが、それでも倒されるようなことはないと確信が持てていたはずだ。

 それなのに、今回は、たった一発、綺麗にハイキックを受けただけで、膝をついた。

 タイタンの顔が歪んでいるのを見てもわかるように、タイタンが受けている屈辱は、ランにとっては想像に易しい。

 一度は、自分の通った道なのだから。

 スピードと威力を落とすことによって、一撃を入れるだけの隙を作ったのだと、今のランなら理解できる。

 ヨシエさんは、私が勝てることを考えて、ちゃんと作戦を作ってくれたのだ。

 でも、もしその作戦を成功させる気があるのなら、ランはタイタンが膝をついたあの瞬間を、逃すべきではなかった。

 自分に有利な瞬間など、そう多くあるものではないのだ。しかも、あそこまで決定的な瞬間は、実力に差があろうとも、そうあるものではない。

 ランは、坂下の表情を見ていなかった。だから、坂下がそれを口惜しく思っているのか、余裕の表情で見ているのか知らない。

 しかし、ランは足を止めるしかなかったのだ。それほど、嬉しかった。

 はっきり言えば、スッキリしたのだ。

 膝をつかせたからと言って、格付けが済んだ、という訳ではない。これから、ランはタイタンという、巨体と長いリーチを持った強者と、同じ条件で戦わなければならないのだ。もう、あちらには油断も隙もない。

 勝つのは難しい、と素直に実力差、というより状況を認める気持ちは、ランにはある。

 しかし、一撃報いることができたからこそ、勝つことができないとは思わなくなった。

 一度負けた相手と戦うことに対する恐怖に、一度は浩之に助けてもらって、何とか前に出ることができて、今、ランは完全にその鎖を引きちぎった。

 やっと、自分の力で戦えるのだ。

 タイタンは、鋭い目つきでランを睨みながら、肘や膝をわずかに曲げ、浅い角度で左半身に構えを取る。

 攻撃よりは防御に向いた構えだ。そして、組み技も想定に入れた構え。

 体格を有効に使おうと思えば、当然取る構えで、要するに、タイタンは本当に本気になったのだ。

 守りを固めるだけでは、相手は倒せない。隙を突くには、スピードに差が有りすぎる。それを、タイタンは認めた上で、ランを倒すつもりなのだ。

 やっとタイタンが、自分と同じ土俵に立ったのだ。いや、ランの方が土俵に立つことができたと言えようか。

 どちらにしろ、ランは最大のチャンスを自ら逃し、そして、勝負はこれから、としてしまったのだ。

 ランには、まったく後悔はない。

 ないからこそ、勝つために、ランは動き出した。

 

続く

 

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