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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(148)

 

 速いっ!

 浩之も驚くほどのスピードで、ランがタイタンに向かって飛び込む。何の躊躇もなく、ランは宙に飛んだ。

 スピードを生かすためならば、本当なら飛ばない方が良い。空中にある間は、加速もできなければ、方向を変えることもできない。

 しかし、ランに躊躇はない。そして、その躊躇のなさが幸いした。

 まさかいきなり飛び技で来ると思っていなかったのだろう、あっさりと、タイタンの腕をランの脚が抜けた。

 バシィッ!!

 それでも、何とかガードをしたタイタンは、ランに反撃もできなかったし、脚を掴むこともできなかった。

 一度は、膝をつかされた相手だ。ガードなしで、頭部にクリーンヒットを許せば倒れるかもしれない、という恐怖が、タイタンに反撃を許さなかったのだろう。

 一発放った後は、ランは素早く距離を取る。普通なら、取りすぎだと思うほど遠くにだ。これは仕方ない、タイタンのリーチを、ランはまだ完璧に見切っている訳ではなく、そして、中途半端な距離では、反撃を許してしまう可能性があるからだ。

 攻撃に偏るならば、もっと近づいた方がいい。ここまで遠くから近づかれれば、どんな人間だって相手が攻撃してくるまでに反応できる。

 だが近づけば、それはタイタンに反撃の機会を与えてしまうかもしれず、難しい問題だろう。ランは、安全策を取ったということだ。

 安全策、などという坂下が聞けば笑ってしまいそうな消極的な作戦を、坂下に作戦を考えてもらったはずのランが使うのはおかしいと思うが、力押しでどうこうなる相手でもないのだから、仕方ないと浩之は思っていた。

 しかし、それは大きな間違いだった。浩之は、すぐにそれに気付くことになる。

 遠くから、タイタンに向かって、またランは飛び込んでいく。タイタンに前に出させる時間を与えない、圧倒的なスピードで距離を短くし、タイタンの手が出るよりも先に自分の射程内にタイタンを捉える、と同時に、脚が放たれる。

 ビシッ!!

 次はローキックだ。普通のローならば打った後に動きが止まるものだが、ランのそれは滑り込むように勢いを乗せたまま行い、タイタンの横をつっきる。

 もし、横にタイタンが腕を伸ばせば、網があるのも知らずに泳いでくる魚のように、あっさりとタイタンに捕まってしまうような、危険な動きだ。

 だが、タイタンは捉まえきれない。

 浩之が思っていた通りに、タイタンは防御も無視してランの進行方向に腕を伸ばす。が、次の瞬間、タイタンはランを捕まえてもいない腕を、上に跳ね上げた。まるで、突進するランにはじき飛ばされたように。

 小柄なランのスピードに乗った動きが、タイタンの腕をはね飛ばしたのを見て、観客が大きく沸くが、さすがに、そんな訳はないだろう、と浩之は判断した。

 それはそうだ。タイタンとランでは、子供と大人以上の差がある。完全に動きを封じるまではいかなくとも、相手のどこかを掴むぐらいできたはずだ。そうすれば、後は子供を捕まえるがごとく、抵抗らしい抵抗などないはずなのだ。

 浩之には、タイタンがわざと腕を上にはね飛ばしたように見えた。

 言うなれば、熱せられた湯飲みにとっさに手を伸ばそうとして、それが火傷するほど熱いのを思い出して、間一髪のところで逃げたような動き。

 火傷を負う、つまり、何か危険なことがそこにあったと判断していたのだ。

 ……そう言えば。

 ランは、一瞬だが、タイタンの腕に手をそえたのだ。

 最初にタイタンの攻撃を避けるときも、同じように、ランはタイタンの腕に手をそえた。おそらくは、その所為でタイタンが警戒したのだ。

 伸びきった腕を掴まれれば、何かしらの関節技が来る、とタイタンは警戒している。どんなに腕力に差があろうとも、一度決まってしまった関節技を外すのは至難の技だ。

 無警戒にランに腕を伸ばせば、まってましたとばかりに関節技に取られる、とタイタンはぎりぎりのところで判断したのだろう。

 もっとも、ランが関節技を使えるとなど、浩之は聞いていないし、今までのを見ている限り、おそらくは使えないものだと思う。

 だが、タイタンが警戒している以上、それは実際にある危険だ。ランは、タイタンに悟らせないように、それを最大限に利用するつもりなのだ。

 スピードは、完璧にランの方が優っている。それどころか、リーチの差を埋める以上のものがある。

 俄然、観客達も盛り上がっている。血肉沸き踊る試合も当然いいが、弱い者、小さい者が大きな者に牙をむくのが、見ていて楽しいのだ。その牙が届くと思えばなおさらだ。

 浩之も、さすがにランの不利はあると考えていた。しかし、試合が始まってみれば、むしろランは一方的に試合を進めている。

 タイタンは、表情こそほとんど変えていない、というかマスクというものは、表情を隠すので、本当に表情に出ていないのかと聞かれると悩むところではあるが、とにかく、自分がむしろ不利な状況に陥っていることを自覚しているだろう。

 一度は完勝した、しかも体格的には問題にならないぐらい差のある相手だ。本当なら、苦戦するのも人気としては良くない。

 まして、ここではタイタンは悪役をやらされている。巨体の男と、かわいいと思える少女では当然の配役ではあるが、タイタンは多くのプレッシャーを感じているだろう。

 油断とプレッシャーはまた違う話だ。タイタンがいかにランの強さを認めたとしても、だからと言ってプレッシャーまで完全に消える訳ではない。

 ゾクリッ、と浩之は、かわいい後輩ではあるが、確かに自分ではないので、他人事であるランの作戦に、寒気を感じた。

 この雰囲気を、ランは、いや、坂下は狙っていたとしか思えなかった。消極的なんてぬるいものではない。相手に、実力を出させず、しかし自分は調子を上げて戦う方法だ。

 しかし、それはむしろ危険でもある。

 好調不調は誰にでもあり、プレッシャーや気持ち一つで、その瞬間に出せる力には波がある。今のタイタンは、波が下にあり、ランは上にあるので、ランはタイタンを実力で勝っているようにも見える。

 しかし、それは怖ろしいことだ。実力を疑う訳ではないが、冷静に見れば、タイタンの方が、やはり有利なのだ。

 タイタンが我に返ったとき、ランは混乱するはずだ。今まで当たっていた攻撃が当たらなくなり、反対に、相手の動きは良くなるのだ。

 その混乱から、正直、立ち直れるとは思わない。その前に、実力で勝るタイタンが勝つだろうと浩之は思うのだ。

 相手が実力を出せない間に、倒せればそれでいい。だが、それができなかったとき、ランは、負ける。

 おそらく、紙一重の差でしかないはずだ。いや、そう思ったからこそ、つまりそれで勝てると思ったからこそ、坂下はそんな作戦を選んだんだとは思うが。

 このまま、何もなく勝てるとは、浩之には思えない。実力を出せずに、じりじりと追い込まれているタイタンを見ても、そんな希望的観測は、浩之には不可能だったのだ。

 できることなら、タイタンが調子を取り戻す前に、決めて欲しい。

 それが、浩之の偽らざる今の思いだった。

 

続く

 

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