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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(150)

 

 腕から伝わる激しい衝撃に、ランは、訳も分からないまま、後ろにはね飛ばされた。

 次の瞬間に感じた、後ろからの衝撃。

 ガシャンッ、と控えめな音がランには届いただけだったが、それは聴覚が驚きのあまりあまり機能しなかったからだ。

 金網を揺らす、激しい音が、試合場に響いた。

 浩之は、応援も忘れて息を呑んだ。浩之からは、ランの小さな、タイタンと比べるとあまりにも小さな、身体が、試合場を囲む金網に突き刺さっているように見えたのだ。

 いや、見えたなどというものではない、実際に、ランの身体は金網にめり込んでいた。

 観客よりも浩之よりも、まずそのラン本人が、自分の身に何が起こったのか理解できなかった。

 一体、私は……

 身体に伝わるダメージが、かろうじて自分が攻撃を受けたことを理解させる。しかし、そうなってしまえば、話は早かった。

 自分の身に何が起きたのかを問題にする前に。

 タイタンの姿が、ランには大きくなるように感じられた。それは、大きくなるのではなく、近づいてきているからなのを、混乱したランも気付き。

 今、自分が金網を背にして、というより、半分金網にめり込むような体勢であり、逃げ場がないことをすぐに悟った。

 タイタンが近づく勢いを拳に乗せるために、腕を振り上げるのが見える。普通ならば、隙だらけだと思う動きだ。少なくとも、こんなモーションの大きなパンチを受けるほどランの動きは遅くない。

 しかし、今は違った。多くのものが、ランが自由に動くのを阻害し、そして、おそらくは逃げ道にしても、タイタンは予測しているだろう。

 左右では追いつかれる、と反射的にランは判断、その所為で、左右に逃げることができなくなる。前には、今のランでは行けそうになかった。

 大きく振りかぶったタイタンの拳が、ランに向かって打ち出された。

 ガシャァァァッ!!

 激しく、しかし間延びした音が響き、タイタンの拳が金網に突き刺さる。

 左右に逃げられないと判断したランは、腕をあげると、金網を掴み、そのまま身体をその支えを使って反転させたのだ。

 逆立ちの要領で、ランは上に逃げたのだ。いかにタイタンの身長が高く、上を狙うのは簡単とは言え、目測を誤った限り、届くものではない。

 ランは、そのまま脚を抱え込むように回転すると、脚に力を込め、金網を蹴った。

 タイタンの巨体の上を、ランは飛び超えた。

 逃げるにしても、あまりにも派手な動きに、観客は沸く。浩之も、それを見てほっと胸をなで下ろした。

 華麗にタイタンの上を飛び越えたランは、宙でくるりと回転すると、これまた綺麗に着地し、すぐに距離を取った。

 タイタンは、すぐにランの方を向くが、すぐに攻撃して来る気配はない。

 そんなタイタンの動きに、胸をなで下ろしたのは、浩之ではなく、ラン本人だった。表情にこそ出さないようにしているが、自分が感じることをだませておくほど、ランは器用ではない。

 金網という状況と、身軽な身体が生み出す、上、という位置。普通では考えられない動きをするマスカレイドの華でもあるが、実際のところ、ランはただ必死なだけだった。

 それが証拠に、上を通るとき、あれは攻撃には最高のチャンスだったはずだし、背を通って後ろにまわったとしても、それは同じだ。

 しかし、ランは距離を取ることを選択した。

 それは何故か? ダメージと驚きが、ランから攻撃という選択を盗んだのだ。

 ダメージは、いい訳には使えるだろう。しかし、驚きはどうだろう?

 ランは、表情には出さまいと努力はしていたが、それも耐えきれなくなり、歯をかみしめた。これが試合中でなければ、叫びだしていたかもしれない。

 驚きが、一番の理由ではないのだ。

 ランの手足は、すくんでしまったのだ。何となさけない話だとランは思った。自分を、殴ってやりたい気持ちにさえなった。

 落ち着いてみれば、タイタンが何をしたのかもわかる。

 タイタンは、ランが横を通って後ろにまわり、そのまま攻撃してくることを読んだのだ。

 だから、後ろを見ることもなく、後ろ蹴りを放って来たのだ。

 もし普通に私が立ったまま攻撃していれば、私の頭がある場所を、タイタンの後ろ蹴りは狙っていた。

 タイミングは、なるべく早く、と思うだけで良かったのだろう。振り向くよりも攻撃を優先した結果、タイタンの後ろ蹴りは、やはりなるべく早く、そして速く動こうとしていたランを捉えたのだ。

 避けられないスピードの後ろ蹴りではなかった。しかし、余裕を持つには、タイタンの攻撃にはスピードがあり、何より、そのときランの身体は宙にあった上、攻撃を選んでいた結果、どうやっても避けることは不可能だ。

 つまり、ランはタイタンに読み負けたのだ。何の策もなく、ただパワーの差で押し切ろうとタイタンが考えている訳がなかったのに、ランはそれを失念していた。

 それは、まあ仕方ないとランは思った。致命的になる前に自分は気付けたのだから、問題はないのだ。

 いや、もちろん、大きな問題はある。しかし、それよりも何よりも。

 自分のガードが間に合ったのが、奇跡のようなものだった。そのおかげで、ダメージは最小撃に抑えられた。ゼロというには、ダメージは大きいが、致命的と言うには軽い。

 問題はダメージではなかった。混乱しているとは言え、自分が相手を倒すことよりも、逃げることを優先したのに、ランは痛恨の一撃を受けたように感じた。

 ここまで来て、いや、ここまで来たからこそか。

 今まで、ランの中に、坂下や浩之のおかげで影を潜めていたものが、時を得たりと、這い出て来るのを、ランは感じていた。

 少なくとも、ランの耳には、そのずるり、と這う音がはっきりと聞こえた。

 それは、恐怖という怪物だった。

 怖いという原始的な自己防衛策が、ランの手足を縮ませて、ランは逃げるしかなかった。

 今は、それなりに落ち着いたから問題はないし、今はその怪物の動きも音も感じないが、つまり、それはまだ消えた訳ではないということだ。

 ランを食らいつくそうと、ランの中で、身を隠して待っていたのだ。

 それが、攻撃を受けた結果、あっさりと現れたのだ。悔しくない訳がなかった。

 それでも、試合は止まらない。ランも、それは自覚している。

 何より、その恐怖が、何を自分に持たらせたのかを理解するぐらいは、ランはまだ冷静な判断を残していた。

 しかし、冷静だからこそ、この後の苦難を考えると、嫌になる。

 さっきまで、どこか動きにくい様子だったタイタンの表情が、どこか晴れている。

 あのとき、攻撃しなかったのは、勝負を決められるかもしれないチャンスを放棄したにとどまらない。

 タイタンの出鼻をくじき、動きを阻害することすら、その攻撃を放棄したことで、できなくなったのだ。

 次に来るタイタンは、おそらくは今までのタイタンとは違う、それを思うと、ランは自分を、本気で殴ってやりたい気持ちになるのだ。

 しかし、勝つためには、どんなに自分に怒りを感じていても、その身体を使うしか、方法はないのだが。

 

続く

 

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