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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(151)

 

 一撃を受けた後のランは、ぴたりと動きを止めていた。

 攻撃するにはあまりにも遠い距離で、ただタイタンを睨んでいるだけで、まったく動く気配がない。

 タイタンも、それに合わせている訳ではないのだろうが、まったく動こうとしない。金網を背にしたまま、その場にとどまっている。

 試合ではたまに起こる膠着状態というやつだが、観客は攻撃を仕掛けないことに不満はあっても、その間にある緊張した攻防には気付かない。

 浩之は、その攻防に気付いていたので、正直気が気ではなかった。

 ダメージがあるのか? いや、あっても動かないといけないところだぞ、動け、ラン。

 声には出せない、今ランにそんなに簡単に声をかければ、緊張の糸が切れてしまうかもしれないのだ。それほど、今のランは危うい。

 時間が経てば経つほど、タイタンは実力を発揮できるようになるだろう。ランがせっかく色々な動きでタイタンの調子を崩して、有利に運んでいたのに、今、止まっている一秒一秒が、その結果を台無しにしていくのだ。

 ランに、肉体的な致命的なダメージはないと、浩之は見ている。逃げるときも、それなりに派手に動いたのだ。意識を失いかけの少女には、あんな動きはできまい。

 素早く横を通り過ぎて、後ろからの一撃を狙うのは、あれだけスピードの差があればできないことではない。

 しかも、足運びもうまく、理にかなっていた。不可能な攻撃方法ではなかったはずだ。

 今の攻防は、タイタンがうまかったと言うしかない。来ると読んで、見もしないで後ろ蹴りを放ったその思い切りの良さには、感服する。

 来ると思っていなかったところから、しかも空中にいる間に攻撃されたのだ。ランのガードが間に合ったことこそ奇跡的だ。

 しかし、間に合ったとは言え、パワーの差はやはりかなりのものだ。ガードしたのに、あっさりと金網に叩き付けられた。これが同じ体格ならば、重さで押し切ったかもしれないのに。

 タイタンが動かないのは、考えるに難しくない。スピードで劣るタイタンは、相手に攻撃させて相手の隙を狙うつもりなのだ。

 少しでもダメージのあるうちに、と考えるのは浅はかだ。一発二発、不発に終わった攻撃のダメージが後を引いていることなど、タイタンには関係ない。

 ダメージは動きを鈍くするが、疲労も同じ結果を生むし、何より、もう少しちゃんと攻撃が入ればいいのだ。ちまちまとダメージを積み重ねていく必要もなければ、そのために必要なスピードがタイタンには足りない。

 ランのダメージが消えるまで待っても、状況は悪くない。試合中の傷みは我慢できても、疲労は我慢などできず、身体にたまっていくのだから。

 だいたい、緊張が明らかに外に出ているランが、少し休憩したぐらいで、疲労が取れるとはとても思えない。そして、タイタンはそんなランの様子にそれなりに気付いている。

 時間の経過と共に、タイタンは自分を取り戻していっている証拠だ。

 反対に、ランは散々なものだ。息がまったく落ち着かない。さっきまでは余裕すらあったというのに、時間が経つにつれて、止まっているのに疲労しているようにさえ見える。

 短い時間はダメージを消すことはあっても、ランの心を落ち着かせるのには、まったく役にたっていない。

 浩之は、そもそもあまり試合を有利に進めていた記憶がないから経験したことはないが、自分の期待を裏切る結果というのは、選手に与えるダメージが多いことは知っている。

 ランの今の状態は、まさにそれだ。

 おそらくは決めようとした攻撃を、反対に受けてしまったのだ。ダメージの少なさなど問題ない。精神的なダメージは、下手にクリーンヒットを受けるよりも大きい。

 そして浩之が何より心配なのは、ランの精神状態だった。

 怖いものは、怖い。いかに他人が取り繕おうと、それが消えるものではない。ランは、この攻防で、それを思い出したかもしれないのだ。

 浩之から見て、ランは、素直に物事を受け取るには、複雑なのだ。葵との違いはそこだ。葵ならば、今までの培ってきた練習というバックボーンがあるからこそだが、素直に、浩之の言葉だけを信じることができる。

 言ってしまえば、葵は単純なのだ。

 だが、それがいい方向に向かうことも多いにある。葵はそれだ。精神的にどちらかと言うと、というか、かなり前向きな葵は、浩之が横でちょっと支えただけでも、十分に独り立ちできる、単純さがある。

 ランは、それに比べ、物事を複雑に考えすぎる。もちろん、それにはそれで長所もあるが、今はその複雑さが足を引っ張っている。

 決めるつもりの技を封じられたことによって、ランの心に迷いが生まれ、それが何とか押さえ込んでいた恐怖を、思い出させてしまった。

 今のランを見る限り、浩之の予想は当たっているだろう。

 そして口惜しいことに、そんなランにしてやれることが、浩之にはない。

 自分が声をかけてそれで元に戻ればいい。しかし、もし戻らなかったら?

 今はタイタンが攻撃を仕掛けないからこそ保っているものを、壊してしまうかもしれない。今のところタイタンは慎重になっているが、今のランでは、攻撃を仕掛けれたとき、対処できるとはとても思えない。

 しかし、タイタンが攻撃を仕掛けるまでに、時間が残されているとも思えない。しかし、この降着状態の間に、ランが元に戻れるかもしれず。

 浩之は、ジレンマを感じながらも、黙ってランを見つめるしかなかった。

 少しでも時間が稼げれば、と思う浩之の気持ちは、結局、あまり天には届かなかった。

 今のランの様子を見て、それが演技ではないと見切ったのだろう。もう待つだけ無駄とばかりに、タイタンが動きを見せた。

 ビクリッ、とランの肩が揺れる。例えマスクで顔が隠れていても、今のランの動きで、ランが萎縮しているのを、タイタンに完全に気取られたと見ていい。

 ランは、近づこうとするタイタンから、それでも素早く距離を取ろうとするが、さっきまでの動きとはうって変わって、動きにキレがまったくない。

 ぎこちない動きでは、タイタンのリーチ、距離に限界のある円形の試合場という二つの不利な要素を消すには足りない。

 見る見る、ランが追い込まれていくのが、浩之の目で見てもわかった。ランには、その自覚がないのか、それともあっても、そうとしか動けないのか。

 スピードが遅い訳ではない、遠くから打たれるので、届くまでに時間がかかるというだけのタイタンのパンチが、ランに向かって放たれる。

 パワーに差が有り過ぎる以上、ガードするのは愚の骨頂、ランはそれはまだ理解しているのか、タイタンの拳をかがんで避ける。

 しかし、それは誰の目に見ても、タイタンが次の攻撃を打ちやすい場所に、ラン自ら動いたようにしか見えなかった。

「ラ……」

 ズガンッ!!

 浩之の声が全てはき出されるよりも早く打ち出された、タイタンの大砲のような右ストレートが、派手な音をたて。

 ランの身体は、またあっさりと金網に向かってはね飛ばされた。

 

続く

 

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