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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(152)

 

 身体の芯を突き抜けるような激しい衝撃。

 ランの身体は、自分が思うよりも簡単に、金網まで吹き飛ばされた。

 さっき受けたのとは違う、ダメージのある一撃だった。ガードがぎりぎり間に合ったが、しかし、それは単に打撃と身体の間に腕を滑り込ませただけで、ダメージを殺しきるには、まったく足りないものだ。

「か……はっ……」

 肺の中の空気が、金網に叩き付けられた勢いで、全て外にはき出される。

 その一撃で、翼でも生えているのかと思えるほど軽やかに動いていた身体の自由が、まったく効かなくなった。

 息を全て吐き出したランの身体は、自由を無くし、その自由が戻るまで、タイタンは待つ様子はなかった。

 ランの目に、タイタンの巨体が、自分に向かって走り込むのが写る。

 駄目……動かない。

 必死で四肢に力を入れようとするが、ダメージを受けた身体は、それを拒否する。もう数瞬も時間がないというのに、呑気に身体は空気を欲していた。

 タイタンの脚が浮くのさえ、ランの目には写っていた。普通なら、相手よりも遅いスピードのさらに足を引っ張るキックは、タイタンは使わない。しかし、今のランには反撃の余裕などなく、タイタンは、威力を取った。

 巨体の突進力と、脚力が一点に集中された、しかし普通なら隙が大きすぎて使われることのない、タイタンの前蹴り。いや、むしろケンカキックと呼ばれる、前蹴りとは違い、全体重のかかる、威力だけならば必殺の技。

 あ、負ける。

 ランは、どこか他人のことを見るように、絶対絶命の自分の状況を思った。

「ランッ!!」

 そんな、悟りというよりも、あきらめを感じたランの脳髄に、観客の歓声をたたき割るような、厳しい声が響いた。

 ガシャーーーーンッ!!

 タイタンの全力のケンカキックが、試合場に巡らされた金網全体を揺らした。

 と同時に、ランの身体に自由が戻る。

 ランは地面を滑るように動いてタイタンから距離を取ると、素早く立ち上がった。いや、滑るようにというよりも、完全に地面を滑って動いた。

 絶対絶命の状態から、ランが無傷で生還したことに、観客はやっと気付いて歓声を上げた。

 もちろん、ランにとってはそれどころではない。何とか身体は動くようになったが、ダメージが消えた訳ではなく、動きが鈍っているのは間違いなかったからだ。

 だが、少なくとも、危機は脱していた。

 動かない身体を抱えたまま、ランはタイタンのケンカキックを避けねばならなかった。普通なら、動けないのだから無理な話だが。

 ランは、とっさに身体から完全に力を抜いたのだ。力を無くした身体は、動くどころか、立っていることさえ否定して、地面に落ちた。

 その上を、タイタンのケンカキックが通り過ぎたのだ。はっきり言って、ギリギリだった。もし、もうちょっとタイタンのキックが下を通っていれば、ランは頭に直撃を受けていただろう。勝負どころか、生死も危なかろう。

 さらにそこから逃げることができたのは、身体が何とか動きを取り戻したのと、タイタン自身の脚が死角を作り、ランの逃げる道を作ったからだ。

 タイタンは、一瞬ランを見失っていたようだが、すぐにその姿を見つけて、待つことなく襲ってくる。

 しかし、仕留められるという気持ちからか、多少攻撃が大振りになっている。ダメージはあっても、これならば、ランが対処できるスピードだ。

 いや、今までも、精神的に追いつめられさえしなければ、十分に対処できたはずなのだ。

 一撃受けたことで、ランは反対に冷静になることができた。何も、まだ勝負が決まった訳ではないことを思い出したのだ。

 しかし、何より、あの危機を救った声の主を、思う。

 あれは、ヨシエさんの声だった。

 浩之先輩の声が、優しく包み込むような感覚があるとすれば、ヨシエさんのそれは、鋭く、突き放すような声。

 私を、厳しく叱る声。

 それが、危機でも無理矢理、ランの意識を現実に戻したのだ。そして、ランは危機にも関わらず、力を抜くという、非常に難しい回避方法を行うことができた。

 タイタンが、打撃ではらちがあかないと判断したのだろう、距離をつめてランを掴もうとするが、ランはそれを許さない。タイタンの迫り来る腕を避け、突進してくる身体から、余裕を持って距離を取る。

 やれる、まだ、十分戦える。

 それも、正直に言えば嘘だ。ダメージは脚に来ている。最初のスピードと比較すれば、まさに翼の折れた鳥のようなものだ。

 だが、タイタンの動きに対応できるのなら、例え余裕がなくとも、まだ戦えるのなら、ランは戦う、と決めた。

 厳しい坂下の声が、自分がここにいる理由をランに思い出させたのだ。

 一度負けた相手に、挑戦するなんて、そんなものではなくて。勝つために、私はここにいるのだ。

 恐怖は消えない。しかし、脚をすくませることも、もうない。

 緊張するような余裕も、どうせ自分にはないのだし。長く戦えるようなスタミナも、残ってはいないのだし。

 その点に関しては、ランは自分のことを誤解している。

 ダメージは、単純に動きを鈍らせるだけではなく、疲労としても身体に残る。受けたダメージを考えれば、前のランならば、動けていないはずなのだ。

 しかし、まだランは動く。無理はしていても、決して限界には到達していない。

 すでに、長く戦えるスタミナは残っていない。しかし、ここまで自分のスタミナは持って、そしてまだ勝負をつけるまでは、持ってくれそうなほどに残っている。

 こうなることを、坂下は予測していたのか。

 ダメージのことを考えるのなら、確かにスタミナは普通に動く以上にいる。少なくとも、短期決戦だけを狙っているのなら、スタミナよりも、他にも考えることは沢山あったはずなのだから。

 坂下は、多くを口にはしない。

 効能が分かっていた方が、やる気が出るとか、そういうことを坂下は考えていないかのように、むしろそれを隠すようにして、気付けば、ただ結果だけが、ランの身体には残っていた。

 ラン本人では気付けない。ずっと見ていたチームの仲間も、気付く者がいるかどうか。

 ランを育てたと言ってもいい、坂下と浩之だけが、その成長を感じていた。

 それでも、ランにとっては問題はないのだ。動けるだけのスタミナが彼女の中にあり、動ける限りは。

 そして、坂下の教えに従って、ランが手にしたのは、スタミナだけでは、ないのだ。

 勝つためのものを、ランはちゃんと、その手に持っているのだ。

 

続く

 

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