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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(156)

 

 どこで間違ってしまったのだろう?

 彼女は、心の中で大きくため息をついた。

 どこで間違ったのか、考えても答えは出て来ないし、今更答えが出たところで、どうなるものではない。

 彼女は、レイカとランの母親だ。二人とは似ても似つかない、おとなしそうな女性だった。ランのように、無口でも、実はかなり感情的で激しい訳ではなく、本当におとなしい女性なのだ。

 一体、どこで私は教育を間違えたのだろうか?

 まだ、レイカが中学に入った頃は問題なかった。それが、段々と夜になっても家に帰って来なくなり、いつの間にか、レディースなどになってしまっていた。いや、実際のところはどうかわからないが、あんな特攻服など着て、それ以外があるとも思えない。

 さらに、姉に感化されてか、いつの間にか、妹のランまで、夜に出歩くようになってしまった。せっかく入った高校にも、この前まで、出席すらしていなかった。

 自分に出来る訳はないが、あの頃、私がレイカが夜遊びをしだしたときにきつく叱っておけば良かったのだろうか?

 外で、人様の迷惑になっていなければいい、と思うが、それは無理だろうこともわかっている。レディースがどんなことをやっているのか詳しく知っている訳ではないが、良いことをしているとは、彼女にはとても思えなかった。

 夫は仕事にかまけて、教育には我関せずという態度を取っている。相談しても、「若いころの一時的なものだ」と言って相手にもしてくれない。

 子供の非行に、夫の不干渉。働かなくてもいい、気楽なはずの専業主婦の彼女は、働く以上のストレスを感じていた。

 ああ、それでも。

 最近は、その問題が、改善して来ていることがあって、少し気が楽になっていた。

 レイカは、まだ変わらず毎夜毎夜出歩いているが、ランは夜に出歩くことはあっても、それはランニングのためのもので、夜遅くになると、いつも部屋で眠っている。

 不登校だった高校にも、ランは行くようになった。どうも、学校で部活動に力を入れているらしい。ご飯も毎日家で食べるし、しかもよく食べる。

 久しぶりに家で、美味しそうに夕食を食べる姿を見て、思わず涙ぐんでしまったものだった。

 朝も早くに起きて必ず朝食を食べて、お弁当すら持って出るのだ。専業主婦をしていて、新婚のころに夫に食事を作るとき以来の、充実した気持ちで料理を作ることができた。

 母親自身が何かした訳ではないけれど、ランがまっとうに部活に力を入れてくれるのは、本当にうれしいのだ。

 明日は、朝食以外はいらないと言われている。それでも、どこかに部活で遠征でもするのだろう、と信じられる。

 そう思うのは、単なる希望的観測なのかもしれない。しかし、無口なランだったが、それでもその姿を見れば、今が充実していることだけはわかるので、それだけでも心は救われるようだった。運動なら、他の人に迷惑をかけるようなこともないであろうし。

 と、そのとき。

 ピンポーン

 自分の思考に沈んでいた母親を呼び戻すように、ふいにチャイムが鳴った。

 まだ早いとは言え、時間的には夜で、人が訪ねて来るには遅い時間だ。

「誰かしら?」

 彼女はいそいそと立ち上がって、玄関に出て行く。正直、訪問販売や宗教を彼女は苦手としていた。もともと、押しが弱いのだ。

「はーい?」

 玄関の扉を開けると、そこには、見知らぬ少女がいた。

 夜だというのに、制服を着ている。母親は、それがこの近くのお嬢様学校、寺女の制服だとすぐに気付いた。本当ならば、レイカにもランにも行って欲しかった学校なのだ。

「夜分遅く失礼します」

 少女は、礼儀正しく深々と頭を下げた。乱暴な自分の子供とのギャップに、しばらくの間ぽかんとしてしまう。

「私、ランさんの友人で、初鹿と言います。ランさんいらっしゃいますか?」

 今の若い子にしては珍しいほどの、上品な少女だった。やはり、寺女に行くような少女は違うのだろうか、などと思う。が、すぐに気を取り直して、返事をする。

「え……ええ、いますよ」

 と、そこで二階から、ランが走って降りて来る。

「あ、ランちゃん。こんばんは」

「……こんばんは、初鹿さん」

 あのランが、ちゃんと頭をさげているのを見て、彼女は目を疑う。ランは、姉にこそ敬意を払うものの、それ以外の人間に頭を下げるなど、見たことがなかった。

 実のところ、ランは案外人に頭を下げることに抵抗はないのだが、母親の前でそういう姿を見せていなかったのだから、母親が驚くのも当然だろう。

「こんな遅くに、すみません」

 そうあやまったのは、ランの方であったから、余計に母親は驚いた。

「かまいませんよ、重要なことですからね」

 柔らかくにこやかに答える初鹿という少女は、今まで母親が見たレイカとランの二人の友人を合わせても、見たことがないようなタイプだった。

「あがって下さい」

「じゃあ、失礼しますね」

 初鹿はランにうながされて、家にあがると、ちゃんと靴を整える。

「母さん、もういいから」

 そう言って、ランは母親を追い払おうとするが、母親としては、こんなにまともな、というよりもむしろ真面目な娘の友人と、ほんの少しでもいいから会話をしたいと思うのは、むしろ当然のことだった。

「あ、あの……お茶、いる?」

 しかし、元来押しの弱い母親としては、それが限界のところだ。

 ランがきつい口調で何かを言うよりも早く、フォローのように初鹿が答える。

「おかまいなく。もう遅いので、なるべく早く帰りますから」

「……すみません、遅くに呼び出して」

「もう、ランちゃんったら。別に呼び出されたのを責めてる訳ではないのよ。むしろ、うれしいぐらいなのよ?」

 柔らかく笑う初鹿を見ると、二人の関係は、良好なものであるのが、母親にもわかった。もしかして、どこかのお嬢様を、娘が恐喝でもしているのかと、心の端にでも思ってしまった自分に、嫌気がさした。

 二人は、仲の良い友人のように一緒に上にあがっていく。

 ……驚いた。

 二人が二階にあがって、十秒ほどして、やっと母親は我に返った。

 ため息は、つかなかった。やはり、自分の知らないところだけれども、ランはいい方向に進んでいるようなのが、母親には何より救いだったのだ。

 母親は、知らない。

 今この瞬間は、確かに良い方向に動いている証拠なのだが、それは別にして、ランが、より深い場所に入り込んだからこそ、見た目にはまともになったように見えることを。

 本当に深いものは、一見、そうとは見えないものなのだということを、優しくともおとなしい母親は、知らなかったのだ。

 

続く

 

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