私は、そわそわしながら、娘の帰りを待っていた。
若い子の性の乱れとか、少年犯罪とか、そういうものが、メディアに踊らされている結果であって、今までだってずっとそういうことは少ないながらもあったことは知っている。
そして、レディースの娘達が、その少ないうちに入っていることは、おそらく間違いないことなのだろうけれど。だから、被害者というよりは、加害者に回る方が多いというのは、意味としてはわかっているのだ。
それでも、自分の娘が被害者になるのでは、と不安に思う親の気持ちは、変わらない。
親の自分すら今まで見たことのないようなおめかしをして、うっすらと化粧さえして、いつも通り、無愛想な顔で家を出た娘だったが、それでも、年頃の娘としては、むしろ年相応の遊びでも覚えたのだろう、と少し安堵していたのだ。
少なくとも初鹿さんは普通の、いや、それ以上のお嬢様に見えたので、その点に関しては、まだ安心できた。
しかし、バカな話で、いつもの娘と違うというだけで、それがいい方向に違うというのに、私は不安で一杯になっていた。
朝に、不満げな顔をしながらも、隠しきれない嬉しさがにじみ出ていたのを思い出すだけで、顔がほころぶ。
親として、あんなに嬉しかったことはない。
しかし、だからこそ、心配する必要がないと思っても、心配になる。
せっかく、娘が非行から普通の生活に戻ったのだ。せめて、これからは、娘には幸福であって欲しい。そう思うと、杞憂ではあっても、心配だった。
多分、好きな男の子ができたのだと思う。
母親は失格でも、昔は私だってかわいらしい娘だったのだ。恋のすい甘いも経験してきている。その勘から言って、完全に男だと思う。
ううん、それ自体はいいことのはずなのだ。もし、それのおかげで非行から更正したのなら、歓びこそすれ、不安に思うことはない。
それでも不安に思うのは、親というものの性なのだろう。
それが好きな相手でも、娘が男にどうこうされてしまうのでは、と思うと、気が気ではなくなる。普通は男親の方がそういうことを思うらしいが、母親だって、十分に不安なのだ。
それが、普通の同年の学生相手で、結局ふられるのなら、かわいそうだが、まだいい。
でも、悪い男に騙されていたらどうしよう?
取り返しのつかないことになったらどうしよう?
不安は、つのる一方だ。
それでも、私は朝嬉しそうに出ていく娘を止めることなんてできなかった。
もとより、子供に言うことを聞かせるほどの権力が私にないというのもあるけれど、どこの親が、あんな嬉しそうな子の姿を見て、止められるだろうか?
私は、雪だるま式に増えていく不安に押しつぶされそうになりながら、娘の帰りを待つ。そして、永遠にも感じた時間は、唐突に終わりを告げた。
ガチャリ、と鍵が開く音がしたとき、私は思わず玄関に飛び出していた。
玄関に入ると、いつもは自分と目を合わせることすら躊躇する母親が待ちかまえていたのだ。娘は、驚いているようだった。
その顔を見たとき、私は大きく安堵し、少しだけ、胸がちくりとした。
何とか、顔に笑顔を作る。不安を娘に悟られる訳にはいかない。ただでさえあてにならない親なのだ。出来る限りの努力はしなくては。
「お、おかえりなさい」
私は、いつも通りぶすっとした顔の娘に、恐る恐る声をかけた。
こんなのでは、親失格だと思うのだけれど、子供相手でも、おどおどとしか私には言えないのだ。それでも、私としてはがんばった方だった。
それでも、いつもと変わらず、やはり無愛想な顔のままの自分の娘に対して、私ができることなど、そう多くない。
「……ただいま」
声が返ってくるだけで、私は顔がほころびそうになるのを必死でこらえた。この程度で喜んだら、また娘からけむたがられるのは間違いなかったから。
「晩ご飯、食べるわよね?」
「……食欲ない」
予測通りの言葉だった。顔を見れば分かる。
最近は、運動をしている所為なのか、食事を家で取るようになったけれども、それまではほとんど家に寄りつかなかったし、いたとしても、私の作ったご飯など食べてくれなかった。
でも、それが理由なのではないことは、私にだって、わかる。
「……ランちゃん、あのね?」
何か用か、と言わんばかりに、ランは私を睨んでくる。私は、条件反射で引き下がりそうになりながらも、それでも懸命に声を出す。
「晩ご飯、一緒に食べた方がいいと、思うの」
「……」
私の真意を測りかねてなのか、娘はいぶかしげな顔をする。
たよりない親だと、思われているのは知っている。だから娘がぐれたのだと言われれば、返す言葉もない。
でも、だからと言って、私は娘の母親なのだ。
「ランちゃん……酷い顔してるもの。せめて、一緒に、ご飯、食べましょう?」
娘は、一瞬びくり、と震えてから、私を異星人でも見るかのように睨み付ける。
私は、反射的に怖がりながらも、それでも、思っていた。
ランは、酷い顔をしている。何があったのかなんて、母親失格の私にはわからないけれど、何かがあったことぐらい、私にだってわかる。
失格していても、私は、ランの母親なのだ。
取り返しのつかないことにはなっていない。それが安心の理由。
そして、結局うまくはいかなかったのは、顔を見てわかる。それが、胸がちくりと痛んだ理由。
一緒にご飯を食べたからって、娘の問題が解決できるわけではないけれど、それでも、もし不安になっているのなら、こんな母親でも、一緒にいてあげることはできるのだ。
私には、もう心を開いてはくれないとは思うけれども、それでも、私が、ランの母親であり、いつまでたっても、ランの味方であることは、変わりないのだから。
傷付いている娘の助けに、ほんの少しでもなれば、と思って、私はありったけの勇気を使って、娘に言ったのだ。
娘は、しばらく顔をゆがませたり泣きそうな顔になったりしていた。
「……うん、じゃあ、お願い」
結局、私の提案を呑んだ。それが、いかに私にとって嬉しかったか、ちょっとだけ気を使われた程度の娘には、わからなかったと思う。
でも、それでも良かった。
「じゃあ、腕によりをかけるわね」
うれしくて、娘にうざいと思われるのも気にならずに、私は嬉しそうに笑って、キッチンに向かった。
続く