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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(164)

 

 浩之と二人だけで、ということはかなっていなかったが、それなりに楽しい時間だったのだ。だから、余計にランは不機嫌になっていた。

 胸の中に、何かが紛れ込んで、ちくちくと当たっているような、不快な感じが、どうしても消えない。

 午前中は夢のような時間だった気がするのだが、それが思い出せないぐらい、午後は悪夢のような時間だった。

 夕食を終えて、部屋に入ったランだが、食事ぐらいでは、気は晴れなかった。

 それでも、いくぶんかは冷静になったのだ。

 ちゃんと考えてみれば、ランは十分に午後も楽しんだはずなのだ。

 来栖川綾香は、話すことは面白いし、盛り上げ方も知っているようだったし、ランにもけっこう親しく話しかけてきた。

 しかし、それはあくまで、浩之の後輩へのお祝い、という雰囲気だけは、消えなかった。いや、それで正しいのだが、ランは楽しんではいたものの、釈然としないものを感じていた。

 まわりの目を気にしてなのか、それとも、そうするとランが睨むからなのか、と言ってもランは睨んだ記憶はないが、綾香は必要以上に浩之とべたべたするようなことはなかった。

 それでもにじみ出る、二人の仲。

 お似合いだとは、ランも思っていた。浩之は格好いいし、綾香はランの目で見ても、飛び抜けて綺麗だった。

 ランのひいき目を置いても、浩之でさえ釣り合わないのでは、と思うほどの美少女なのだ。それは、ランとてあれを目の前に突きつけられたら、日頃外見を気にしていなくとも、自分が負けたと思うのは仕方ないことだ。

 しかし、それで嫉妬するというのは、ランの性格ではない。その点については、ランは自覚があった。自分が女であることは覆らないし、綺麗なのをうらやましいと思うことはあると思ってはいたけれど。

 ボスッ

 ランは珍しく、拳で、クッションを叩いた。素人よりも使っていないだろう腕では、普通の少女がかんしゃくを起こした程度の威力しか出なかった。

 だが、胸の中にたまっているわだかまりを、とりあえず発散するには十分だった。

 ボスッボスッ

 弱いパンチが、クッションに再度入れられる。

 しかし、その程度でははっきり言ってランの中のもやもやは消えない。全力で蹴りつけて、この部屋のものを全て壊してしまおうか、と一瞬黒い気持ちに染まりそうになるが、それをやったとしても、気は晴れないだろうと思ってやめた。

 正直、ランは綾香のことがどうしても好きになれなかった。

 戦うまでもない、ランと綾香の間には、決して超えられないであろう実力の、才能の、全ての差があるだろう。

 強い者全てになつくわけではない、例えば坂下にはあこがれたが、タイタンを爪の先ほども好きになったことはない、のは知っているが、あそこまで強い人間を、嫌いだと思うのは、初めてではなかっただろうか?

 まあ、空手部の御木本とか、どうしても肌に合わない人間はいるが、あれは本人の性格がランと合わないという理由がつけられる。が、綾香に関して言えば、ランがなつくことはあっても、嫌うことはないように思える。

 その自覚があるだけに、余計にランは混乱していた。理解できないから、心の落とし所がないのだ。

 母親は酷い顔などと言ったが、まさにその通り。はっきりしない、という状態が、人間一番いらいらするのだ。

 単純に、嫌いだから嫌い、と言い切るには、綾香の要素は強すぎるのだ。

 それに、何より浩之先輩は、私が来栖川綾香を嫌うのを、あまり喜んでくれそうにないし。いや、絶対に嫌なはずだ。

 浮気のばれた彼氏のようにおどおどしていた浩之だったが、それでもランにずっと気を使ってくれていたのはわかった。もし綾香がいなければ、ランがそうと気付かなかったかもしれないが、浩之はランを楽しまそうとしていたのだ。

 それを考えると、少しだけ胸のつかえが落ちる。

 本当に、後輩思いの人間だと思う。いや、そもそも、私は後輩ですらないはずなのに、よくこんな無愛想なヤツの相手をしてくれると思う。

 ランは基本的に本人が思っている通り無愛想だが、一度近づいてしまうと、けっこうなつくのを、本人は自覚しているようで、実のところあまり自覚していない。初鹿の場合を見てもそれはわかろうと言うものなのだが。

 そして、なつかれた方が、ランをかわいがりたくなるぐらいは、自分が愛らしいことを、ランは本当に自覚していない。

 自覚していれば、もう少し冷静にいられたかもしれない。もっとも、その冷静さは、それは余計にランの気持ちをかき乱したかもしれないが。

 冷静ならば、そろそろ気付いても良さそうなものなのだが。感情に気付くのには、感情以外のもので見るのが、一番簡単なのだから。

 殴っていた拳を止め、今度はクッションを抱きかかえて、ランはしばらく記憶を反芻していた。

 水着コーナーや下着コーナーにつれて来られたときの、ばつの悪そうな顔。気を使っていないようで、ちゃんと見れば、ランのことを大切に扱ってくれているのが分かる会話。綾香が来てからも、なるべくランに話しかけようとする行動が見て取れた。

 ちょっと、ほんのちょっとだけ、ランは幸せな気持ちになれた。

 部屋に観察者がいれば、ランのほほがふやけているのを見れたろう。珍しいと言えば、物凄く珍しい光景だ。

 ランは、だから余計に申し訳なく思うのだ。自分が、浩之の彼女であろう綾香を、どうしても好きになれないことを。

 それを浩之に知られれば、浩之が悲しそうな顔をしそうで、それは、ランにとって身を切られるように痛いことなのだ。想像しただけで、胸が引きちぎれそうになる。

 浩之先輩……

 試合が終わったことも、ある。勝てないかもしれない試合、というものが、ランを押さえていた部分はあった。

 今は、ランが懸念することがまったくなかった。だから余計に、浩之のことに気を取られる。

 ランは浩之のことで、自分の頭がいっぱいなのに、ここまで来ても、自覚はなかった。まあ、感情など、そういうものなのかもしれない。

 頭の中を、浩之の姿がうめつくしている。しかし、それを邪魔するように、綾香の、憎らしい、そう思ったことに、ランは自分で少なからず驚いた、綺麗な顔が浮かぶ。

 頭を振り払おうとも、この後、冷水でシャワーを浴びても、頭の中から、それは消えない。

 ランは、眠れない夜を過ごすことになるのだ。一体、自分が何に囚われたのかを自覚できぬままに。

 

続く

 

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