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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(168)

 

 すくい上げの掌打を受けて、KOを喰らい、浩之は地面に倒れていた。

 一応、それで満足した坂下だったのだが。

「……あー、さすがにやりすぎ?」

 誰に言うでもなく、苦笑しながら坂下はつぶやいた。

 本当は、ここまでする気はなかったのだ。しかし、浩之が自分の思う以上に良く動いたのと、押さえきれない衝動が、つい、手加減を少しだけ忘れてしまった。

 ただでさえ病み上がりの人間に対して、綺麗にKOを決めてしまった坂下は、さすがに自戒した。多少は手加減すべきだと。

 と、今思ったところで遅い。坂下が今自分の行いを悔いても、浩之の意識が戻ってくるわけではないのだ。

 酷い話だが、すでにけっこう満足した坂下は、もうここには用はなかった。

 間の悪いことに、今日は葵がいない。浩之の介抱をまかせて、先に帰るという鬼の所行はできない。

「さすがに、ここに捨て置く訳にもいかないか」

 一人なのに置いて帰ったら、鬼より酷い。まあ、半分以上冗談で、坂下は常識も十分心得ているので、そんな酷いことはしない、と思いたい。

 坂下は、むんず、と色気なく浩之の首根っこを掴んで、持ち上げようとするが、さすがに、気絶した人間の身体は軽いものではない。

 体格的に言えば、坂下よりも浩之の方が重いのだ。動いていれば、相手の動きを利用して勝つことも容易いが、気絶した身体を持つとなると、話は違う。

 ただ、重いと思いながらも、あっさりと持ち上げるあたりが坂下の非常識なところだ。

 土のむき出しの場所では汚れるだろうと思って、とりあえず境内の方に運ぶことにする。残念ながら、ぬれタオルなどは用意していないので、冷やすことはできないから、ただの放置になってしまうが、それでも仕方ないだろう。

 水があれば、頭から被せてもいいんだけど。

 超体育会系の対応を考えながら、とりあえず、境内の方まで運ぶと、坂下は少し考えた。

 このまま放っておいて、一人で練習してもいいんだけど。

 身体はいくら動かしてもいいが、精神的にはそれなりに満足した後で、何もこの後続ける必要にかられているわけではない。

 まあ、自分の所為だ。介抱ぐらいしてやるか。

 暴力的なのは否定できないが、面倒見はいいし、何より責任感のある坂下は、自分が倒した浩之に、多少なりとも悪いと思っているのだ。そこは綾香と違う部分だ。

 しかし、介抱と言っても……。

 葵もいないので、そんな道具は用意されていない。いや、いたとしても、正式な部活ではないここには、あまり道具はそろっていない。

 葵は……そう言えば、綾香もそうだけど。

 思い出してみると、こういうときはだいたい二人は膝枕をしていたような気がする。

 ……介抱するのはいいけれど、さすがにそれはどうだろう?

 だいたい、膝枕で介抱というのは、絵的にはともかく、実際のところはあまり有効には思えない。意識があればそれでも精神的に違うのだろうけれど、完全に意識のない人間にやって効果があるのだろうか?

 普通なら、そういう手のことには真面目な坂下は、そう結論を下して、さっさと放っておいて一人練習を始めただろう。

 しかし、今はカリュウとの試合が近く、精神的に落ち着きがない状態であったのと、多少の申し訳なさが、いつもは取らせない行動を取らせた。

 まあ、試しにやってみるのもありか。

 こんな機会でもなければ、膝枕などしないだろうという気持ちもあった。何せ、浩之は引く手数多なのだ。KOすることはあっても、それを介抱するのが坂下にまわってくることはない。

 それに何より、坂下本人が、もし恋人ができても、膝枕などしようなどと思うとは思えなかった。

 浩之なら、別に嫌っている訳ではないし、やられ慣れている浩之にとってみれば、大したことではないと思えるとも思った。

 結局、一番の理由は好奇心なのだが。

 やはり色気なく浩之の身体を引きずって、影になっている場所に腰掛け、あおむけにして寝ころばして、膝の上にのせてみる。

 浩之は、ぴくりとも動かない。それはそうだ、睡眠ではなくて気絶なのだから、気持ちよく眠っていたらそいつはおかしい。

 膝に、あまり体験したことのない類の感触がする。重いし硬いのだが、あまり嫌悪感は感じなかった。

 すでに夏も盛りに近付き、暑い外で練習をしていたので、坂下も浩之も汗のにおいがする。坂下は、部活で慣れたものなので、汗をかいて気持ち悪いという気持ちはあっても、浩之の汗のにおいをくさいとはあまり思わなかった。

 いや、男くさい匂いはしているのだ。しかし、軟弱そうに見える浩之は、見方を変えると、いつもどこか浮世離れしているというか、坂下の目から見ると男だという感覚が薄い。

 しかし、膝枕するほど近くで、ゆっくりと観察してみれば、そんなことはない。

 激しい練習を続けているのだろう、空手部の誰よりも傷の多い、しかし張りのある肌。贅肉がぎりぎりまで削られているが、しかし、いつの間にか十分に発達した筋肉。動かせない訳ではないが、同性と比べると、明らかに重い身体。

 そして、汗のにおい。

 坂下は、葵がそうするように、試しに浩之の髪に指を刺してみる。この行為、葵はどう思ってやっているのかわからないが、見ている方はけっこう恥ずかしいのだ。まあ、坂下は大人なので見て見ぬふりをしてやるが。

 すでに半分汗は乾いていて、柔らかい髪が指にからまる。

 犬をなでるように、髪に指をからめたまま、ゆっくりとなでてみる。

 気絶している浩之は、当然動かないが、自分に身をあずけている大きな動物をなでているような気分になった。

 ……やばい、けっこう楽しい。

 新鮮な体験だった。やってみるまでは、何か意味があるのかと思っていたが、やってみるとはっきりと分かる。

 やられている浩之が嬉しいのかどうかは知らない。というか、気絶している人間にしてみればそんなことは関係ないだろう。

 葵や綾香が、頻繁にこの体勢に持って行こうとする理由は、しごく簡単だった。やっている方が楽しいのだ。

 なるほどねえ、まさか、やってる方が楽しいからとは思わなかったね。

 普通の少女が、普通の男相手なら、どちらかと言えば嫌悪感を感じたのかもしれないが、そもそも汗くさいことに関しては大して問題にしていない坂下には問題なかった。

 そもそも、坂下だって浩之のことは憎からず思っているのだ。

 葵や綾香と恋敵になる気はさらさらないし、さすがに、憎からず思うことが恋というには、少なくとも浩之に対する自分の気持ちに関しては、遠いことを自覚している。

 しかし、その姿が外からどう見られるかに関しては、坂下はまったく考えていなかった。そもそも、ここに人が来ることがまれであるので、気にすることはないと思っていたのだ。

 さらに、浩之をいじるのが、けっこう楽しくて、そちらに気を取られてしまった。

 色々な条件が重なって、坂下は、そんなにまわりに気を配っていなかった。人の気配に気付けなかったのは、坂下にしては、非常に珍しいことだったのだ。

 

続く

 

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