作品選択に戻る

最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(170)

 

 浩之は、意識を取り戻したときに、経験から、それが膝枕だというのはすぐに分かった。恐るべき高校生である。

 膝枕を経験で分かる男藤田浩之は、膝枕の一つや二つで慌てたりはしない。

 余裕の表情で目を開け、さっきまでの余裕を完全に無くして硬直した。予想を遙かに超す状況だったからだ。

 驚きのあまり声をあげようとした浩之だったが、寸前のところで何とかとどまった。

 不幸中の幸いなことに、目標は浩之が起きたことに気付いていない。気付かれていたら、浩之の命はなかっただろう。

 思考停止十秒ほどして、浩之の頭は何とか動き出した。

 ……てか、何で坂下が膝枕?

 状況がまったくつかめない。新手の必殺技に入る途中だと言われた方がまだ納得できただろう。しかし、浩之の無駄に多い経験は、どう言おうとこれが膝枕であると言ってくる。

 坂下の目は、あらぬ方向を向いているので、浩之が目をあけたことに気付かなかったようだが、それもいつまでもつことか。

 坂下は、どこか嬉しそうにリラックスしているようで、だからこそ浩之が起きたのに気付かなかったのだろうが。

 さて、状況は掴めないが、どうしたものか。

 気付かれれば、即日抹殺だ。間違いない。何せ自分は今物凄い無防備な姿を坂下にさらしている。坂下の拳なら、今の自分をつぶすなど造作もないことだ。

 しかし、身体を動かせば、おそらく起きていることがばれる。

 ……困った、動けない。

 坂下の意識がある以上、率先してなのか嫌々なのかは置いておいて、坂下の意志で浩之を膝枕しているのは間違いなく、だったら浩之が起きたからと言って浩之が殴られる所以はないのだが、そんなことを冴えた浩之の頭は理解していなかった。

 というか、本当に冴えているようにも思える。自分の意志で膝枕をしているにしろ、起きたときに浩之が理不尽な暴力を振るわれる可能性は、十分にある。今まで理不尽な暴力を受けてきた浩之だからこそ想像してしまう状況なのだ。

 ……。

 しばらくの間、浩之は頭をフル回転させてこの状況を打破する方法を考えていたが、一分もしないうちに、煮詰まった。

 理不尽なときは、どんなにあがいても理不尽にやられるものだ。

 この究極まで理不尽な状況を打破する方法など、浩之に思いつくわけもなく。

 それなりに見栄えもする坂下に、超レアな膝枕をしてもらっておいて、理不尽と言う方がよほど理不尽な気もするが。

 浩之は、考えるのを止めた。

 観念して、このまま膝枕をされておこうという気になった。問題を先送りしているようにしか見えないが、解決方法がないのだから仕方ない。

 観念してしまうと、なかなか快適だ。

 丁度風が通る位置なのだろう、夏も盛りに近づいているのに、けっこう涼しい。

 その威力を出す脚が、どうしてこんなに柔らかいのかと、葵でも綾香でも思うことを、ここでも浩之は思っていた。

 かすかに匂う汗の匂いも、不快ではない。むせかえるように甘い、というほどではないが、健康的な匂いだ。

 何となく、落ち着いてきていた。

 坂下がリラックスしている所為だろうか、それが浩之にも伝わったように、さっきまでの緊張感は浩之から取り除かれ、まるでぬるま湯につかっているような気分になる。

 激しい練習で疲れた身体には、てきめんに効いた。

 浩之は、数分もしないうちに、柔らかい眠りの中に落ちていった。

 

「……た、藤田、おい、起きろ、藤田!」

「ふあ?」

 身体を揺らされて、浩之は目を開けた。

 何故か、目の前には坂下がいた。しかも、顔が浩之の上にある。というか、後頭部に感じる感触は、明らかにいつも経験した膝枕だ。

 三秒ほど固まって、浩之はガバッと起きあがった。

「うわっ、いきなり立ち上がるなよ、藤田」

 坂下は、驚いたものの、理不尽に拳を振るうことはなかった。というより、怒った様子はまったくなかった。

 目が覚めた瞬間に、今までの状況を思い出して、すぐに動いた浩之だったが、今の坂下を見る限り、単なる杞憂のようだった。

 というよりも、坂下は、膝枕をしていたことを、まったく気にした様子がなかった。

 安全を図るのなら、ここはそのまま流して、違う話題に持って行くべきだった。

「……てか、何で坂下が?」

 それを蒸し返せば、身に危険があるかもと思いつつも、浩之は好奇心に負けて聞いた。

「ああ、病み上がりの人間を、ついついKOしちゃったからね。一応、介抱ぐらいしてやろうと思ってね」

「いや、むしろKOする前に少しは考えてくれ」

「それには返す言葉もないね」

 坂下も言う通りだと思ったのか、苦笑しながら答えた。

 今更KOの一つや二つでどうこう言う浩之ではない。が、坂下に膝枕をさせるというのは、KOされるよりもよほど危険な気がした。

「いつも葵や綾香がやってるのを真似たんだけど、あの二人が率先して膝枕をやる気持ち、少しは分かるね。動物が無防備な姿をさらしてるみたいで」

「へえ」

 好奇心で言えば、本当はさらにつっこみたいところだが、どの言葉がキーワードになって坂下が激怒するかわかったものではないので、浩之はここらで戦略的撤退をすることにした。

 坂下のことだから、好意はともかく、恋愛感情とかそういうものではないだろう、と思える辺りが、浩之も気が楽なのだが。

 浩之の知る坂下というのはどちらかと言うとそういうことにはお堅い、と思っていたから驚いただけ、浩之から見れば、膝枕をする女の子は珍しくはない。

 そんなふざけた生活を送っている浩之に、世の中の男の怨みの声が聞こえて来そうだ。

「しばらくはつきあってやるつもりだったけどね。もうそろそろ暗くなりだしたからね」

 言われて初めて気付いた。もう、日は隠れそうにまで沈んでいる。坂下が来た時間もあまり早くはなかったが、それからけっこう経っているということだ。

「あー、あれだ、KOのことは置いておいて、一応礼は言っておくぜ」

 膝枕で介抱してもらったのは事実で、そこにはお礼が必要だろうと、浩之は思ったのだ。

 ただし、KOのことは置いておくとは言え、次は気をつけて欲しいものだが。

 そんな浩之の気持ちを理解したのだろう、坂下はククッ、と笑った。

「ああ、礼は言われたよ。KOのことは置いておいてね」

「いや、本気で勘弁してくれよ? あんまり頭とか打たれてると、バカになりそうだしな」

「十分藤田はバカだと思うけど」

「聞き捨てならねえなあ。これでも成績は……」

 案外、のんびりとした雰囲気で、日は暮れていく。

 二人は、知らない。二人がのんびりと会話しているときに、苦しんでいる少女がいることを。

 

続く

 

前のページに戻る

次のページに進む