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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(176)

 

 段々と、人通りの少なくなるころになっても、後ろの気配は消えなかった。

 このまま、家につくまで何もしてこないということはないだろうと、坂下は思っていた。わざわざ、人通りの少ない道を選んでいるのだから、何かしらのアクションを起こして欲しいのだ。

 どうせなら、後腐れなく物事を進めて欲しいというのも、坂下の気持ちだが、もちろん、強い相手と戦いたいという気持ちも大きい。

 そして、仕掛けてくるのなら、ここ、という公園まで来た。あまり大きくない公園で、昼ならば子供や奥さんがたむろしているだろう。

 当たり前のように、ゼロは立ち位置を前にしている。そして、最後尾が坂下だ。もし後ろから襲われたとき、坂下がすぐ対処できるためで、ゼロはまったく戦う気はないようだ。

 公園に入ったところで、坂下はくるりと後ろを振り向いた。

「どうかした、ヨシエ?」

 世間話をしていたレイカ達も、坂下が止まったのを見て後ろを振り向く。

 と、そのとき、ゆるり、と暗がりの中から、人影が出てくる。坂下が、話しかけるまでもなかったようだった。

 レイカ達は、すぐに警戒するが、それを坂下は手で止める。

「皆下がっておいて」

 もとより、手出しをさせるつもりはなかった。複数人数で来られたときに牽制をしてもらうぐらいしか期待していなかったのだ。

 相手は、どう見ても一人。坂下の一人舞台だ。

 近づくに連れて、相手の姿が目に入ってくる。シルエットは、そんなに大きくない。坂下とそう変わらないか、むしろ小さいかもしれない。

「っ!?」

 と、次の瞬間、坂下は後ろに大きく飛んでいた。

 シュパッ!!

 坂下の目の前を、何かが通り過ぎる。後一歩近づいていたら、逃げ切れないスピードだった。もっとも、そのときは前に進むだけだが。

 何だ?

 あまりにもスピードが速い上、暗がりの中だったので、それが何かは判断できなかった。ただ、距離から言って、何かしらの武器を使っているようだった。

 それを確かめる時間もなく、すぐに二度目の攻撃が坂下に繰り出される。

 が、まだ攻撃する気がなく、リーチのある武器を使ってくるとわかっている状態では、いかに速くとも坂下を捉えられるものではない。

 坂下は、一撃目を避けるために大きく後退した勢いを持ったまま、さらに後ろに飛ぶ。追撃さえ許さないスピードで、距離を取った。

 しかし、追撃も、背筋が凍るような一撃だった。スピードが、桁違いだ。坂下の素手よりもスピードがあるのではないだろうか?

 今度こそ、坂下は相手の姿を目で捉えた。

 黒いライダースーツに、同じく顔をすっぽりと覆って隠す黒いフルフェイスヘルメット。一見、バイクに乗っているライダーのような格好であるが、しかし、手に持っているものが、普通ではなかった。

 あれは……鎖?

 黒光りする鎖が、両腕から垂れ下がっていた。今さっきの攻撃は、あれで行われたのは間違いなかった。

 チェーンと言えば、不良の定番の武器であるが、坂下はけっこうケンカをしているが、鎖を持った不良などに今まで会ったことはなかった。

 考えれば当たり前の話で、鎖は武器としてはあまり役にたたない。最低、お手軽な武器ではないのだ。素人の不良が扱うには、無理のある武器だ。

 まず、下手に振るうと自分に当たってしまう。真っ直ぐな棒ならば、そういうこともないが、鎖は空振れば、自分に巻き付いてくるのだ。

 そして、素手で持って扱えば、手の皮を挟む可能性も高い。武器で自滅していては話にならない。

 さらに、威力を上げるために太くなれば、持ち運ぶのにかさばる上、音がするので、隠すこともできない。

 他にも、相手の武器を受けられないとか、ふりがつかないと役にたたないとか、色々と問題はある。唯一、手袋でもして、拳に巻くという方法もあるが、それならナックルの方がよほど安全だ。

 しかし、そういう常識は、この相手には通じそうになかった。最初の攻撃で、坂下はそれを痛いほど理解していた。

 予備動作さえ、捉えるのが難しい。鎖という武器のありようを考えたとき、相手がどれほどの使い手か、容易に想像できる。

 相手の姿が完全に皆に見えたとき、レイカ達が、ゼロも含めて息を呑む。やはり、マスカレイドの選手のようで、しかも有名そうだ。

「お、おいおい、何でチェーンソーが……」

 ゼロが、うわごとのように言った。ゼロにしては珍しい声だった。少しうわずっているようにさえ思える。

「誰、こいつ?」

 強いだろうことは、もう疑うべくもないが、割と気楽な気持ちで、坂下は聞いてみる。レイカ達から伝わる恐怖に、気付いていない訳ではないのだが。

「……マスカレイド、無敗の一位、チェーンソー」

 順位を聞いて、坂下は、ぴくり、と反応する。

「一位?」

「てか、何で、チェーンソーが試合以外で人狙うんだよ。必要ねえじゃねえか」

 すでにゼロには、坂下の声は、聞こえていないようだった。それほどの相手なのだろうが、状況を飲み込めない坂下としては、普通にマスカレイドの人間がケンカを売ってきただけにしか燃えなかった。

「一位、一位か……」

 正直、いきなり一位と言われても、すぐには血が沸き立つことはない。むしろ、坂下は心情的には落ち着いていた。

 もう少し、レベルの低い相手が来ると思っていたのだ。希望は通り過ぎるぐらいに通った訳だが、あまりにも簡単に事が運びすぎて、気が抜けた状態だった。

 それでも、相手に対する警戒だけは抜かないが、坂下の坂下たる所以だった。それだけのものを、目の前の相手からは感じるのだ。

 じゃりっ、と相手、チェーンソーが動く。

 ゆっくりとした、緩慢な動作で、坂下に近づいてくる。スピードが殺されているだけでなく、タイミングも殺されており、一瞬、坂下がどう対処していいのかわからない時間があった。その一瞬が、しかし、このレベルになると、大きい。

 ブワッ!!

 下から振り上げられた鎖が、坂下の顎先をかすめるように通り過ぎる。後一センチでも奥に入られていれば、顎先を捉えられていただろう。

 坂下は、その一撃を避けて、しかし、内に入ることができなかった。

 一撃目は、集中していれば、まだ避けることができる。しかし、その後に来る二撃目の対処を考えると、懐に飛び込むという余裕がない。

 リーチが違い過ぎるのだ。前のランとタイタンでも、かなりリーチが違ったが、今回はそれ以上だし、相手もタイタンなど問題にならない速さを持つ。

 その予測していた二撃目が、上から坂下を襲う。

 それを、坂下は横に避ける。上から縦の攻撃である以上、そして、途中から軌道を変えることができない以上、横に動くのが最良の回避方法であり、そこから、坂下はチェーンソーの懐に飛び込もうとした。

 しかし、チェーンソーの鎖は、坂下を引き裂くために、坂下の予測しないところに、身を隠していた。それに、坂下はそのときは気付いていなかったのだ。

 

続く

 

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