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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(177)

 

 すでに日課となっているランニングの途中で、浩之は当然のように公園に寄っていた。

 ランがいると、思っていた訳ではない。学校の先輩ではあるが、部活動が一緒の訳でもないので、奇妙な関係だ。ちゃんとした約束でもしなければ、会うことはないだろう。

 公園での夜の練習も、ちゃんと約束したから成り立っていたものだ。それも、ランの試合が終わって、うやむやのものになったと浩之は思っていた。

 それに、ランは、坂下に言われて、安静にしているはずだ。浩之達と遊びに出ていたが、そのときも、身体には負担はかからないように、浩之は遊ぶ方法を選んでいたのだ。

 だから、公園まで来たとき、今日は通過して終わりのはずだった。

 さらに、いつもの場所からは、殺気じみた気配があり、まさか、チェーンソーがまた待ちかまえているのか、とすら思ったのだが。

 確かに、チェーンソーは、底の知れない怖さがある。単純な技量でも、浩之を余裕で飛び越えるだろう。

 怪我さえしなければ、むしろ戦ってみるべきではないのか? と浩之は思っていた。

 幸い、今日はランもいないだろう。自分一人なら、どうしようもなくなれば、逃げることだってできる。まあ、毎回綾香から逃げようとして失敗しているが、逃げるだけなら、その他の人間には早々遅れを取ったりしない自信もある。

 鎖骨は、もう完全にひっついているし、筋力もほとんど元に戻っている。何も回避する理由はなかった。強い相手だろうと、練習相手になるのなら、浩之は喜んで戦うつもりだった。

 そうやって、意気込んで行ってみれば、まあそれはランだった訳だが。

 ランは、浩之の姿を見つけると、笑っているような、怒っているような、表現しずらい顔をしばらくして、そしていつもの無愛想な顔よりもわりと怒っているような顔で止まった。

「浩之先輩、こんばんは」

 挨拶の声は、少し裏返っていたような気もした。

 チェーンソーでなかったことは、浩之にとって良かったような悪かったような。それでも、ランに会ってため息をつく理由もないので、浩之は立ち止まって息を整えながら軽く手をあげる。

「よう、ラン。もう身体はいいのか?」

 遊びに行っていたときは、いつもに比べ、動きは鈍かった。試合が終わったこと、勝ったことで、身体から緊張が抜け、溜まっていたものが一気に出たのだろう。

「まだヨシエさんからは運動は止められてます。だから、今日は見学です」

「そうか」

 と言われても、浩之も困ってしまう。公園は、ただ通過するために選んだ場所であり、ここで何か練習をしようという気持ちはなかったのだ。

 しかし、せっかく休みを取っていたのに来てくれたランを置いてそのまま走って行く訳にもいかず、とりあえず、浩之はランの隣、備え付けのベンチに座った。

「……浩之先輩?」

 ほんの少し間があって、ランが浩之の行動に疑問を感じたようだった。

 浩之は休憩を取ることにしたのだ。練習ではないが、そもそも、今もオーバーワークに完全に身体をつけているような生活を送っているのだ。多少の休憩は、むしろ身体には必要だろう。

 ベンチに座っただけで、身体は休息がもらえるものと思ったのか、いきなり動きが重くなった。現金なものだが、それだけ、浩之は自分の身体に無茶をさせているということだ。

「とりあえず、少し休憩にするから、ラン、話し相手になってくれよ」

「……はい、いいですよ」

 少し考える時間はあったが、ランにしては珍しい快い返事だった。何か不満がある訳ではないのだろうが、ランの返事というのはだいたい不機嫌に聞こえるものなのだが。

 むしろ、嬉しそうにすら聞こえたのは、さすがに自意識過剰か、と浩之は思った。

 しかし、浩之が座るなり、ランが浩之に近づくように腰を動かしたことには、浩之は気付くことができなかった。それが自然だ、とでも思っていたのか。

 同じように、浩之には気付けないのだ。ランが、満面の笑みを何とかひた隠しにして、不機嫌に見えるように顔を作っていることに。まあ、機嫌が良いのは、それでもにじみ出ていて、それ自体は浩之にもわかっているが。

「そういや、初鹿さんは?」

 その一言で、何故か、ランがいきなり不機嫌になる。愛想が悪いのはいつものことだが、目つきが明らかに鋭くなっている。それも、浩之を責めるような目だ。そんな顔をして、ランが浩之をにらみつける。

「……私だけではまずかったですか?」

 浩之の予想しない反応だった。

「いや、そんな意味じゃないって。最近、何か仲良かったような気がするから、今日も一緒なのかなと思っただけで」

 仲悪かったのか? そりゃ、女同士の仲ってよく分からんところがあるけどさ。

 ランは言葉少なげで、いつも不機嫌そうにも見えるが、その実、仲の良い相手と、そうでない相手とで反応は完全に違い、初鹿ともかなり仲が良さそうだったのだが、それは自分の見間違いだったのか、と浩之は思った。

「仲は、いいですよ。今日も会ってましたし」

「へー、てことは、家に遊びに来てたのか」

「……ええ、まあ」

 さっき怒っていたと思ったら、今度は表情が陰る。不機嫌で、いつも怒っているように見えても、ランは感情の起伏が激しいし、すぐにそれは表情に出るのだが、今日のそれは、確かにすぐは出ているが、いつもと何か違っていた。

 マスカレイドでは勝てたけど、それ以外にも何か不安があるのか?

 年頃の少女だ。悩みの一つや二つ、あるのは当たり前で、それはだいたいは大したことはないことだが、本人にとってみれば大事であるし、また、他人がしてやれることなど、大したことでもないのに驚くほど少ない。

 ここで、「どうかしたのか?」と聞くのは浩之には簡単だ。何の助けにならなくても、聞いてやることで楽になることもある。

 しかし、今のランは、タイタン戦のときの、不安だからその気持ちを誰かに聞いて欲しい、という顔ではない。

 むしろ、聞かないで欲しいという顔をしていように、浩之には思えた。

 一体何を悩んでいるんだろうなあ。

 仕方ない、聞いて欲しくないのなら、浩之は聞かない。ただ世間話をするだけでも、心はかなり違うだろうし、身体が動くようになれば、何もかも忘れるほど身体を動かすということもできる。それまで、ほんの少しだけ、話し相手になってやるぐらいしか、浩之に出来ることはないのだ。

 ランは、浩之にばれるのが嫌なのだろう、曇った表情を、すぐに消して、何でもないという表情を作って、話し出した。

 しかし、すぐに浩之は気付く。そもそも、ランから話題を振ってくるなど、それこそ珍しいことなのだ。自分の様子を気付かせまい、と必死なのぐらい、すぐに気付ける。

 浩之は、どんな小さなことですら気付くほど、敏感であり、どんなあからさまであっても気付かないほど、鈍感なのだ。その矛盾が、彼には成り立つ。

 しかし、どちらがより強いか、と言われれば、鈍感の方であり。

 その鈍感な浩之は、知らない。

 浩之が横に座って話すこと。それが、今のランにとって、最大の特効薬であり、しかし、同時に致死性の毒であることを。

 純粋で、それでいて不健全な関係。

 それでも、もしここに第三者がいたら、必死で取り繕ってはいても、心の底から楽しそうに話をするランの様子を見て、それが悪いことだとは、言えなかっただろうけれど。

 

続く

 

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