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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(178)

 

 それは、坂下の裏を、完全にかいた。

 坂下が油断していたわけでは、もちろん、ない。

 それは、油断というより、理の問題だ。人体の理に従って坂下は予測しただけなのだ。つまり、四本の手足、そして頭ぐらいしか、身体から伸びてくる場所などない、という、裏切られることのない常識だ。

 その理をあざ笑うかのように、それはチェーンソーの頭の後ろから伸びて来た。

「っ!?」

 後ろには、逃げる暇などない。危ないを通り越して、手遅れだ。混乱しながらも、坂下はとっさに顔を腕でガードする。

 ビシッ!!

 鈍い傷みが、顔をかばった腕に走る。

 が、坂下はそれでもひるまなかった。いや、ひるんではいけない、と身体が知っていたのだ。

 ガンッ!!

 坂下の拳が、チェーンソーのフルフェイルの顔に入る。

 いかに防具とは言え、坂下の拳の直撃を受けて無事で済む訳がない。

 チェーンソーは、後ろに軽く飛んだだけで、ダメージらしきものは見えなかった。それでも一応、警戒したのか、すぐには仕掛けて来ない。

「っつう……」

 チェーンソーが攻めて来ないのを確認してから、坂下は、ガードした方の腕を押さえて、うめき声をあげる。

「ヨシエ!?」

 レイカが近寄って来る気配を見せたので、坂下はそれを手で止めた。正直、この相手に、レイカを守って戦える自信が坂下にはなかったからだ。

 さすがに、痛がってみても誘いいは乗って来ないか……

 痛いのは嘘ではない。というよりも、一般人ならのたうち回って痛がっているだろう。坂下でなければ、骨にヒビぐらいは入っていたかもしれない。

 坂下は、ただ我慢しているだけだ。傷みよりも、相手の方を優先させただけに過ぎない。坂下にとってみれば、普通のことだ。

 チェーンソーの攻撃は、正直予想出来なかった。

 鎖の攻撃を避けたと思ったら、そこから自分の頭に鎖を巻き付けるようにして、頭の後ろを通して近づいて来る坂下の顔を狙ったのだ。

 予測も回避も不可能、避けたと思った瞬間に来る追撃は、綾香のラビットパンチにも似ているかもしれない。

 しかし、同時に、相手が攻撃を弛めていたことに、坂下は気付いていた。

 いかに坂下の身体が頑丈で、鍛えてあるとは言っても、人間の部位では硬くない腕の部分で金属製の鎖を受けては、骨が無事なことの方がおかしい。

 もっとも、もし全力で攻撃していたならば、今頃チェーンソーは地面に倒れていたことだろう。

 防具は、それはもちろん効果はあるだろうが、それでも坂下の全力の突きを受ければ、首がどうかなっているだろう。

 ダメージ程度で、反撃を鈍らせる坂下ではないのだ。もし、坂下を止めたいのなら、その一撃で意識を失わせる覚悟が必要だ。骨の一本程度ではぬるい。

 チェーンソーが、最初から手加減するつもりだったのか、それとも、坂下の反撃を読んで、攻撃を弛めてでも後ろに飛ばなければ危険だと判断したのかはわからないが、どちらにしろ、結果的にはいい判断だった。

 反対に、坂下としては、最大のチャンスをつぶされたことになる。

 こちらは、相手を知らなかったが、相手も、凄く知っているわけではなかったのだ。事前に調べたって、限界がある。

 手の内を見せない間に、勝てるなら勝っておきたい相手だった。坂下がそう考えるほど、チェーンソーは強い。

 まあ、それだけ強い相手なら、骨の髄まで楽しみ尽くしたい、と考えるのが、坂下の格闘バカの最もたるところなのだろうが。

 何を思って、マスカレイド一位の人間が、坂下を狙って来たのかは知らない。しかし、坂下の相手を十二分に出来ることは間違いなく、坂下にとってみれば、理由などどうでも良かった。

 ズキズキと腕が痛むが、それを感じないほどのアドレナリンが出ている。

 坂下は右脚を後ろに引き、構えを取った。引いたのは、前に出ようとする身体を、止めるための動きだった。

「フウゥゥゥゥゥ」

 息吹を落として、ともすれば暴走しそうな気持ちを抑える。一、二回打ち合ったぐらいで勝負のつく相手ではない。しっかりと腰を据えて戦わねばならないのだ。はやる気持ちは、致命傷になりかねない。

 ジャリッ、と鎖を鳴らし、チェーンソーが一歩近づいてくる。

 こちらからの攻撃では、チェーンソーには確実に届かない。何故なら、そのスピードで武器を使うチェーンソーのリーチは、桁外れだからだ。

 相手に手を出させて、避けてからが、やっと坂下の手番になる。それまでは、どれだけ挑発されても、手を出してはいけないのだ。

 一歩近づいてきたチェーンソーは、予測通り非常に無防備だった。しかし、近づけば、今はだらりと垂れ下がっている鎖が、一瞬で飛んでくる。

 見え見えの誘いに、坂下は乗らなかった。

 チェーンソーは隙だらけ、坂下はそれを見逃す。動きはまったくないのに、緊張感だけが上がっていく、見ている方が緊張でやられてしまいそうな時間。

 それでも我慢する坂下に、業を煮やしたのか、チェーンソーはさらに大胆に坂下を誘う。

 チェーンソーは坂下に背を向けた。何と、坂下相手に、背中をさらしたのだ。

 びくりっ、と坂下は反応しそうになって、しかし、何とか思いとどまる。

 それ以外が思いつかないほど、完全な罠だ。人間には、当然背中に目があったりはしないが、このレベルになれば、見えない、とは言い切れない。黒いフルフェイスのヘルメットは、視界が非常に悪そうだが、それすらもどこまで不利になっているのかわからないのだ。

 チェーンソーがそのまま前に、つまり坂下から見れば、後ろに下がっても坂下は何の行動にも取れない。

 さらに、チェーンソーは五歩ほど距離を取る。それでも、お互いに、数瞬でつめられる距離なのだ。

 だが、さらにチェーンソーが距離を取る。さすがに坂下もおかしいと思い始めた。いくら何でも、距離が開きすぎている。

 まだ打ち合ったのは一合のみ。その距離でも何かしらの技を持っていることを否定できない。そういうレベルの相手だ。

 さらに距離が開いて、もう攻撃が届く訳がない距離まで間を取って、チェーンソーは、ちらり、と坂下の方を振り返った。

 フルフェイスに覆われている顔は、表情は当然まったく見えなかった。口が動いたのかどうかなどわからないし、声は聞こえなかった。

 しかし、坂下は、チェーンソーがこう言ったような気がした。

 じゃあね、と。

 坂下は、チェーンソーが、すでにまったく戦う気を無くしていることに、ここで初めて気付いた。

 が、その距離では、もうどうするもともできなかった。

 そのまま、チェーンソーは公園から、そして坂下の前から、姿を消した。

「……」

 夜の公園に、流れる沈黙。

「……えーと」

 状況がつかめないレイカ達は、あっけに取られて、少しは状況が見えているゼロも、苦笑するしかなかった。

 中途半端な緊張感だけが残る、如何ともしがたい結果となった。

「今日は様子見、て感じだったんじゃないのかい?」

 一応、ゼロがフォローらしきものもを入れるが、それで納得できる訳は、当然なかった。

 肩すかしもいいところだ。実力を見せておいて、さっさと逃げるなど、そんな訳はないのだが、坂下のフラストレーションを溜めるためにやったとしか思えない。

「……逃げられた」

 坂下は、そうつぶやかずにはおれなかった。

 

続く

 

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