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最強格闘王女伝説綾香

 

五章・実戦(180)

 

『どんな状況でランがこんな時間に藤田の家にいるのか、私には理解できなんだけど』

「それを言うと、何でこんな時間に坂下が俺の家に電話してくるのか理解できなんだが」

 質問に質問で返す浩之。

 というか、正直どう答えていいのか浩之もわからないのだ。後ろめたいことはまったくないのだが、どういう経過でこうなったのか、説明しようと思うと、無理が出て来る。

『いや、私は眠れそうにないから、相手してもらおうと思っただけなんだが』

 けっこう大声で話しているのか、横にいるランにも、坂下の話す内容が聞こえている。

 浩之の横で脂汗を流していたランは、今度はビシリッ、と音がしそうなぐらいに、会話の内容を聞いて硬直していたのだが、電話中の浩之は気付いていないし、当然電話の向こう側の坂下が気付く訳がない。

 かなり普通の会話にも思えるが、聞き様によっては、けっこう危ない会話にも聞こえるが、言っている坂下にはそんな気はないし、鈍感な浩之が気付くはずもない。

「はあ? それこそ理解できねえんだが。だいたい、相手って、話し相手じゃねえだろ?」

『もちろん』

 当然エロい話ではなく、空手の話だ。しかし、電話は今まで二、三度はあったが、こんな時間に坂下がそんなことを言って来たことなど、一度もない。

「……何かあったか?」

 いつもと違う行動を取るということは、いつもと違うことが相手にあったということだ。たまたま、などという言葉では、説明できないものを、浩之は感じていた。

「だいたい、相手って、今日俺をKOしたばっかりだろ?」

 何かフラストレーションがたまっていたようなので、組み手の相手をしたのだが、見事に浩之はKOされている。いつもは一応寸止めしようと努力はするのだ。毎回本気で殴り合っていたのでは、身体がもたない。

『それが、肩すかしというか何というか、微妙なことがあってね』

「ふんふん」

『……て、藤田。もしかしてランがそこにいるのを説明避けるために、聞き手にまわってるんじゃないだろうね?』

「ギクッ」

 図星である。

『……まあ、そうやって冗談言えるところを見なくても、後ろめたいことはないみたいだけど』

 電話の向こうで、坂下も坂下なりに心配しているのだ。浩之は、確かに女ったらしだが、あくまで受動的というか、どうしようもないというか、とにかく、積極的に女の子といかがわしい行為に及ぼうとはしない、と一応のところ、坂下は信じている。

 綾香は少し読めないところはあるが、さすがに葵に手を出せば、坂下も気付く。そして現在、葵が手を出されていないところを見ると、浩之が節操なしだとは思わない。あれだけのかわいい後輩に慕われてそうならば、むしろストイックなのでは、とすら思う。

 だから、ランが浩之のことを好きだったとしても、失恋はあっても、手を出されて身も心もボロボロになる、ということはない、と坂下は考えている。

 だが、それなりの信頼はしていても、それでも、多少不安に思ったりもしないでもないのだ。その点、坂下は自分が男の全てを知っている訳ではないことを良く自覚している。

「ただランは遊びに来ただけなんだけどな。まあ、時間的なことを言われると、俺もどうかと思うけどな」

 その言葉を聞いて、浩之先輩に迷惑をかけた、と思って、ランが横で、少なくとも迷惑をかけた以上に、傷付いているのも、やはり浩之は気付かなかった。

 浩之は、迷惑などとは少しも思っていないのだが、状況を考えれば、ランがわがままを言っているのは事実だ。

 浩之も、ランを放っておいてお風呂に入るわけにもいかないのだ。遊びに来るにしても、もう少し考えるべきだったのだ。

 しかし、ランが浩之と何の約束もなく会うためには、夜まで待つしかない。それすら、ランの試合が終わった今、確実ではないのだ。

『ちゃんと家に送りなよ』

「男に送ってもらわないといけないほど甘くないです」

 坂下には聞こえはしないだろうが、それにしても坂下に対して言ったとは思えないほど不機嫌な声でランがそういう。

 もう、これ以上浩之には迷惑はかけられないという気持ちが、ランにそう言わせたのだ。

「俺だと、まったく安心できないそうだ」

 浩之は苦笑して、ランの言った言葉を多少曲げて坂下に教える。

「あ……」

 浩之としては、そう思われていると考えているのだが、ランは当然そんなこと少しも思っていない。もし、少しでも不安があったとしても、浩之が横にいれば、どれだけ安心できるだろうか。いや、不安がなくても、一緒に居られるなら、と。

 しかし、結局声は出なかった。送って欲しい、と言わないまでも、送ってくれることを否定する理由はまったくなかったのだ。

 言わなければならないこと、迷惑をかけてしまって申し訳ないだとか、これ以上迷惑をかけたくないだとか、それでも送ってくれれば嬉しいとか、はまったく口に出せず。

 言わなくてもいいこと、送って欲しくはないと、少なくともそう聞こえること、は口から出て来る。

 ランは自己嫌悪に陥りそうだった。

『ランの言いたいこともわかるけど』

「わかるのかよ」

 一度、坂下は冗談めいたことを言って、浩之にそれも返したが、次の瞬間坂下の口調が鋭くなる。

『冗談じゃなく、藤田、ちゃんとランを送るんだよ』

 さきほどまで、どちらかと言うとリラックスしていたようにも思えた坂下の雰囲気が鋭くなったのを、浩之は電話越しだというのに、見逃さなかった。

「……坂下が欲求不満なのと関係あるのか?」

 恋愛事には超のつく鈍感のくせに、こういうところだけ勘が鋭いのは、やはり日頃来栖川綾香という、人の形をした天災、誤字に非ず、を相手しているからだろうか?

 まあ、その理論で考えると、恋愛事に鈍感であることは、直に命に関わりそうではあるのだが、当の天災も恋愛事に関してはあまり得意ではなかったことが幸いしているのだ。

『ああ、私が、さっき襲われた』

「まあ、坂下なら問題はないだろうが」

 相手が弱くて欲求不満になることはあっても、坂下が危険な相手というのは、なかなか思いつかない。多少の人数の違いなら、どうとでもしてしまうほど、坂下の強さは桁が違うのだ。

『逃げられたけど……あれは、危ないよ』

「はあ?」

 坂下が危ない、という相手など、そう多くはいない。マスカレイドが制裁を入れたという、アリゲーターだったのだろうか?

 しかし、浩之の予測は、外れた。

『マスカレイド一位』

 その鎖の鋭さを思い出し、浩之は、一瞬固まった。浩之にすら、思い出させるだけでも、恐怖を感じさせる、そう、坂下達と同じ世界にいる人間。

『チェーンソー』

 

続く

 

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